私の祖母の体調が悪く、入院して先も長くないと医者から言われ、月末に予定していた旅行を一方的に全てキャンセルしてしまった。
正直なところ、常に気分が沈み、家の電話がなる度に恐怖しながら過ごしていた。
水曜の朝、母に市役所に連れて行ってくれと頼まれ支度をしていた時、電話のベルが鳴った。
祖母が危篤。
私は訳がわからず何故かニット帽を探していた。
父と母を連れて病院へ向かう。
車で10分ほどの距離をこんなにもどかしく感じたことはない。
誰かにそばにいて欲しい。とこんなに思った事もない。
胸にさげた指輪をきつく握りしめた。
車を滑り込ませ、転がり降りた。
祖母のいる病室の5階までエレベーターが移動する。
部屋にはいると従兄弟がいた。
もう少し早ければ。
医者が来て死亡確認をする。
泣き崩れる母。
俯瞰してそれを見ていた。
正直なところ、何が起きているのか、理解できないでいた。
祖母の手を握る。
腎臓の働きがなくなっていて尿が出ない状態が続いて、祖母の手は嘘のように浮腫んでいた。
でも、そこにはまだ温もりがあって、またあおいくん、来てくれた。と今にも祖母が喋りだすのではとさえ思った。
でも、もう祖母の喉から、あの懐かしい声で私の名前を呼ぶ事は無いのだ。
そう思った時、やっと理解できた。
おばぁちゃん。ごめんな。また来るでー言うたのに、これへんかった。
ごめん。ほんまにごめん。
仕事や、税金やー言うて忙しいしてる場合やなかったな。ごめんやで。
そんな後悔からか涙は今でも流せてない。約束を守れなかった私に泣くことなんて許されない。
これを昇華するにはまだ時間がかかりそうだ。
そのあと泣き崩れる母を父に預け、ひと通り必要な人に連絡を入れる。
兄姉、祖母の弟、親戚、役所、葬儀屋。
母親を今亡くした娘にこれを全てこなせというのは、なんて酷なシステムだろう。
母に代わり全て段取りを済ませた。
祖母の家に行き着物をとり、病院へ戻り身支度をしてもらった。
この時の看護士の方々には感謝している。
祖母は生前に近い、整った姿で運ばれていった。
その日、祖母はドライアイスを抱いて眠った。
冷たいよな。ばぁちゃん。
ごめんな。ごめんな。
涙雨が降りしきる中、母や姉と祖母について語った。
祖母が新聞社で記者として働き博学であったこと。
孫思いであちこち旅行に連れて行ってくれたこと。
祖母の得意料理。
めったに怒らない祖母が怒った時の話。
みんなが語るどの祖母も温かくて朗らかで、愛される人だった。
ばぁちゃん。俺はまだ何もばぁちゃん孝行できてないのに。なんで死んだ?
酒が過ぎたのだろう。
母は片付けながら、キッチンで泣き崩れた。
当たり前だ。
子供以外に直接血の繋がった肉親をすべて亡くしたのだ。
どんな時も、優しく厳しくしてくれた最愛の母親をなくしたのだ。
私はかける言葉もなく、母の背中をさすり続けた。
ばぁちゃん、こんなに必要とされてんぞ。
なぁ、ばぁちゃん。もっかいだけでいいから、笑って話しかけてくれ。
言いたいこといっぱいある。
彼女にも会ってもらってない。
次の日、朝から通夜と葬儀の準備に取り掛かった。
母は昨日の疲れからか、昼過ぎまで部屋から出て来なかった。
線香は同居している従兄弟が絶やさないでくれていた。
彼も眠っていないのだろう。
私が代わり、少しでも眠るように促し、作ってきた弁当を手渡す。
礼をいい自室に戻る彼の丸まった背中を見て、背筋を伸ばせという祖母はもういないのだと実感する。
葬儀には遠方からも親戚が駆けつけてくれた。
久しぶりに会う従姉妹は高校生になり、すっかり女性になっていた。
他愛もない世間話をした。
そうでもしないと、何か話していないと、目から何かこぼれそうだった。
坊主がきて法蓮華経を唱えていた。
何宗だか知らんが、祖母を極楽とやらへ連れて行け。
生前散々高い札やら御守買わせたんだろ?
釈迦か仏か何だか知らんが、死んでまで苦しめるそんな宗教、私は認めん。
祖母を入れた棺を霊柩車まで運んだ。
今まで祖父や叔父を運んだ時と比べると祖母の棺は小さく軽かった。
隣のおじさんがハァハァと息を切らせて運ぶ。
最後くらいカッコつけろ。
私は淡々と棺を持ちながら階段を降りて行った。
霊柩車が火葬場へと向かう。
私は行きたくないという母と共に家に残った。
祖父や叔父の時に火葬場についていったことがあるが、人が焼かれ、人の形が無くなって出てくるあの様子は、二度死ぬようなものだと思う。
動かなくなって、祖母は死んだ。
そして焼かれ形がなくなり、本当なもういないのだと痛感させられるのだ。
生きているもの、残されたものはたまったものではない。
人が死ぬというのは、死ぬだけでは済まないのだ。
祖母の葬儀がおわってしばらくは母が突然泣き出したり、姉の過労で病院に連れて行ったりと落ち着く間など無かった。
ようやく落ち着き心配してくれていた友人などに連絡をした。
祖母が亡くなって4日目のことだった。
今では少し気持ちの整理もつき、こうして日記をかけるようになった。
もう、祖母が亡くなってから1ヶ月ほどだ。
あれから私は、時々後悔した夢を見る。
また来るからね。
そう言った時に点滴だらけで血まみれになった腕でバイバイと手を振った祖母を夢見る。
なんて祖母不幸な孫だろう。
でも、謝ってばっかりはアカンよな。
ちゃんと言うで。
やっとか、いうて、わらわんといてや。
今までありがとうな、ばぁちゃん。
はじめは、この日記は私の私的な事も書かれていますし、内面をさらけ出すようなものなのでマイフレンドだけに公開しようかと考えていました。
でも、この日記を読んだ人には分かって欲しくて、全体に公開にすることにしました。
どうか、今隣にいる大切な人に、ありがとうと言ってあげてください。
どうか、今隣にいる大切な子供を抱きしめてあげてください。
奥さんに、旦那さんに、照れたり隠したりせずに、愛してるって言ってあげてください。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
コメント
11月10日
09:40
1: ふきれ
こういう悲しみを乗り越えていかなくてはいけないのですよね。
ゆっくりと気を落ち着かせて元気を取り戻してください。
お疲れ様でした。
11月10日
09:51
2: ha春ru
ふきれさんも、付き合い長いからってなぁなぁにしないで、奥さん大事にしてくださいよ~www
奥さんすねちゃいますからねww
11月10日
10:40
3: 星めぐり
ぐすん・・・ぐすん・・・
11月10日
10:55
4: ちゅう
私も、父を亡くしましたが、その前に話した会話は、「もう、こんな家に来ない」でした。
いまだに、悔んでいます。
11月10日
11:21
5: 京
身近な人との別れはわかっていても、悲しいですねえ。
私は今年の春、20年近く育ててきて、何時かこの人の店を譲ろうと
思ったスタッフに去られました。
結婚して子供が出来て辞めていくスタッフは多いけど・・・
医者から期限を告げられていたスタッフに「思っていても伝わらないことが多いから、感謝の気持ちは言葉がいるよ」と師匠の振りをしていました。
そういった私は、感謝の言葉を伝え損ねてしまいました。
最後はメールで・・・「春だねえ、今度桜を見に行こう」
「はい、行きましょう。またお願いします」でした。
身近である分、どこまでも現実逃避して、ありがとうをいえなかったなあと、この日記を見て痛感しています。
11月10日
15:53
6: 星めぐり
身近な人や生き物を亡くして後悔がなかったことはないです。
ああしておけばこうしておけば・・・って。
11月10日
17:32
7: ha春ru
ちゅうさん
よくわかります。
京さん。
現実逃避しちゃあとで後悔するんですよね~><
まみみんさん
それが普通なんでしょうねぇ。
11月11日
00:14
8: 学園先生
おいらは祖父母で最後になったのが母方の祖母でなぜか喪主になりました。
ありきたりの文章を渡されたんだけど何かひとつばあちゃんの思い出を言おうとしたら言葉に詰まってね・・・。
でもね、僕もばあちゃんが死んだ日、カプセルホテルに泊まってて病院へ行くまでにかなり時間がかかった。
しかもクリスマスで学園もあってね・・・。
段取りに手間取ったのもあって親から無茶苦茶叱られたけども今でも年4回のお墓参りの季節、いける時はお参りしてます。
だって・・・。
ちゃんと仕事をしてると危機的状況になったら必ず切り抜けられる。
給料日前にお金が無くなった時に限って普段誘われない棋士にご飯を誘わ乗り切れる♪
こういうのって僕はなくなった父方・母方の祖父母が見守ってくれてると思ってるから。
その感謝が季節ごとのお参りにつながってます。
いつでも春君のすぐそばで見守ってくれてるよ。
11月11日
02:18
9: ha春ru
学園せんせー
ありがとうございます。
そう願いたいです。
いつか、私が死んだ時、誰かが泣いてくれるような、そういう生き方ができたらと思います。
11月18日
20:15
10: pin7xp
ご冥福お祈りします
日記に書いてあった通り 妻子を大切にします
今 実家の父母と喧嘩にちかいので 大切にします