岡部倫太郎さんの日記

(Web全体に公開)

2016年
03月13日
17:46

会社人をやるのではなく、社会人になるということ


84: コピペリクエスト募集中@\(^o^)/ 2015/01/03(土) 21:59:52.43

結構前に居酒屋で大学の友人4人と飲んだ時の話だけど。

会計の時に、サラリーマンのおっさん4人が前に並んで
「ここは私が」
「いやいや私が」
「ここは私持ちが筋でしょう」
と酔いも手伝ってかさんざん揉めてた。
いい加減レジ待ちの列が長くなった所で店員さんが
「とりあえずご会計よろしいでしょうか?」
と半ギレぎみに会計を促していた。

で、その人達が出てった後は俺達の会計なのだが、
こちらもいい加減酔っていたので、
「ここは貴方が」
「いやいや貴方が」
「ここは貴方持ちが筋でしょう」
とか始めたら、後ろに並んでた客は爆笑してたが、
店員がキレるか笑うか微妙な顔をしてたので、
「すいません」と謝ってすぐに会計を済ませた。










囚人のジレンマという思考実験をご存知ですか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9A%E4%BA%BA%E3%81%AE...

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q...

これが示している事は2つあります。



一つは、人間を含めたあらゆる動物は欲望にだけは忠実で正直であること。

「愛」等と言う、人間の持つとされる高尚な概念(勘違い)に頼らずとも、
食欲、睡眠欲、性欲、より動物的な欲望は無条件に信用する事が出来る。
(カイジの地下強制労働所で、疑り深い班長は最初にビールを奢りますが、
 一度、食欲に火がついてしまえば、後から幾らでも金が搾り取れる、
 そう確信しているからこそ、最初に損、捨石作戦を取る事が出来る。)



もう一つは、人間は他の動物よりも知性や理性があるばかりに、
合理的であろうとすればする程、合理的ではいられなくなるということです。
(前に紹介した動画の、NARUTOのイザナギとイザナミを参照)

両者が最も得をする最善の選択肢が目の前にぶら下がっていた場合、
賢い人類よりも、知性の無い単細胞生物とかのほうがチャンスを掴めたりする。
「考えてから行動する」理性的な人程、目の前にあるものすら見逃します。

黒子のバスケのミスディレクションや詐欺師の使う手段にも利用されてます。

一見、選択肢がいくつかあって、自分の意思でそれを決めてるようだけど、
実はそんなことなくて、誘導尋問されてる。


これを読んでる人の殆どは碁打ちでしょうから、
似たような経験をしたことや聞かされたことはあるはずです。

「第一感」で打った手が、結局、一番良かった、
長考すればするほどわからなくなって、結局、長考した割に酷い手を打った、
こんなことは誰でも一度や二度やってしまってるはず。


ごちゃごちゃ考える理屈っぽい男よりも、
時に、女性の方が、過程をすっとばして、あっさり正解に辿り着いたりする。

所謂「女の勘」というやつ。

家庭が危機的な状況に陥った時(経済的に逼迫してる時とか)、
おたおたしている男性よりも、
あっさり旦那を切り捨て離婚する女性の方が生き残ったりするのもそれです。

女性は子どもを守らないといけないので、男性よりも本能に従えます。


どうせ、勘違いするならば、考えてるだけ時間の無駄というやつです。
人生は有限ですから、男というのはそれで手遅れになる場合が多い。






囲碁について説明した際に話しましたが、
人間は神様と違って計算能力には限界がありますから、
最終的には感覚に頼る必要があるという前提で勉強する必要があります。

前提、言い換えれば、高次の「共通ルール」を間違えていては、
その後、どれだけ、考えたり、話し合ったりしたところで、
前進しないどころか、むしろ、どんどんおかしな方向にずれていったりする。

だからこそ、「間違い探し」が重要なんだと、碁の話で散々してきました。

ただ、闇雲に考えても時間の無駄です。
おかしいと思ったら、さっさと現時点での正解探しは諦めて、
過去に遡ってわかりそうなところを基点に考えればいい。

簡単な事から、一歩一歩、着実に、というやつです。
それこそ、猿でもわかるレベルとか。

囲碁に於いては、小細工に頼る事は善しとされずに、
「間違い探し」という基礎の重要性が公然と説かれてるところが優れてる。



世の中にある、あらゆる問題は、「共通ルールの不備」によって起こる。



これは何時の時代も、何処の文化圏でも同様です。

「魔女狩り」のようなトチ狂ったものであっても、
皆が皆、それを正しいと認めている、
悪法であっても、共通ルールと認知されている限りは何も問題とされません。


囲碁で上達するというのは、
碁と自分との間のに置ける「共通ルール」を更新するということになります。







現代にある色々な社会問題というのも、
上記の「共通ルール」の不備によって起きていると考えられます。


『善人であれ悪人であれ、どんな人間にとってもあてはまり、
 この世で最も信用に値するのは、根源的な欲望である。』

『共通ルールを発見し作り出す力(勘違い力)は、間違い探しに依存する』


以上の2つのルールがあまり浸透していないということです。





もうすぐ、「デスノート2」が公開されるらしいですけど、
元祖、新世界の神(自称)の夜神月が敗北したのも、
上の2つのルールの内、一つ目を殊更に無視していたからに他なりません。

もっとも大事な共通ルールを蔑ろにしては、
どれだけ、規制を強化してルールを増やしたところで、大して効果は無い。
(五目並べを打つ人に囲碁をどれだけ教えても意味無いように。)

ライトは、最初は、極悪人の犯罪者だけ死ねばいいと言っていましたが、
怠惰な人間も社会には不要だから、見せしめとして酷い奴は殺そうとしてた。



夜神月の理念
「優しい人だけが生き残る世界」

これに共感してる人は結構いますが、行き着く先は共産主義や社会主義です。
愛なんてものをあてにしてる人は、どれだけ賢くても三流でしかない。



現代の世の中で主流となっているのは「資本主義」です。

資本主義の前提となっているのは、
『人間は自分の欲望には正直で、必死になって行動するため、
 人の欲望を焚き付けて、人の欲望の赴くままに行動させていれば、
 世の中はどんどん発展していって、結果として世の中は良くなっていく。』
というものです。



これは正に上記の共通ルールそのものであり、
人気者や成功者というのも、このルールに従って行動しています。

夜神月だって、他人にはあれこれ文句言いながら、
自分はちゃっかり、「世の中を変えたい」という欲望に従ってるわけで、
そのおかげで有名になって支持者も増えた。

失敗した原因は一つです。

自分は共通ルールの恩恵に頼って地位を得ている癖に、
同じルールに忠実に生きてる人間を怠け者、自己責任の一言で断罪したから。

嫌々、仕事してる人だってたくさんいるように、
皆、自分が可愛くて、自分の欲望を優先させてるんだから、
それを否定するのはおかしい。


前回、ルフィは生粋の選ばれた「魔王」でありながら、
仲間だけは死んでも守る「勇者」でもあると話しましたが、
慎ましやかに自分の身内だけ守って生きれればいいと考えてる人でも、
資本主義社会の中で恩恵を受けて生きている以上は、
多かれ少なかれ、人を利用して食い物にする「魔王」でもあるわけです。

この矛盾があるからこそ、今の社会で生きにくいと感じる日本人が多い。
それで、どっちつかずになって、時間だけが過ぎていく。
気がついたら年寄りになっていて、更に身動きが取れず。

「貧乏でも心だけは自由だ!」
とか言いつつも、実際には・・・





11: 16文キック 2015/03/06(日) 10:01:04.54 ID:PI2wNAzv0.net
遠泳に例えてみた。

●金持ちコース
・優秀なコーチが手取り足取り泳ぎ方を指導してくれる。
・つねに救命艇が併走して、安心して泳ぎに専念できる。
・疲れたら、船にあがって休息も取れる。
・自分が恵まれていることを自覚しているので、意外に謙虚だったりする。

●普通コース
・泳ぎ方は親が一生懸命教えてくれる。
・本人に才能があると、努力した分だけ泳ぎが上達するので、
 「人間は努力しただけ成長する」という思い上がった信念を抱くようになる。

●貧乏コース
・離岸流に逆らって一人孤独に泳ぎ続ける。
・誰も泳ぎ方を教えてくれないので、自己流の犬かきが精一杯。
・ちょっとでも気を抜くと流されてしまうので、満足に休むこともできない。
・さらに親がDQNだと、体に重りを付けている状態になる。
・必死に頑張って水面に顔を出しているが、
 それがわからない普通コースの努力厨に
 「まじめに泳げ、努力が足りない、甘えるな」と説教される。
・挙げ句の果てにはぶら下がっていた親にまで他と比べられ、
 「手を抜くな、やればできる、努力不足だ」と罵られる。





というわけで、今回は、あらゆる生き物に普遍の共通ルールの一つ目、

「人間の欲望をもっと焚き付けて、自由に行動させるべき」

という共通ルールを軸に考えていきます。

二つ目については、次回以降に話しますので、
まずは、
誰にでも身近で納得できる一つ目から。













マイフレのrinyuさんだけにはバレテタ気がするんですが、
僕の地元は単純労働の求人は結構な数あり、
選ばなければ仕事は割と見つかるため、
若者ですらバイトも碌に無いなんていうレベルの地方と比べるとマシ、
割と生き易いと言われている方でした。

今回の話と関係ありませんが、
知らない人はほぼいない某超有名漫画を書いた人の出身地で、
地元のド田舎学校のクラブ活動に出てくれる事もあります。




8年位前?だったか、ある日の夕方、スーパーに買出しに行った時に、
僕位の年齢の息子がいても不思議でないおじさんに声をかけられました。

見覚えが無い顔だったので何だろうと思っていると、

「ここ三日間位、何も口にしていなくて、
 ・・・申し訳ないんですが、少しお金貸して貰えませんか?
 参百円位でも構いませんから。」

と金の無心をされました。


浮浪者なのかはわかりませんでしたが、
見た目はスーツ姿のリーマンっぽいものの薄汚れており、
確かに、食べる物にも困っていそうな感じです。

僕だって財布に三千円しかないし、
いきなりそんなこと言われても、と困りましたが、
断る理由が見つからないので、本人のいう参百円だけ手渡しました。
(後でカップラーメン選んでるのを店内で見掛けました。)



そのおじさんを見たのは、その日が最初で最後でしたし、
慢性的にお金に困ってるのか、
その時だけ、何か特殊な事情でそうだったのか、
そもそも、地元の人間だったのかどうか、
真相を確かめる機会はありませんでした。

ですので、そんな赤の他人の怪しいおっさんのことなんて、
さっさと忘れてしまう人も多いとは思うのですが、
何分、僕、以前も言ったように、超保守的な人間で、
古いことばかりに執着して、新しい事を始められるタイプではありません。

言われた事を言われたままにやる、日本人的社蓄気質で育ったため、
やらなくていいことには極力関らないように意識していないと、
どうでもいいことばかりに時間を割いてしまいます。

「捨て猫を拾ってくるなら、最後まで責任もって面倒見なさい。」

なんて多くの人が小学生の頃に言われる様に、
曲がりなりにも自分の意思で関わりを持った以上、
途中で投げ出す事が出来ませんでした。



というか、誰だってそうでしょう。


日本人は見てみぬ振りが簡単に出来るような教育は受けていない。
だからこそ、視界に入れない、関らない、忘れるようにする、
そのための努力なら出来る範囲でしてるはず。

わざわざ、自分達の税金使って生活保護認めてたり、
目の前で自殺しようとしてる人がいるのを止めようとしたり、
震災で多くの人が被害にあってるの見て募金したり、
身近な人が亡くなって葬式やったり墓作るのも、
全部、自分の心の整理のためにすることです。

世の中には「死んだ方が幸せ」な人だっているかもしれないのに、
相手の気持ちなんて生きてる人ですら確かめられないのに、
それをわかっていてやるのならば、
これが自分のためでないはずがない。


前に話した僕の師匠?の一人も、弱者の気持ちは理解してるはずですが、
震災の時にずっと考えた挙句、一円も募金しなかったらしいです。
(その代わりに他の事に力を入れるようになったようですが。)






というわけで、僕も断りきれずに関与してしまった以上、

「目には目を,鼻には鼻を,耳には耳を,歯には歯を,」

三百円渡した程度の責任を取るのが筋だろうという軽い気持ちで、
後日、ある行動を起しました。





以前に、今でこそブラック会社として有名な「餃子の王将」の某店舗で、
学生は皿洗いをすれば食事代無料にするというのを聞いていました。

それと、オタク男子をネットの皆でプロデュースした「電車男」等、
vipでのアンカーで行動スレとかを思い浮かべた。


で、この「気軽さ」を組み合わせて何か出来ないかと考えた。


何しろ、僕はあのおじさんに対してほぼ義理は無いわけですし、
(300円を渡してしまった事で無駄に生き延びさせたかもしれない程度)
仮に、僕に自由に動かせる人と金があったとしても、
ホームレス支援のNPO法人とかを作るような気はさらさらなかったので。

僕は日本人らしいよくわからない植えつけられた罪悪感から生じる義務感、
これをどうにか解消したかったわけです。






僕がやろうとしたことは以下です。



Twitterは確か当時は無かったと思うのですが、
最初に、mixi等を介して地元の飲食店に情報発信をしてもらいます。

いくら勤め人より時間の融通が利く自営業とは言っても、
飲食店の場合は、毎日決まった時間は稼ぎ時で手が離せません。

ちょっとした用事がある場合なんかは困ります。

・子供が熱出してたいしたことはないけど、一応看病しておきたい
・僕が子供の頃と違い、今は不審者に対する警戒が強く、
 集団登下校で保護者が交替で同伴しており、自分の番が回ってきた
・親友と言う程ではない、地元の知人の結婚式の数合わせに呼ばれてる
 来てくれるだけでいい、と頼まれてるけど、自分である必要が無い
(実際、今は友達いない人も多く、糞高い友達代行ビジネスがある位)
・買いたい物が50キロ位離れたとこにあって、自分では行きにくい
(プライベートな物は勿論、同業者の持ち帰りしてる店の商品の味見とか)
 
他にも、車のちょっとした洗車とか、犬の散歩とか、子供の遊び相手とか、
慣れてる人なら苦もなく出来たり、むしろたまにやる分には楽しくやれたり
そんなことは幾らでも考えられます。
(宿題代行なんていう、国に喧嘩売るような商売してる人に比べれば普通)



なんとか時間を捻出するにしても、時間的にも精神的にも、
この程度の事で仕事を一度抜け出そうとするのは何とも効率が悪いです。


そこで、それを手伝ってもらう人をネット上で募り、
お礼として、自分の店で無料で食事していってもらう。

普段は行く理由が無い店をお金をかけずに試す事が出来るなら、
庶民にとってはなかなかに魅力的な話のはずです。

実際、2chで結婚式の友人代行を頼んだというスレで、
「俺だったらギャラなしでも、式場で無料飯食えるだけで行くわ」
というレスがあった位ですし、暇はあっても金は無い人は幾らでもいます。

ホームレスみたいな、繊細な仕事を任せるには不安な人に対しては、
飲食代だけではあまり得したと思えない、きつい仕事を任せればいいです。
それでも、そういう人は喜んでくれるはずです。
(地元の子ども会主催の、祭り会場の設営を二時間とか、男手がいるもの等)


店としても、仕入れの都合で使いきれるか不安だけど、
たまたまある時期に安価に大量に手に入る食材があったり、
(野菜なんかは特にそうです。大量に余って捨てるしかない農家も助かる。
 ココイチの産廃業者横流し問題とか、ああいうのも減るのが予想される。)
広告を出したりするよりも、遥かに安上がりで宣伝することが出来るなら、
試してみる価値は十分にありそうです。


マックのハンバーガーが59円だった時代を知ってる人はおわかりのように、
(中高生が一度に百個注文してバイトが脂肪したり)
デフレ路線で突き進んでも自分の首を絞めるだけで非効率的です。

競争はいいし、どんどんすればいい、カルテルはイクナイ。

だけど、金を儲けるために仕事をしてるのに、
その金を減らすというのはおかしい。

金を手にするために金を捨てるというのは、捨石戦略としては下の下です。

厚み派と実利派が打つと、お互い、満足するし楽しめるように、
最終的には実利を求めるにせよ、負担を背負うのは金である必要はないです。


自分の店を宣伝するにしても、
安易な安売りに頼らなくて済むならそれにこしたことはありません。

何十年も続いてる老舗なんかは常連客で回しているため、
高額商品中心の高利益を実現でき、結果、生き残っています。

どうせやるからには、搾り取れるものを、搾り取れるところから、
徹底的に互いに搾取しあう、これが資本主義というもの。
(それを信頼関係だとかなんとか綺麗に言い直すのは構いませんが)



僕が、自分も含めて、参百円程度のリスクで始められそうな事といえば、
これくらいしか思いつきませんでした。
(飲食店は食材の原価自体は他よりは安めなので)


最初は、飲食とかで始めたとして、それが普及していったら、
他の業界でも真似出来るんじゃないかとも考えました。








で、それを提案しようと一軒一軒回ったんですが、
結論から言えば、碌に話も聞いてもらえませんでした。

僕の見た目や雰囲気や振る舞いが人を惹き付けるものではない、
口下手で挙動不審のキモオタだとか、そういう理由はともかくとして、


「どこの会社の営業の人?」
と訝しがれて、敬遠されました。

組織の人間というのは組織同士で付き合ったりするように、
社会的な地位や肩書きが無いと、人は動かないんだなと知りました。

起業して積極的に資本主義社会に参画している人でも、
何だかんだ日本人は勇者タイプの人が多く保守的。
(ホリエモンとか井戸実のような典型的な魔王タイプの人の方が、
 何処の馬の骨ともしらない素人の若者の相手もするようです。
 ビジネスチャンスというのは何処にでもあるというのを知っていて、
 それを利用して個人の力でのし上がってきた人なので、
 どんな人間であろうとも、利用できるもなら何でも利用としてる。
 そのせいで喧嘩も多くなってるのかもしれない。)

今も、ネットですら、皆、友達同士でつるんでひきこもってたりしますし、
日本人に話を聞いてもらうと言うのはどうやら楽ではないようです。
(ネットの本当の意味での普及はこれからだと識者の間では言われてる)

日本人の引き篭もり体質については、昔から他の国に言われてることですが。
(中国人は日本人以上の引き篭もりの癖に、仕事は超アクティブなのが違う)



まあ、そういうわけで、
会社の中で自由に動く地位を手にしたり、起業して自分で会社作るのは、
人に勝つためとかではなく、人に話を聞いてもらうための、
(他人を)勘違いさせる力を手にするためなんだなと、
若かりし頃の僕は学ばせてもらったわけです。
(少なくとも日本に於いては)

ただ、だからといって、所詮は300円の義理しかないんですから、
これ以上の責任なんて負う気にはならず、
広告会社に入ったり、自分で会社作ったりするはずがないんですが。

ダメならダメで即効で止めるまでです。





本題はここからです。


当時の僕の見積もりが甘かったのは認めますし、
一般的な社会常識が欠けていて信用が無かったのは分かってますが、
当時と違い、年寄りでもネットある程度使うようになってきた今でも、
不思議な事に誰も僕が考えてるようなをやっていないんですよね。

サラリーマンや公務員と違い、店を潰すわけにはいかないんですから、
誰かが考えそうなものなのに、何故か全然そういうのは聞かない。


最近の話なのですが、
皆の地元にもあるかもしれないですけど、
「ランチパスポート」っていう、
地元の店の100件近くが載っていて、
数百円安く提供することで新規客を集めようとしてる本があるんですけど、
主婦やリーマン等、結構な人数がそれを利用してるんですよね。

出版社は数百円で人の心を買うように店に勧めて、
この値段でしか利用しない一時的な客に本を買わせて広告収入にしてる。
(たくさんの人が喜んでるんですから、いいですよね^^
 みたいにfacebookとかでは言ってます。
 そりゃ、誰も得しないなんてことはないでしょうよ、何をするにせよ)

100件中、片手で数えられる位の店は、他よりも値段の割りに魅力的で、
その後もたまに利用されるようになったりしてるようですが、
殆どの店は、新しくランパスに掲載される店の方に客を取られてるようです。

短期的な利益が欲しいのかな?とも考えたんですけど、
開店して直に掲載メニューは売り切れたと断ったり、
思った以上にランパス客が来て、あたふたして30分とか待たせたり、
なんていう話がネット上には転がっており、
ランパス利用の客相手に儲けようという感じは見受けられませんでした。


主目的はあくまでも新規客の開拓にある気がします。



客を呼ぶ事自体には成功してはいるんですよね。

たった数百円の割引で、普段は見向きもしない店を利用してる人が大勢いる。
店によっては30キロ以上距離があったりすることもあるのに。
(ガソリン代は100円下回っても時間が勿体無い)


これが上手くいくなら、僕の考えたことだって上手くいくと考えて、
誰かがやっていてもおかしくないはずなのですが、
何故か、不思議とそんな話は全然聞かない。

ネットを宣伝に使ってるところでも、
Twitterでいいね!おした画面を見せたら百円引きとかしかしてなかったり。


http://president.jp/articles/-/17312


新しく来た人を次に繋げる為には、ただ、割引するだけでは弱いんですよね。

何故なら、客は最初から割り切った関係として利用する気満々なんですから。

僕がホームレス風のおじさんに罪悪感を覚えたように、
直に忘れ去られない工夫をしたほうが、次も利用される可能性は高いです。

犬の散歩だとか、子供の相手だとか、自分で選んで好きにやった代価として、
無料で利用させてもらった場合の方が、
こんなことで恩恵を受けていいのかな?と気になると思うんです。

人によって価値が違う行為を、お金に換算することが難しいから、
自分の中に浮かんだ矛盾が気になって仕方が無くなる。

魔王タイプの人とかなら、利用できるものは利用してしまえ、と、
そういうのも気にしない人はいるかもしれませんが、
保守的で形勢判断ばかりしながら、一歩ずつ前に進む勇者タイプの人は、
そういう矛盾を抱えたままで前に進むのは難しいんです。

勇者タイプの人の心を占めているのは、そういった矛盾に対する葛藤です。
(ナンパのテクニックだとか、詐欺師の手法としても、そういうのがある)

それをなんとかやりくりしながら生きるのが勇者タイプです。



営業やってる人や詐欺師とかが最も契約を取りやすい相手というのは、
玄関を開けずに、頑なに話を聞かないタイプだともテレビでも言ってます。

赤の他人は無視して知り合いの言う事だけ聞く、引き篭もりタイプの人は、
一度、懐に入ってしまえば、あっさり陥落できるらしいです。

自分の行動を何とか正当化しようとする、自分の中の矛盾を無くそうとする、
そんな理屈で動く勇者タイプは、
同じく頭を働かせて人を操る人には簡単にどうこうされます。

オレオレ詐欺や、恋愛詐欺とかに、これだけ引っかかるのも日本人位です。



僕が失敗した要因を一言でまとめてしまえば、
客商売をやってる人はそういう事を理解していてると思い込んでいたことです。
だから、思いつきで行動して爆死した。










http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/145451...

http://kazokuchannel.doorblog.jp/archives/43736369.html

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1456317787/


これとか、ブラック企業で過労死したとかいう話ってありますが、
「断れない方もバカだなあ」と思ってる人いませんか?

冷静に考えたら、どう考えてもありえないことをしてしまってるので。

でも、これから先も、こういうのは減らないと思うんです。
自分の選択を正当化しようとして、引き返す事が出来ない日本人程、
いざ、自分が同じ状況になったら、同じようになる人は大勢いる。

そういった事がどうして起きてると思いますか?




僕は、最初は、世の中って言うのは色々と複雑な事情が絡み合っていて、
個人の力ではどうにもならないようなことが支配してるのかと考えてました。

だから、「遊び」でやってる囲碁ならば、
誰でも「自由」に振舞えるものだと思ってた。


実際はどうかというと、そうとも言えないのは今まで話してきましたが。
遊びの世界ですら、むしろ、遊びの世界の方が、格差ははっきりしてる。



「雇われの身や上司に使われてる立場では自由に振舞えない。
 起業してとりあえず生活していけるようになれば楽だ」

と言ってる人はちょくちょく見ますが、本当にそうなんでしょうか?

本来、会社員は社会人より一段階上のはず。
「会社員」というだけで、相当な権力があるはずなんですが。

年収数億円の個人企業家よりも、中小企業に勤める人の方が、
社会的な信用はありますよ、銀行とかでは。





goxiで最初にプロフィール欄を見るのを勧められているように、

「昨日出来てないことは今日出来ない、
 今日出来ない事はいきなり明日出来るようになったりしない。」

殆どの人はこういった「共通ルール」を持っているはずです。

プロフィールや履歴書を見て、他人を評価し、判断する。
そのことに何の疑いも持っていない。



だとしたら、わかるはずです。

普段の遊びですら出来ない事が、リスクのある仕事で出来たりはしないと。

若い頃に力が無いという理由で出来ない事が、
歳を食って偉くなったからといって出来るようになったりしないと。


中学生の頃は、「こんなバカな大人になるもんか!」と反発してた人も、
実際、自分がその年齢になってみると、
自分がバカにしてたような人と同じようになっていた、
そんな話は、大昔からよくきくことで、何度も繰り返されてきてます。

「三つ子の魂、百まで」

人間なんてそう簡単に変わるものじゃないんです。
人によって、出来る事と出来ない事がある。




僕の師匠?は、
「俺たちみたいな人間が出来上がるのは相当なレアケースだから、
 自分の基準を前提として、他人にそれを期待しちゃいけない。」
と言ってますが、それは大げさだろうと思ってました。


僕のやってる事は当たり前の事で、普通に考えたらこうなるしかない、
僕みたいなダメ人間ですら出来る事が、
僕以外のまっとうに長い間生きて来た立派な人に出来ないわけがない、
出来ないのだとしたら、何か深刻な事情があるに違いない、
だとしたら、囲碁とかの遊びなら出来るだろうと思ってました。


ですが、どうも、それこそが人を蔑ろにしているようだっと反省してます。


「信じるのは人や世界の可能性であり、
 そのためにはちゃんと目の前のモノの価値判断をしないといけない。」


クリスマスを無宗教の日本人が祝うようになったように、
人の欲望を軸にしたシステムが一度普及してしまえば、
あとは大衆の好きにさせておくだけで、勝手に世の中はよくなっていきます。
(クリスマスのおかげで、日本に金が回るようになる)

そこに至るまでは時間はかかるかもしれませんが、
今の時代、特別、リスクを背負わずとも、
その気になりさえすれば小さな子供でも出来る事はあります。


「この程度の事が出来ていない人が多い」と絶望するか、
「この程度の事が出来てないなら、凡人でもやりようはある。」と希望を持つか。





僕が昔考えていたようなことが普及したとしたら、
今ある大抵の問題はなくなると思います。

現代は隣人のことすら気にしないせいで、
防げたかもしれない事件すら止められないとか言われてますけど、
毎日近くを通りかかっていたのに気にしなかった人とか、
普段から目が向かうようになり、治安向上にも繋がる。

友達が多いとか、ちょっと影響力のある人が、
酔っ払って気分が大きくなった位で出来る事をすればいい。
(Twitterでちょっとやんちゃして炎上してる人はよくいる)
一度、火がつけば、後は何をやっても自由な資本主義の元、
人の欲望を軸にしたシステムは勝手に回りだします。

安売り競争の消耗戦をやるよりも100倍楽です。

たかが数百円を必死に追いかける人がたくさんいるように、
目の前に餌が釣られさえすれば、誰でも動く。

得をしたい、認められたい、楽をしたい、
他人に対する愛情なんて最初は無くとも、欲望にだけは誰もが忠実です。

男女が恋愛するのも、所詮は、生物としての本能からですし。
(殆どの男は有村架純そっくりの男の娘を恋愛対象に見れない。
 同性愛こそ本能を乗り越えた真の愛・・・!!!)

小銭稼ぎなんかでそのエネルギーを消費するのは勿体無い。

資本主義社会で生きると決めてるならば、もっと好き勝手に生きるべきです。
人に優しくだとか、親切にだとか、そんなことを考える必要性は薄い。



日本は高齢化社会が進んで、若い人はどんどん減り、
「社会的弱者」の負担が増しているのは事実ですし、
これ自体はそうそう変えられません。

単純な「量」に関しては衰える一方。
其の分「質(手数、量)」を上げる必要がある。

日本人は他人の目をきにする保守的な面がありますから、
客と従業員が対等な立場で気軽に付き合えるようになり、
多くの一般人が出入りして風通しがよくなりさえすれば、
閉塞感から内部の人間が追い込まれる事は減り、
色々な事が試せるようにもなるのが予想されます。


僕が障害者の支援施設とかに疑問を抱いているのも、
そういった考えからです。

他にも、中学生にお客さんとして職業体験させてるのも同じ構図。


それをさせてる方は勿論のこと、
それをさせられてる方だって我慢してるかもしれない。



そんな押し付けがましい、非効率的なことをせずとも、
本人の意思で、何時、何を、何処で、誰とやるかを決めさせて、
学生、主婦、無職、その他の人を、
日常的に労働力として使役出来るシステムを作る方がいいと思うのです。



僕には全くもって共感できないのですが、
実際に経験してるからわかってることとして、
お年寄りには、誰でもいいから話し相手とかを求めてる人もいるんですよね。

初めて会う僕を家に入れて、お餅食べさせたりとか。

最初は意味不明で戸惑いましたが、
(僕のやってるのは、お爺さんが焼いた餅と菓子食べてテレビ見てるだけ)
何もせずとも、孫に雰囲気が似てるとか、
たぶん、ちょっとした理由で選んでるんだろうなと思います。

そういう人にとっては、健常者も障害者も大人も子供も関係ない。

老人ホームで障害者の人と碁でも打ってリラックスしてもらってる間に、
社員の人が身の回りの世話を手早くこなしたりとか。
そういうことも出来るのでは無いかと思います。

世話する人と世話される人、お客さんと店員、指導する人とされる人、
そんな関係でだけ、社会を回そうとしてれば、
一生、気付かないのかもしれません。



ですが、現状は、健常者同士の遊びの場ですら出来なかったりする。
(囲碁界でいうならば、筋のいい碁が打てる人を増やすべく、
 まがりなりにも日本棋院が出してる、
 依田さんの筋場理論をひと目の詰め碁並に普及させるとか。)

繰り返しますが、
それは結局、たった一つの「共通ルール」が共有されてないからです。

「欲望」よりも「愛」のようなものを中途半端に優先するからそうなる。
(お客様は神様ですみたいな。客だって人間なんだから競わせるべき。)

善人であれ、悪人であれ、関係無い。
「やらない善よりやる偽善」というのも、ここから来てるはず。





というわけで、次回は、残り一つの、

『人間は他の動物よりも知性や理性があるばかりに、
 合理的であろうとすればする程、合理的ではいられなくなる』

これについて話していきます。


今回の話は、いってみれば、「対処療法」です。
(誰かが損するようなものは姑息的療法とか言われてますが。)

悪人であろうとも、弱者であろうとも、利用出来る範囲で利用すれば、
世の中にとっては必要な人材になりますし、
ビジネスが人を幸せにする、というのも、そういった理由からです。

表面的な社会問題については、
「力」のある人が一度そういう流れを取れば解決できます。
(実際には、2つのルールどちらも理解していないと、
 やるだけの力があったとしても、まず自分からはやらないですが)



次からは、考えれば考えるほど深みに嵌る、
個人的な悩みに関ってくるものです。

頭で考えて色々な事を気にして動けなくなる勇者タイプの人程、
この共通ルールについて考える必要があると考えています。

人の欲望を利用するのに長けているのは魔王タイプですので、
会社を大きくするまでなら、魔王タイプの方が優れていますが、
それから後、会社を守る、細く長く続けていくいくとなったら、
勇者タイプの人の方が、このルールを武器にすることが出来る。

こればっかりは、テクニックとか勢いとかだけでは誤魔化しが聞きません。


僕が今のように超日本人的、超保守的な引き篭り体質になった話でもある。

僕は普通に考えて、自分に出来ない事はまずやりません。
簡単な事を難しい事より優先します。
今ある手札だけで勝負したい、ギャンブルなんて出来る事ならしたくない。

同じ事をいいつつ、無茶な事してる人が昔から不思議でならないのですが、
なんて事は無い、引き篭もりといっても、二種類のタイプがいるんですよね。

勇者としてしか生きられない、街にすがついていたい凡人でも、
「超引き篭もり人」になることなら出来る。













http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/470645/ 
千葉県出身、神戸市在住のYさん:会社員→哲学者(28)
「恋とはニセモノだ、装飾品という偶像に惹かれているに過ぎない」
「天は僕の下に道を作らず、僕の上に道を作らず、僕の中に道は出来る。」

日本変態倫理委員会会長(79)[前科五犯]
「まったく、仏の顔も三度までですよ!
 次で本当に終わりです!
 二度と人として生きられるとは思わないで頂きたいですね!」




こういう普通の人が出来ないことを平気で出来る人も、
何かしらの使い道はあるんだろうなあ。

ドブ掃除を任せたら抵抗無くやってくれたり。
「見せパン」が流行ったり、多少のご褒美は許せる社会なら尚更。
ぃーね!
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