天和

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天和さんの日記

(Web全体に公開)

2017年
01月24日
15:28

訓戒(その3)

タグ : 囲碁訓戒
修行に正邪二つあり。正道に志せば上達し、邪道に志せば下達す。

邪道とは欲心強きを云う。欲心は見えぬ手を見出さんとして、調子長くなって起きる手筋を云う。知らざれば考えてもなかなか見えぬものなり。故に打つほどに下達す。

正道は欲心深からざるを云う。其の術、早打ちにして手筋を心掛くるにあり。早きときは欲心出る隙なし。欲心出でざれば手筋好く、次第に上達す。これ初心第一の心得なり。


修行には正道と邪道があって、正道を進めば上達するが邪道を進めばどんどん碁が悪くなっていく。

邪道は欲深い碁だ。パッと読める範囲以上の手を探そうとして長考してひねり出す手筋などが欲だ。そもそも知らない手は時間をかけても読めない。だから邪道を進む時は打てば打つほど下手になっていく。

正道は逆に欲のない碁だ。早打ちで、パッと読める範囲での手筋を心がける。早打ちをしていると、知っている以上の手を打とうという欲が出る隙がない。そういう欲を出さなければ、素直で綺麗な手筋で打てるから上達していく。


この部分は特に難解に感じる。
推奨しているのが早打ちなのは明快で、また「邪道に志せば下達す」の「あんた地獄に行くわよ」にも似た歯切れの良さは小気味良い、のだが・・・
早打ちしているだけで筋が綺麗な碁が打てるのであれば苦労はしない。また、筋が綺麗な碁を打っていれば勝てるようになるのであれば、やはり苦労はしない。なかなか鵜呑みにはし難い言葉である。

思うに、手筋や石の形、死活の急所などは膨大なパターンを繰り返し繰り返し問題集や棋譜並べで自分のものとし、それらパターンをなるべく実戦でも見出せるように心がける。上達のための対局とはそのようにして「蓄積したものをいかに本能・脊髄反射レベルまで持っていくか」を主眼としたトレーニングであるべきだ、という教えなのではないか。

また、実際自分で読んだ手が気の利いた手筋やピンとした石の形に合致することは、相当な訓練を積んでいないと起きないだろう。自分の読んだヘボ筋や悪形で中途半端に成功体験を得て変な癖をつけるよりは、対局中はすでに勉強したパターンを短時間で「見出す」ことに集中力を使うべき、という側面もあるだろう。

そもそも早打ちで見えるようになるための知識を対局外で培っておく必要があるわけだが。歯切れ良いようで、その実なかなか酷な訓戒である。
ぃーね!
棋譜作成
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