岡部倫太郎さんの日記

(Web全体に公開)

2016年
04月26日
18:35

追加


ロラン・セアック
「僕は2年前に月から来ました。けど、月の人と戦います。
だけども、地球の人とも戦います。
人の命を大事にしない人とは、僕は誰とでも戦います!」


失敗は成功の母という言葉があります。

基本手筋だとか定石という、所謂、「正解」だけを知ったたところで、
少し変化されてしまうと、あたふたして対応出来なくなる。

この前、アルファgoが負けた局も、人間以上の醜態を晒してたし、
どれだけ知識があろうとも、どれだけ賢そうに見えても、
これは誰でもありえることです。


一番、大切なのは、正解を知る事ではなく、間違いを知る事にある。


アルファgoがそうであったように、
他人から知識を詰め込まれる形で多くの間違いを覚えていくのでは、
確かに、それなりに強くはなるかもしれませんが、
自分が知らないものを目の当たりにした時は、
素人と同様、間違い探しになれていない人と同じような反応をします。

それに対して、セドルは物凄いプレッシャーの中でも、
負け越しはしましたが、プロの意地を見せた。

ぼんやりした言い方になるので、あれなんですが、
これが、人生間違いだらけの人間の強さだろうなとは思います。



この点だけ見ても、間違い探しを自分ですることに意味はあると思える。






一つ、たとえ話をすると、

箱の中に10個の玉が入っていたとして、其のうちの一つが当たりだとして、
そこから、当たりが出るまで一つ一つ取り出していくわけですが、
当たりか外れかというのは、球のどこにも書いていないため、
たとえ、全部、取り出したところで、また、最初からやりなおし。


これが、今までの初心者の状況でした。



これに耐えられないからこそ、上手に依存することになるわけですが、
これにどれだけ耐えられるかで、どこまで伸びるのかも決まってしまう。

人生と言うのは間違い探しそのものですが、
それ自体が普通は苦行の上、
囲碁以外でも、職場なり学校なりで間違い探しを求められますから、
何かしらの条件が揃わない限り、殆どの人は初段にすらなれずに終わる。

別に碁が強いからといって、立派な人間だとは限らないのも、
人によって、其の条件が違うからに他なりません。



僕がそれなりに碁が強くなったのも、
今、goxiでやってこととかも、ある種の条件が下地にある。


僕は未成年の頃、長い間、周囲の人に責められながら、
誰も得しない不毛な間違い探しをし続けてきました。

ずっと、箱から玉出しては戻すを繰り返してた。しかも、当たりは無い。


http://www.amazon.co.jp/%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%99%E3%82...

(2時間もあれば読めます。前半は流し読みでいい。)


だからこそ、検討でひたすら並べまくって間違い探しをしまくってても、
時折、今現在の時点で納得出来る、正解のようなものが見えただけでも、
結構楽しく思えて、また次も間違い探しをしまくってました。

ほんのすこしであっても頑張れば報われる、
間違い探しの果てに自分が求める正解のようなものがある、
この状況が僕にはあまり苦に思えなかったからこそ、それなりに伸びた。
(上記の書籍ですが、日本よりも遥かに負け組みが多いアメリカで、
 碌でもない家庭に生まれて、学校でも札付きの悪だった学生達が、
 チェスを部活で学ぶ事で更生するようになったという事例もあります。
 色々な教育関係の専門家が、莫大な予算や時間をかけてもダメだったのに
 アマチュアトップクラスのチェスプレイヤーの活動によって、
 そういうことが起きるようになったらしいです。)


本読んだり、上手に正解だけをどんどん教えてもらったり、
そういうのには、むしろ、あまり価値を感じませんでした。

間違い探しが報われる、正解探しに繋がる間違い探しが出来る、
これこそが一番重要だと感じているからこそ、今の僕がある。



僕の師匠?も話してるように、僕が周囲を見てても感じるように、
世の中殆どの人は、僕程には、間違い探しが報われるということを、
求めてないんだろうなと思います。

正解がわかるならそれでいいと思ってる。



僕も正解を求めているのは同じですが、
それは膨大な間違い探しが報われたいと思ってるからです。

そうでないなら、あまり、価値を感じない。

まず先に、間違い探しがあって、次に正解探しがある。
だからこそ、たぶん、皆、
僕の事、間違えたがってるバカだと思ってるんだと思う。

そうじゃない。

僕は間違いが報われたいのであって、
間違えたくて間違えてるわけじゃない。



正解探しのために、嫌々、間違い探しをしてる人とは、
結果は同じになることはあっても、過程が真逆です。




囲碁は企業家や経営者向けといいますが、
9割以上の人は直に上手く行かなくなるような勝負の世界というのは、
間違い探しの方が圧倒的に重要になり、避けられないからこそ、
そう言われるんだろうなとは思います。

たとえ、どんな形であれど、間違い探しはこなす必要があるんです。




ところが、今までは、初心者にとってあまりにもハードルが高すぎた。





依田さんが筋場理論を開発するまでは、
そもそも論として、何がどの位の間違いなのか、
これを上手に教えてもらわない事にはわかりませんでした。

だからこそ、詰め碁で消去法によって答えを一つに絞り込むようにする、
間違い探しを着実に積み重なるという手法を、下手が取る事が出来なかった。

下手がいくら自分一人で努力したところで、
間違いを間違いだと認める以前に、
間違いを間違いだと知る事が出来ない、
これじゃあお手上げになるのも無理も有りません。

自分のやってきたことが間違いだったと認めるのってそれだけでも大変なのに、
わざわざ、自分で自分が間違ってるんだと知ろうと歩き回るとか、
お金貰ってる仕事だとか、よっぽど好きでもない限りは難しいです。


間違いを認める強さ、謙虚さについてを教える人や企業は多くいますが、
間違いを効率的に知る事が出来るシステムやマニュアルを開発するのは、
これは本当に難しい事です。ノーベル賞レベル。

知るというのは気持ちの問題ではないですからね。
出来なかったからといって、別に悪人だとか怠惰だとか言うわけではない。
(僕みたいに壊れた人間だとか、親がプロ棋士の人とかの方がおかしい)

間違い探しにおける、二つのハードルのうち、
一つを取っ払ってしまったのが依田さんの凄さ。

一人で間違いを着実にストックすることを可能にしたところに価値がある。



あとは気持ちの問題でしかないので、その時こそ、
共に歩む仲間なり、側で見守ってくれる先生なりが意味を持つというものです。
ぃーね!
棋譜作成
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