松江大好きさんの日記

(Web全体に公開)

2011年
05月27日
13:45

教わる・教える


人生において、人から教わること、人に教えることいくつになっても、一人の人が、オールマイティではあり得ない以上、いろいろな機会で起こります。

学校では、気持ちよく教わる事が出来たのに、社会人になると教わるのが苦手になってくる人が多いです。(学校時代から、教わることが嫌いな人の方が多いのかな?w)

学生時代には、将来どのような形で役立てるかわからないまま、定期試験と言うハードルを設けられているため、無条件に何でも教わる必要がありましたが、社会人になってからは特に必要性を感じて、もしくは趣味をより楽しむためや教養を身につけるためというように、はっきりとした目的意識を持って、取り組むようになります。

目的を、はっきり認識できないで物を教わることには、誰しも抵抗しがちです。お互いにこういう不幸な事態になったときには、教育は失敗に終わることが多いでしょう。
教える側と、教わる側での目的の共有と、信頼関係が社会人教育にはより必要になってきます。
目的の共有は、契約と言っても良いでしょう。

目標を道程まで含めて分解し、きちんと双方で事前にはっきりさせて契約を結べば、教わる側も目標がはっきりするので、途中過程での自助努力もし易くなります。教育において、教わる側が目標を理解していない、一方的な押しつけでは、不満足な結果になることが多いのです。
ぃーね! (1) 天和 

コメント

2011年
05月27日
14:40

1: クニ

今自分が、教わる側として
とても悩んでいたので、
真剣に読みました。

目的の共有と信頼関係…
本当にその通りだと思います。

私自身が、きちんとした目標を持たないまま
人に教えていただくのは論外ですが、
教えてくださる側も、
目標をきちんと理解して
その手助けをするのだと解釈してくだされば、
「手段」はどんな形であっても、
お互いにとって充実した時間になるでしょう。

それ以前に、私の場合、
教えてくださる側の人物に、
もっと積極的に信頼関係を築きたいと、
伝えることから始めるのがいいのかもしれません。

とても心に響いたので…。
長くなって失礼しました。

2011年
05月27日
15:13

クニさん

喜んでいただけて何よりです、相変わらず雑学が好きな物ですから、雑文を書いてみましたw。

棋譜作成
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