ぴかぐりさんの日記

(Web全体に公開)

2009年
10月06日
22:24

呉清源が遭遇した二回の手入れ問題

タグ : 古碁,囲碁のルール
最近の日記(9/28)に現在の日本囲碁規約が支持している
「部分死活論」=「死活は部分的に独立に判定されるべきだという説」
について書きました。

しかし、1949年(昭和24年)10月に日本棋院囲碁規約(旧規約)が定められる
まで「部分死活論」が採用されていたわけではないようです。

昭和前半に起こった手入れ問題からこの過渡期の様子がよくわかります。

この日記では相互に関連した以下の3つの手入れ問題について
紹介したいと思います。

・本因坊秀哉と久保松勝喜代の論争
 喜多文子(贈七段)の手記によれば、昭和初期に
 本因坊秀哉と久保松勝喜代(贈八段)のあいだで
 ある終局図での手入れに関して論争が起こった。

・呉清源一回目の手入れ問題遭遇
 1948年7月、岩本薫和本因坊対呉清源十番碁の第一局

・呉清源二回目の手入れ問題遭遇
 1959年1月、高川秀格本因坊対呉清源三番碁の第二局

■本因坊秀哉と久保松勝喜代の論争

池田敏雄「囲碁ルールについて」によれば
昭和初期の本因坊秀哉と久保松勝喜代(贈八段)のあいだの論争では
次のような局面が扱われたらしい。
http://tmkc.pgq.jp/igo/j_s6/j6030001.html

┌┬○○●○┬┬┐ ハマ:白石1、黒石0
├○┼○●○┼○○
├┼○●●●○┼┤
○○●┼┼●●○○
●●●┼┼┼●●○
○○●●●●┼●●
├○○○○●●┼┤
○┼○●●B┼●┤
└○◆A●┴┴┴┘ 黒51◆とコウを取った局面

この局面で白がすぐにコウを取り返すのは反則だし、
コウ材に関しては黒が圧倒的に有利です。
この局面で終わりになったとき、
黒はAとBに手入れが必要かが論争になったようです。

本因坊秀哉判定:手入れは不必要。
久保松勝喜代判定:手入れは必要。

現在の日本囲碁規約と旧規約は久保松勝喜代判定を支持しており、
黒がAとBに手を入れて終局となり、持碁になります。

本因坊秀哉判定に基づいて、黒がAにもBにも手入れ不要とし、
Aも黒地と数えると黒の2目勝ちになります。

上の図ではBの手入れも問題になっているので少し複雑になっていますが、
この問題の本質は次のようにまとめられます。

「コウに強いとき、コウをそのままに手入れせずに終局としてよいか?」
次の図で黒Aと手入れせずに、黒◆を活石とみなし、終局としてよいか?

┌┬┬○●○┬┬┐ ハマ:白石1、黒石0
├○┼○●○┼○○
├┼○●●●○┼┤
○○●┼┼●●○○
○●●●┼┼●●○
○○●●●●┼●●
├○○○○●●┼┤
○┼○●●●┼┼┤
└○◆A●┴┴┴┘ 黒51◆とコウを取った局面

■呉清源一回目の手入れ問題遭遇

呉清源は昭和の前半に二回も手入れ問題に遭遇しています。
一回目は、1948年7月、岩本薫和本因坊対呉清源十番碁の第一局。
問題になったのは次の終局図。

白:呉清源八段
黒:本因坊薫和(岩本薫)
コミ:なし

┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬●○○○○○┬○ アゲハマ
●●●●●┼┼●●┼●●○●○○○┼○ 白石20
○○●○○●●○○●●○○●●○○○┤ 黒石23
○┼○○○○○○○●●○○●●●●○○
○○○●◇●○○●●●●●┼┼┼●●●
●┼○●●●○●●○●○┼┼┼●○┼┤
├○○●○●●○○○○●●●┼┼●●●
├○●●○○○○┼┼○●○○●●○○●
○○●┼●○┼┼┼●○○○●●○○○○
○●●●●○┼┼●○○○○○●●○●┤
○○●┼●○●┼●○○●●●●○○┼┤
●●┼○●○┼○○●●●┼●●○○●┤
●●○┼●○┼○●●A○●○●●○┼┤
○●●┼●○●○○●●●○○○○○┼┤
○○●●┼●○○●●┼●●●○●○○┤
○┼○●●●●○○○●●○●○●●○○
├○○○●●○○┼○○○○●●┼●●○
●○○●●●●●○┼○●●●┼┼●┼●
└┴○○●┴●○○┴○○●┴┴┴┴●┘ 最終手は白328◇

総譜は次を見て下さい。
http://mignon.ddo.jp/assembly/mignon/go_kisi/teire1.html

ここで黒Aの手入れが必要かどうかが問題になりました。
岩本薫はコウは黒が強いので黒Aの手入れは必要ないと主張しました。
これは前節の秀哉・久保松論争と本質的に同じ問題です。
この場合は運が良くて、手入れの有無は勝敗に関係しません。
黒が手を入れれば白2目勝ち、手を入れなければ白1目勝ちです。

結局、立会人の瀬越憲作八段(当時)が「白の1目ないし2目勝ち」と異例の裁
定を下し、主催紙の読売新聞でもそのように発表されたようです。

しかし、日本棋院編、小事典シリーズ10『早わかり用語小辞典』(1983年)の
216ページによれば、後日談があります。引用しましょう。

>あとで本因坊秀哉名人時代の日本棋院内規があり、
>それによると「手入れを要しない」ということであって
>岩本の主張どおり白の1目勝ちと訂正された。

要するに、前節で紹介した秀哉判定が本因坊秀哉時代の日本棋院内規に
なっており、結局、手入れ不要ということいなったのです。

この手入れ不要の判定は注目に値します。

■呉清源二回目の手入れ問題遭遇

二回目は、1959年1月、高川秀格本因坊対呉清源三番碁の第二局。
今回の手入れ問題は勝敗に直結する深刻なものでした。
問題になったのは次の終局図。

白:呉清源九段
黒:本因坊秀格(高川格)
コミ:4目半

┌┬┬○┬●┬┬●●○┬○┬┬┬┬┬┐ アゲハマ
├┼○┼○●●┼●○○○┼○┼┼○┼┤ 白石12
├○●○○●┼┼┼●○○┼○○○●○┤ 黒石19
├┼●●○◇●┼┼●○●○○○●┼○┤
├┼●○○○○●●●●●●○●●┼┼┤
├○○┼○●●●┼●○○○○┼┼○┼┤
├○┼┼┼○○●●┼○○┼┼●●┼┼┤
├○┼○○○┼●●●●●○○●○┼┼┤
├○┼┼┼○○○●○●○┼●○○○┼┤
├○○○○●○●○○○A●┼●○○○○
○○●●●●○●●○┼┼┼●●○●○●
●●●●○○●●●○○┼┼┼┼○●○●
●┼●○┼○●●○○○┼○○○●●●●
├┼○┼●○●●○○●○○●●●●┼┤
├┼┼┼┼●┼┼●●●○●●┼┼●┼┤
├┼┼●┼┼┼┼┼●●●○○┼●┼┼┤
├┼┼●┼┼┼┼┼○●┼●┼○○●●┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●○○●┼○○●
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴●○┴○┴●┘ 白244◇の局面

総譜は次を見て下さい。
http://mignon.ddo.jp/assembly/mignon/go_kisi/teire2.html
実際には白244のあとの手順もあり、見ておいた方が良いと思います。

コウ材は白の方が多いのですが、
この局面で白がAに手を入れないと、
黒A以下本コウにする手段が残ります。

白がAに手を入れずに終局とすると、白の半目勝ち。
白がAに手を入れて終局とすると、黒の半目勝ち。
この手入れ問題は勝敗に直結する深刻なものでした。

白の呉清源が手入れ不要を主張したため、
黒245Aのあとも打ち進められ、次の局面になりました。

┌┬●◇●●┬┬●●○┬○┬┬┬┬┬┐ アゲハマ
├┼○┼○●●┼●○○○┼○┼┼○┼┤ 白石15
├○●○○●┼┼┼●○○┼○○○●○┤ 黒石25
├┼●●○○●┼┼●○●○○○●┼○┤
├┼●○○○○●●●●●●○●●┼┼┤
├○○┼○●●●┼●○○○○┼┼○┼┤
├○┼┼┼○○●●○○○┼┼●●┼┼┤
├○┼○○○┼●●●●●○○●○┼┼┤
├○┼┼┼○○○●○●○○┼○○○┼┤
├○○○○●○●○○○┼┼○●○○○○
○○●●●●○●●○┼○○●●○●○●
●●●●○○●●●○○●●┼●○●○●
●┼●○┼○●●○○○○○○○●●●●
├┼○┼●○●●○○●○○●●●●┼┤
├┼┼┼┼●●○●●●○●●┼┼●┼┤
├┼┼●┼┼┼┼┼●●●○○┼●●○┤
├┼┼●┼┼┼┼┼○●┼●┼○○●●┤
├┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●○○●┼○○● 白268◇コウ取り、
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴●○┴○┴●┘ 黒269パスの局面

コウ争いは左上に移動しています。
黒にはコウ立てがないのでパス。
それでも白はコウをつがなければいけないのか?
白はコウをつぐと半目負け。

しかし、このときにはすでに日本棋院囲碁規約(旧規約)が制定されており、
「一手コウ」=「本コウ」は手入れが必要となっていました。

立会人の長谷川章八段(当時)の判定によって、
白の呉清源が譲歩し、黒の高川本因坊の半目勝ち(244手完)となりました。

■まとめ

1948年7月の「呉清源一回目の手入れ問題遭遇」の時点では、
本因坊秀哉判定が力を持っていました。
コウ材有利ならば、コウをそのままに手入れせずに終局としてよかった。

しかし、1949年10月に日本棋院囲碁規約(旧規約)が制定され、
本因坊秀哉判定は否定されることになりました。

1948年7月の「呉清源一回目の手入れ問題遭遇」では、
本因坊秀哉名人時代の日本棋院内規が
呉清源側に不利な判定を導くことになりましたが、
幸運にも勝敗には影響しませんでした。

1959年1月の「呉清源二回目の手入れ問題遭遇」の時点では、
本因坊秀哉判定は否定されており、
その結果またしても呉清源側に不利な判定となり、
呉清源は半目負けになってしまいました。

■後日談

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E4%BB%8F%E3%81%AE%...
からの引用。

>1959年の呉清源 - 藤沢朋斎の三番勝負第2局において、呉が全局死活論での
>対局を申し入れた。呉が日本棋院所属棋士ではないために可能だった提案で
>ある。藤沢はこれを了承し、例外的なルールでの対局が行われた例となった。

全局死活論は「コウ材有利ならば、コウに手入れ不要」となり、
現在の日本囲碁規約や旧規約が支持する部分死活論では
「手入れ必要」となります。

■現代の囲碁ルール問題

現在、日本で囲碁を打っている人たちの大部分は
「コウザイ有利でも、コウには手を入れて終局としなければいけない」
と信じていると思います。この「手入れ必要」の判定は
「死活は部分的に独立に判定されるべきである」
という部分死活論から導かれます。

部分死活論では終局図での死活判定を対局中とは異なるルールで
行なわなければいけなくなります。
この意味で部分死活論は自然な考え方ではありません。

詳しくは最近の私の次の日記を見て下さい。
http://goxi.jp/?m=diary&a=page_detail&target_c_di...

しかし、昭和の前半のあいだに部分死活論が力を持つようになりました。
さらに、1989年には日本囲碁規約が制定されており、
その第七条は部分死活論を正当化するための仕組みになっています。
その内容は非常に分かり難く、曖昧で欠陥さえあります。
しかし、現在の日本ではアマチュアの囲碁大会でも
日本囲碁規約を採用している場合が多いようです。

2003年にドイツの Robert Jasiek さんは日本囲碁規約の曖昧な点や欠陥を
修正した Japanese 2003 Rules を発表しました。
http://home.snafu.de/jasiek/j2003.html
こちらをよく理解しておけば日本囲碁規約の欠点を回避しながら、
日本囲碁規約による判定をそのまま残すことができます。
しかし、問題は Jasiek さんによる Japanese 2003 Rules を
理解できる人はかなり少ないと予想されることです。

日本囲碁規約とその修正については最近の私の日記を見て下さい。
http://goxi.jp/?m=diary&a=page_detail&target_c_di...

今の日本で囲碁を打っている人の大部分は
部分死活論に基づいた終局手続きに慣れているものと思われます。
正確を期すならば Jasiek さんの Japanese 2003 Rules を使えばよい。
日本国内だけで通用するローカルルールであれば
これで問題は解決しているとみなすこともできます。

しかし、囲碁の国際大会で使用するルールをどうするか、
について議論するときに、日本棋院側が日本囲碁規約(もしくはその修正版)
を他国に押し付けようとするときには問題が生じます。

もしかしたら日本棋院側は「日本の文化としての碁」を広めるために
日本囲碁規約も広めようとしているのかもしれませんが、
果たしてそれは正しいやり方でしょうか?

この問題についても最近の私の日記を見て下さい。
http://goxi.jp/?m=diary&a=page_detail&target_c_di...

この状況を放置しておくと、日本の囲碁がルール的にも文化的にも
国際的に孤立してしまう可能性さえあると思います。

地とハマの計算で勝負を決する囲碁のルールを
「日本式」と呼ぶことにしましょう。
全局死活論を正当化する合理的な日本式ルールはすでに
1968年に池田敏雄氏によって提案されています。
このルールは単純でわかり易く、国際ルールにも向いています。
最近の日記で池田囲碁ルール試案「日本式I、II」の解説もしておきました。
http://goxi.jp/?m=diary&a=page_detail&target_c_di...

以上です。
ぃーね!
棋譜作成
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