日経新聞からですが、この情報は紹介したいです。
帝国ホテルには、私も時々行きますが、従業員一人一人の意識の高さもすばらしく、赤坂プリンスとは全く違った感情を持っており、好きなホテルです。
やっぱり「さすが、帝国ホテル」と嬉しくなります。
(永守重信氏の経営者ブログ)
2011/4/27 7:00
東日本大震災が発生して1カ月半が過ぎたが、いまだに強く思い起こされる光景がある。震災直後に目にした帝国ホテルでの出来事だ。
永守重信(ながもり・しげのぶ)1944年8月生まれ。28歳の時に京都市のプレハブ小屋で日本電産を創業。ハードディスク駆動装置用モーターで断トツの世界シェアを獲得、自動車用などでもトップ製品を次々と生み出す。猛烈な働きぶりと不況をモノともしない攻めの経営で知られる。社長室のある20階まで階段で上がる
地震が起きた3月11日午後3時前、私は群馬県桐生市にあるグループ会社にいた。激しい揺れに交通網への甚大な被害が予想されたため、その後の予定をキャンセルし、すぐに車で東京に戻ることにした。車中、携帯電話やメールで対応を指示しながら、道路が寸断されていたり、建物が崩れたりしている光景を目の当たりにし、被害の大きさを思い知った。
いつもなら2時間ほどで済む道のりにかかったのは12時間あまり。東京に到着したのは翌12日午前3時過ぎだった。そのまま、宿泊する予約を入れていた東京・日比谷の帝国ホテルへと向かった。
ホテル内はさながら野戦病院だった。交通網が遮断されて帰宅できない人や、たまたま付近にいたであろう、数多くの人が次々に避難してきており、ロビーはもちろん、レストランや廊下に至るまで立錐(りっすい)の余地もないほど人であふれていた。体調を崩している人も多く見受けられた。
驚いたのは、ホテルの従業員の対応だ。3メートルおきに立って、避難してきた人たち一人ひとりに「必要なものはありませんか」「体調は大丈夫ですか」と尋ねて回り、水やパンなどの食料、毛布を配っていた。この日休暇だった従業員もみな呼び出したのだという。すべての従業員が一晩中、手を休めることなく、避難してきた人たちのために力を尽くしていた。朝にはスープまで配ったと聞いて、私は従業員の一人に「素晴らしい対応ですね」と声をかけたが、ただ謙遜するだけだった。
一流のホテルであれば、同じように対応したのであろうと思って調べてみると、信じがたいことだが、宿泊客以外は一切立ち入らせなかった一流ホテルもあったと聞いた。大震災のような非常時にこそ、企業本来の姿が垣間見える。帝国ホテルの従業員の分け隔てない献身的な対応にサービス業の原点を見た気がした。
私は東京出張の際の宿泊先は帝国ホテルと決めており、年間の宿泊数は100日に上る。定宿として選んだことに誇りを感じた出来事だった。
永守重信 日本電産社長のブログは隔週水曜日に掲載します。
読者からのコメント 小倉摯門さん、60歳代男性
永守さんのご主張は【非常時にこそ、企業本来の姿が垣間見える】に収斂されると読みました。経営者は、仮令非常時であれどんな姿を垣間見られても自らの経営哲学に恥じることがないよう、日頃から事業の決断も社員教育も行うべきだと。平常時にはマニュアルでこと足りるが、非常時には日頃訴求している経営哲学と教育成果が現場で姿を顕すことになる。大企業の経営者が特に追求するべき【企業本来の姿】は、「事業の社会貢献性」だと思っています。社会貢献が強く意識されていれば、経済的価値だけではなく様々な企業価値を生むのだと。永守さんが感じられた【定宿として選んだことの誇り】も真にその企業価値に違いない。会計的な利益は後から付いて来ると。この社会貢献から発想を起こして初めて、経営者は新たな事業に挑戦することに価値を見出せるし、上場会社では単純な株主至上主義を脱却し多様なStake-Holders主義に到達できると。
コメント
04月27日
17:51
1: 星めぐり
これは翌日だったか・・・テレビニュースで見ました。
詳しいことはわかりませんでしたが
うーーん、そうだったんですか。