人にものを伝えようと思ったとき、なかなか思った通りに伝わらなくて、もどかしい思いをすることが、多く感じる人が大多数なのかなと思います。
前にも紹介しましたが、「ゲシュタルトの祈り」という有名な詩があります。
Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。
und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
Frederick Perls
フレデリック・パールズ
人と出会えたことを喜び、また出会えなかったなら、出会えなかったということに出会えたわけですから、(次に出会える楽しみが残ったともえる)それもまたすばらしいことだと思う。
あるがままを、そのまま受け入れることができる心境になれば、ストレスとは無縁の存在になれるでしょう。
同じ事象を見ても、人は人生経験や知識・習慣・能力の違いなどによって受け止め方が十人十色です。
話したことが伝わるとき、全く伝わらなかった・聞かなかったと言うことを含め伝わり方は違って当たり前です。
但し、そういう伝えたい事々の中で、一番伝わりやすいのはその言葉の意味ではなく、その人のその伝えようとしているときの感情です。
その感情が好意的なものであるなら、その伝えたい言葉を受け入れようと努力する人の割合も増え、伝得たい内容の内受け入れ側の努力により伝わる割合も増えることでしょう。
そして、少しでも相手に伝わったならば、伝わったことを喜ぶと言う習慣を持つ人は、その喜んでいるという感情が相手に伝わり、より多くを伝えられる人になっていくでしょう。
コメント
03月07日
07:53
1: クニ
もうひとり自分がいたとしても、
(つまり、まったく同じ人生経験や知識、能力を
持つ相手だとしても)
相手にすべてを伝えるのは難しいと思います。
まして、最初から
「あなたのことを好意的に受け止めるつもりはありません」
というシグナルを出されたら、
伝えるという行為はさらに難しくなりますね。
それでも、
伝えたいという気持ち(想い)を
いつも忘れずにいたいと思う今日この頃です。
03月07日
08:32
2: 松江大好き
クニさん
コメントありがとうございます。
囲碁を教える場合でも、他の物事を伝える場合でも同じことなんですが、伝えると言うことは、その伝わるという行為においてどれほどの内容が伝わるかという部分において、聞き手側の努力に負う割合が伝える側の工夫による割合よりずっと多いのですよね。
「あなたのことを好意的に受け止めるつもりはありません」
というシグナルを出されたら、
聞く努力をしませんとほぼ同意語ですから、伝えることは非常に難しくなってしまいますね。
それでも、好意の波動を出し続けると、感情部分は、聞き手が努力しなくても伝わりやすいものですから、伝えたい部分の一部だけでも付随して伝わりやすくなっていくと思います。