ぴかぐりさんの日記

(Web全体に公開)

2009年
09月28日
16:03

「死活の部分的判定論」(部分死活論、独立死活論)

タグ : 囲碁のルール
■現在の日本囲碁規約で部分死活論(独立死活論)が採用されるまでの歴史

「死活の部分的判定論」(部分死活論、独立死活論)と
「死活の実戦的解決論」(全局死活論)の概略については
「如仏の判決」の Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E4%BB%8F%E3%81%AE%...
を見て下さい。

現在の日本囲碁規約(1989)で部分死活論が採用されるまでの歴史の流れについ
ては塚本惠一氏が2chに書いた次のまとめが参考になります。

http://f49.aaa.livedoor.jp/~mannami/logbgame/1034343097.h... より
>202 :塚本惠一 ◆/MldMykrLQ :03/08/24 20:26 ID:J/XpYvqe

>隅の曲がり四目に関連する囲碁ルールの歴史をざっと見てみます。
>詳細は「囲碁ルール博物館」などを参照願います。
>1.日本の囲碁ルールは以下の歴史をたどってきました。
> 純碁⇒古い中国式⇒日本式⇒日本棋院囲碁規約⇒日本囲碁規約
>2.純碁は、盤上に生存する石が多い方が勝ち、という囲碁の原型です。
>3.純碁だと、勝負が決まってから終局までが長いので、
> 石の数と石で囲んだ空点の数を数えて判断する方法(終局の早期化)
> が考え出されました。これが古い中国式です。
>4.その中国式も、終局前にダメをつめる手間がかかるし、目算するのに
> 数百になる石の数と石で囲んだ空点の数を数えるのは面倒なので、
> 地とハマを数えるという目算方法が考え出されました。これだと、切り賃が
> なくなってしまいますが、碁の打ち方は殆ど変わらないので、形勢判断を
> 重視する人たちの間に広まりました。これが古代中国の日本式です。
>5.この日本式が日本に伝わりました。日本の囲碁は最初から、終局の際は
> ダメを詰めず、ハマはそのまま取り上げるものであったのです。ハマをその
> まま取り上げる考え方を「打ち上げ手数の省略」と呼びます。
>6.隅の曲がり四目は、取りに行く側が劫材をなくすことができれば殺せます。
> この劫材をなくすことも「打ち上げ手数の省略」と同様と考えられて、
> 「劫尽くし」として打たなくてよいものとされました。
>7.一眼と半劫がある石は、半劫は欠け眼なので死と考えられます。ところが、
> 同じ盤上に両劫セキがあると、半劫を頑張り通すことができて取れない、
> という問題が生じます。これを「両劫に仮生一つ問題」と言います。
> 長い間の議論の末、この「両劫仮生一つ」は不自然だから(あるいは面倒
> だから)死んでることにしよう、という合意に至りました。
>8.同様に「劫尽くし」ができない隅の曲がり四目も死んでることになりました。
>9.こうした判例を集めて旧ルールである日本棋院囲碁規約が纏められました。
> これで死活を部分的に判断できることになり、形勢判断が容易になりました。
>10.この「打ち上げ手数の手略」や「劫尽くし」の理論化を図ったのが
> 現行ルールである日本囲碁規約です。で、隅の曲がり四目は死となりました。
>以上

11.さらに、ドイツの Robert Jasiek (ロベルト・ヤシエック)氏が
現在の日本囲碁規約(1989)の欠点と欠陥を指摘し、
修正結果を Japanese 2003 Rules として発表している。
そのルールからも隅の曲がり四目の死が導かれる。
http://home.snafu.de/jasiek/j1989c.html
http://home.snafu.de/jasiek/j2003.html
http://home.snafu.de/jasiek/j2003inf.html
http://home.snafu.de/jasiek/j2003com.html

■地とアゲハマによる計算で勝敗を決するルールでの死活判定

日本式の地とアゲハマによる計算で勝敗を決するルールの特徴のひとつは
ダメも含めて有効手がひとつも無くなった局面の多くでは
盤上への着手を強制されると損になってしまうことです。
自分の地に石を打って地を減らすか、
相手の地に石を打ってアゲハマを増やして損をしてしまうか、
どちらかになってしまいます。
盤上への着手のどれもが損になる着手になってしまったら、
終局とせざるを得ません。

このような特徴を持つ日本式ルールでは、
終局図における石の死活判定の方法を特別に決めておかなければいけません。
終局図以降はどちらも盤上に石を打ちたくないので、
対局の継続で死活を判定することは不可能だからです。
対局の継続無しに死活を判定しなければいけません。

■部分死活論(独立死活論)と部分的「劫尽くし」

対局の継続無しに死活を判定するときに
問題になる形のひとつに隅の曲がり四目があります。
日本囲碁規約では次の図の黒石(隅の曲がり四目)は死とみなされます。

○○○┬●┬○┬○┬ 隅の曲がり四目の一例
├●●●●┼○○○┼
●●┼┼┼┼○┼○┼
├┼┼○○○○○○┼
○○○○┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼

日本囲碁規約では終局図におけるこの形の黒石はダメをあけた状態そのまま
で死とみなされてハマに打ち上げられます。

これを正当化する「劫尽くし」の理屈は次の通りです。

・黒の側から上の形の黒石を活き形にすることは不可能である。

・白の側からは外ダメをすべて詰めた後にコウに持ち込むことができる。
しかもコウの最初の取り番は白である。

・したがって、白の側は盤上にある黒からのコウ材をすべて無くしてから、
隅の黒石を取りに行くことができる。

しかし、現実には白は黒からのコウ材をすべて無くすことができるとは限りま
せん。たとえば次のような図ではどうでしょうか。

●┬●┬○●○┬┐
├●○○○●○┼○
●○○●●●○┼┤
├○●●┼●○○┤
○○●┼●●○○○
●●●●○○○●●
├┼┼●○○○●┤
├┼┼●○●●●○
└┴┴●○●┴○┘
http://tmkc.pgq.jp/igo/j_s6/j6050000.html より

左上のセキの部分にある黒からのコウ材を白は消せません。
それにもかかわらず、右下の黒石は死であると判定することが、
「死活の部分的判定論」(部分死活論、独立死活論)の大きな特徴です。
これは部分的に「劫尽くし」可能と考えることとほぼ同じです。
上の図では左上を見ずに右下だけを見て「劫尽くし」の理屈を適用して
右下の隅の曲がり四目は死と判定するのです。

日本囲碁規約死活例17の解説文を見れば、
日本囲碁規約はそのように解釈されるべきとされていることがわかります。
http://www.nihonkiin.or.jp/joho/kiyaku/shikatsu-17.htm

実際には日本囲碁規約は死活例17の解説の結果を再現できません。
その点も含めて大きな修正をほどこしたのが、
ヤシエック氏が提案している Japanese 2003 Rules です。
Japanese 2003 Rules では上のような終局図であっても
左上の白石は死に石であると判定されます。
この点については最近の私の別の日記を見て下さい。

実際には全局的にコウ材を無くすことができない場合であっても、
死活を部分的に(他の部分とは独立に)判定することにし、
隅の曲がり四目などは死と判定されることにする。
これが「部分死活論」=「独立死活論」=「死活の部分的判定論」です。

「部分死活論」では、隅の曲がり四目とは別の部分に両劫ゼキがあったと
しても、隅の曲がり四目は部分的に「劫尽くし」の理屈で死んでいるので
実際に死んでいるとみなされます。他の場合も同様とするわけです。

■部分死活論(独立死活論)の利点

「部分死活論」では死活判定がずっと易しくなります。
盤上の他の場所にあるコウ材を気にする必要がなくなりますから。

上でも述べたように、日本式の地とアゲハマによる計算で勝敗を決するルール
では、終局図以降はどちらの対局者も石を盤上に打ちたくありません。
打つと損になるからです。それが原因で実戦的に(対局の継続によって)
石の死活を決定することが不合理になる場合があります。

たとえば上に挙げた隅の曲がり四目の図を見てみましょう。

○○○┬●┬○┬○┬
├●●●●┼○○○┼
●●┼┼┼┼○┼○┼
├┼┼○○○○○○┼
○○○○┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼

白が対局の継続によって隅の曲がり四目を取りに行くためには、
多くの損を重ねる必要があります。
まず黒からのコウ材を無くすための自分の地への手入れで損をします。
さらに外ダメを詰める手も自分の地を埋める手なので損になります。
白が損な手を打っているあいだ黒がパスで応じたとすると、
白が隅の曲がり四目を取れたとしても大損してしまうかもしれません。

このような理由から、日本式の地とアゲハマによる計算で勝敗を決するルール
では、隅の曲がり四目などの死活を実戦的に(対局の継続によって)解決する
ことは不合理だと考えられて来たのでしょう。

死活を実戦的に(対局の継続によって)解決することが不可能ならば、
終局図における死活判定は易しい方がルールとして便利です。
「部分死活論」(独立死活論)を採用すれば、
死活判定を他の部分を見ずに部分的な問題として扱うことが可能になり、
死活判定がずっと易しくなります。これは大きな利点でしょう。

おそらくこのような筋道で生まれたのが「部分死活論」だと思われます。

■「死活の対局継続による解決が不合理な場合がある」という前提について

しかし、「部分死活論」の前提となっている
「死活の実戦的な(対局継続による)解決には不合理な場合がある」
という仮定は正しいでしょうか?

この仮定が必ずしも正しくないことは
1968年に提案された池田敏雄囲碁ルール試案その存在が証明しています。

池田試案の「日本式I、II」ルールでは、すべての石の死活を対局の継続によ
って合理的に解決可能であるように工夫されています。そのアイデアは単純で
あり、終局図とみなせる局面で石の死活について合意できなかった場合には対
局を継続し、それ以後は盤上に同じ個数の石を置かなければいけないとするの
です。

たとえば隅の曲がり四目の事例では、黒が自分の地に手を入れているあいだ、
白はパスで応じることができず、白も同じだけ自分の地に石を埋めなければい
けません。このようなルールにしておけば、黒は安心して自分の地に手を入れ
て隅の曲がり四目を取りに行けます。黒が白からのコウ材をすべて消せない場
合には全局的な戦いによって決着を付けることになります。

池田式の囲碁ルールではどのような場合であっても盤上で実際に石を戦わせる
ことによって合理的に石の死活を決定することができます。

■「部分死活論」(独立死活論)へのこだわりの帰結

盤上に石を打って決着を付けることが不合理ならば、
死活判定を易しくするために「部分死活論」を採用することには
大きな利点があります。しかし、実際にはそうではないのだから、
「部分死活論」は見直されるべきだと思います。

私には、現在の日本囲碁規約が支持している「部分死活論」は
「死活の実戦的な(対局継続による)解決には不合理な場合がある」
という間違った仮定のもとに採用された考え方に見えて仕方がありません。

「部分死活論」にこだわった結果、現在の日本囲碁規約の第七条が意味する
内容(ヤシエック氏の Japanese 2003 Rules が正しく内容を記述している)
はかなり複雑なものになってしまいました。
しかもオリジナルの日本囲碁規約第七条には誤りが含まれており、
死活例17の解説の結果を再現できません。
(再現のためにはルールの追加もしくは修正が必要になる。)

このような犠牲を払わなければいけなくなったのは
「部分死活論」を支持しなければいけない
という強い思い込みがあるからではないでしょうか?

■「部分死活論」(独立死活論)に反対した偉大な棋士の存在

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E4%BB%8F%E3%81%AE%...
では「1959年の呉清源 - 藤沢朋斎の三番勝負第2局において、呉が全局死活論
での対局を申し入れた」とあります。
「部分死活論」で合理的なルールを作ることは非常に難しい。

http://park6.wakwak.com/~igo/igorule/jirei.html
には「昭和初期、喜多文子(贈七段)の手記に書かれていた話。本因坊秀哉と
久保松勝喜代(贈八段)との間で、以下のような局面での手入れに関して議論
が戦わされた」とあります。その局面を池田敏雄氏は取り上げています。
http://tmkc.pgq.jp/igo/j_s6/j6030001.html
この論争における本因坊秀哉の判定は「部分死活論」を否定しています。

昭和以後であってもこのような事例があるので、
日本の囲碁の伝統を守るために「部分死活論」を絶対視することは誤りでしょう。
現代の日本の碁について語るときに、たとえ少数派であったとしても、
呉清源氏と本因坊秀哉の意見を無視して良いとするのは誤りでしょう。

■「部分死活論」が奇妙に見える場合

「部分死活論」は
「取りに行ける石は死んでおり、取りに行けない石は活きている」
とする囲碁の基本原理から離れた結論を導き出します。

たとえば、黒の隅の曲がり四目とは別にセキが残っていたとしましょう。
白はセキの部分にある黒からのコウ材を消すことができません。
黒は盤上のすべてのコウ材を確認し、
白が対局の継続によって隅の曲がり四目を取りに来たとしたら、
白の側が負けてしまうことを読み切っていたとします。
たとえこのような局面で終局になっても、「部分死活論」では、
黒の隅の曲がり四目は無条件死となってしまいます。
この結果はすべてを読み切っていた黒にとってはおおいに不満でしょう。
実戦的には白は黒の曲がり四目を取りに来れないのだから、
黒が隅の曲がり四目は活きだと主張することには十分に理があります。

このような批判に「部分死活論」を固持したい側の論者は
次のように言うかもしれません。

「地とアゲハマで勝負を決する日本式のルールでは、
これ以上石を盤上に置くと損になる場合があるので、
対局の継続の想定で死活を判定することは不合理である。
だから、対局の継続によって実戦的には取れない石であっても
死とする場合があっても良いではないか」と。

しかしこのような主張はすでに上の方で論破されています。
池田敏雄氏が提案した「日本式I、II」ルールを採用すれば、
地とアゲハマで勝負を決する日本式のルールであっても、
対局の継続によって合理的にすべての決着を付けることができるからです。
例えば http://tmkc.pgq.jp/igo/j_s6/j6050000.html を見て下さい。

以上です。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■追記2009年10月3日 New Amateur-Japanese Rules

ドイツの Robert Jasiek さんは日本囲碁規約(1989)の欠陥を修正した
Japanese 2003 Rules を発表しているだけではなく、
別のもっと単純な日本式ルール New Amateur-Japanese Rules を
提案しています。

http://home.snafu.de/jasiek/naj.html (New Amateur-Japanese Rules)
http://home.snafu.de/jasiek/najcom.html (その解説)

「地とハマ」で計算する日本式ルールの特徴は
「両対局者がどこにも石を打ちたくない局面」が存在することです。
そのような局面になれば互いに「終わりましたね」となるわけです。
しかしアマチュアレベルで問題になるのはその後です。
死活と地について合意できないかもしれない。
ある程度の実力があれば合意できる場合が大部分なので
面倒な2つの対局の継続に頼らなければいけない場合はまれかもしれませんが、
合意できない場合に両対局者が納得できそうな方法で解決できる方法が
用意されているのは良いことでしょう。

Jasiek さんの New Amateur-Japanese Rules は合意できない場合に

・どの黒石が活きているかを決めるための対局の継続 (black-analysis)
・どの白石が活きているかを決めるための対局の継続 (white-analysis)

の二つを実行することによって、
合理的に決着をつけられるように工夫されています。
black-analysis は白番で始まり、white-analysis は黒番で始まるとし、
禁止されていたコウの取り返しは可能であるとします。
より正確には両 analysis は「どの石が活きているかを決めるため」に
行われるのではなく、「黒と白が盤上のどの部分を支配(control)しているか
を決めるため」に行われます。

このルールもまた「部分死活論」を否定してしまいます。
なぜならば、対局の継続によって死活を決定する立場では、
手入れによって相手からのコウ材をすべて消せないときに、
隅の曲がり四目を損をせずに取れるとは限らないからです。

日本囲碁規約が支持している「部分死活論」ではコウ材の有無に
かかわらず、隅の曲がり四目は無条件死になります。
それがこのルールでは否定されるわけです。
実際には隅の曲がり四目があってしかも消せないコウ材がある場合は
まれなので大した問題ではないかもしれませんが。

以上です。
ぃーね!
棋譜作成
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