松江大好きさんの日記

(Web全体に公開)

2011年
05月20日
10:10

目標について考える(mixi日記より)


目標について、考えて見たい。
人はいろいろなことを実現するために、目標を立てます。
最終的に、Aと言うことを実現したいとすると、すぐに到達可能な目標であれば、Aを目標にしますが、簡単な目標でない場合は、手順を考えます。
1.その目標を達成するのに、必要な条件は何か。
1.その目標物には、どのような構成要素があるか。
1.その最終目標を達成するのに、必要条件や構成要素に優先順位をつけます。
1.必要条件・構成要素・優先順位を考えながら、工程を細分化します。
1.具体的な作業に入っていきます。

PDS もしくは PDCA のサイクルを回しながら実行していくことになります。

チームなど、複数の人間が関わる必要がある目標の場合は、特にこのような事を考え、それぞれの段階を共有化する作業を事前にしておけば、最終目標を達成しやすくなります。

このような作業を行うことを、コーチングの世界でチャンクダウンと言います。
大目標が目の前にあるのに、その場ののりで小目標を決定しますと、大目標の共有化が出来ていないので、その場の小目標にこだわりすぎるようになってしまいます。

例えば、個人ベースで囲碁の上達を願った時のことを、考えて見ます。
チャンクダウン作業を行えば、自分が何をどの程度優先順位をつけて行うべきか、見えてきますし、停滞したときは何が原因かを考え、必要だと思えば先生に教わりに行くようにして、なるべく停滞をsくなくする努力をしながら、進歩させていくことが出来るでしょう。

ところが、多くの人が例えば詰碁を行えば良いと聞けば、詰碁で何を身につけようとしているのかすら考えずに、詰碁に邁進してしまいます。
子供であれば、模倣の天才ですから、理由は分からずともあっというまに上達することが出来ますが、大人は理由が分からないことを、黙々とし続けてもなかなか身につけることが出来ないのです。
また、詰碁を解くときでも、格好が良さそうな置きだとか、特殊な手に先に目が行くようになってしまいます。
何のために、詰碁を学ぶか全く考えずに、詰碁だけが目的と成っているので、こう言う発想になってしまうのです。
実戦で、相手を殺す場合、級位者の碁の場合は圧倒的に面積不足にすれば、死んでしまうのが正解であることの方が多いのです。
また、面積不足を狙って、読みの力が足り無くて生きられたとしても、損失は最小限ですみます。
段位者の場合、面積不足で死ぬ割合は減ってきますが、これは事前に面積不足では生きられないという了解事項が、対局者双方にあるからなのです。

囲碁において、生き死にはとても大事です。
でもその他にも大事なことが、たくさんあるのです。
他の大事なことの、最低線をクリアーしたら、詰碁の優先順位はどんどん上がってきます。
目標が、囲碁が強くなることだとするならば、必要な考え方だと思うのですが、このように考えられる人が、非常に少ないのです。

実社会においても、このチームは何を最終目標にしているのか、これを念頭において活動しているチームはとても強いのですが、なかなかありません。
チームリーダーが、最終目標をはっきり理解して、そのことを念頭に置いたアドバイスができれば、チームは有効に働いていくと思いますが、とりあえずの目標達成だけを考える組織になってしまうと、何が成功かの判断に誤りが生じてしまうことが良くあり、当面の目標はクリアーしたけど次の目標はどのように立てましょうと言う事態になってしまうことが良くあります。
ぃーね! (2) 天和  ^^; 

コメント

2011年
05月29日
14:04

1: 天和

囲碁の場合目標が難しいんですよね
「強くなるため」ではなく「勝つ」が目標だとしますと、構成と要件を考えればすみますけど。
強いと勝つとは似て非なるものがあると思います。
5級レベルで勝つ=強いとすると初段レベルではまた違う要素があるかと。
さらに5段6段それ以上になるとまったく違う要素が必要になります。
そこに至るにはまず基本が大事。
あとは、個々の創造力ですかねー。
そのレベルレベルで変われることが最大の強くなるための構成要件だと思います。
盤面も、構想力も変化することが必要です。
初心者は、プロの手をまったく理解できないように、
それぞれのレベルで
それぞれの上手を克服しないと上には上がれません。
高段者になるためには、個人の得意分野まで必要になります。
コーチングで測れるものなら楽ですが、それぞれの必要な目標が常に違ってきて、なおかつ個性が必要になりますから、
「強くなるためには」苦悩が必要要件ということになりますか。

そうなると各人の目標点は、通過地点であり、最終目標は「神の一手」ということになります。
それはプロでさえ分からないことですから、万人にはとても無理

己がいいと思う手をヨミ、打って負ければ反省する。

「間違えた」は、
ヨンでない人の言葉として考えています。
ヨンでいれば間違えではなく、「分からなかった」だと。
局勢判断も含めてです。
共通の目標がないところが、囲碁の面白さでもあり、難しさ
でもあるかと。
個人においても目標は、常に変化します。
変化ない人は停滞し、上がらなくなる
そして最後には才能が足らなくて上がれない
哀しいけど現実かと。
ノウハウでは強くはなれないのが囲碁です。
盤面の石にどれだけ「命」を与えられるかが棋力の差だと考えています。

棋譜作成
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