私は15年ほど前、”剛腕”で知られる さるxx一流プロの指導を受けていました。 参加者はアマの2~5段くらい、いわゆる碁好きの’一般アマ’です。
みなxxプロの事はよく知っており、どうしても手がチジこまってしまいます。
ある時、打ち上げの飲み会で、酔ったxxプロが言いました。 『なぜあなた達は、思い切って打たないのか?』、『私はプロなのでどうしても打つ手に制約を受ける。
でもあなた達は何も失うものはないはずだ!』 と。
確かにプロの言うとおりです。愚直なxxプロの事、言葉に他意はありません。
でも、、、
「違うんですよ、先生!」
「アマだって失うものはある」
「というか、少しのプライド(^^)といのか うーん分かって欲しい^^」
その’幼稚なプライド’が上達を妨げているのかもしれません。でもそこにはその人の人生があるんです。苦しくてもなんとか頑張ってきた人生が!
プロ中でも豪腕をうたわれる人に、玉砕覚悟で行く事などできないんです。たとえ碁がゲームだとしても。
一般アマも”人生”を背負って碁を打っているんです!。
コメント
12月23日
22:11
1: 学園先生
どちらの意見もわかるような「気が」しますoo^o^oo
12月23日
22:44
2: 風鈴(永眠)
自分をもっと解き放ちたい…変態的な意味ではありません(´・ω・`)
12月23日
22:53
3: 鈴鹿本因坊
>>学園先生
そうですね、ただあまり指導碁を打たないプロの方にはアマの気持ちも理解して頂きたいですね。
>>風鈴さん
だいぶ次元の違う話ですね^^
何から自由になるか 例えば①常識 ②前例 ③経験
それを踏まえて、あえて未知の世界へ挑戦するということでしょうか。 碁を打つ楽しみでもありますね。
12月23日
23:37
4: やじるし
アマだからこそ、日常の比重が大きい。ということになるんでしょうか・・・・。
失うものがない場面って、日常でもよくあります。
でも、なんか、背負ってます・・・(笑)
12月24日
02:20
5: ゆかりか
なるほど~(@_@)
言われてみれば、初級のゆかとか何も失う物は無いんだからもっと自由に打ってもいいはず!!
勝ちたいって気持ちがかえって手を縮こまらせて、上達の妨げになってるのかもしれませんね。
失う物がない今はもっと自由に打っていいんだ♪
12月24日
08:54
6: 鈴鹿本因坊
>>やじるし さん
’失う物がない’というのは童心だけでしょうね。大人になると世間体というと変ですが、何かしら背負ってますよね。なので碁を打っても定石(≒常識)を求めたがるのでしょう。そこからどこまで脱皮できるかですね。
>>ゆかさん
初級だからよけいに選択枝が少ないという事はありますね。棋譜並べや勉強をするのは選択枝を増やし、広い発想を得るためかもです。何も下地がないといくら”自由”といってもどうしていいか分からない。
ピカソは少年時代にすでに絵画の基本を会得してるんです。その上で世の中の醜い現実に対して”爆発”した^^。
12月24日
13:24
7: ゆかりか
鈴鹿さん、そかぁ。
自由って知識から生まれてくる感覚の事なんですね。
無茶苦茶とはちょっと違うのか^^;;