今日はタチ君という若い碁好きのお伴で中村本因坊に行ったのだが、ここで偶然にも旧知の渡会さんと会う事が出来た。
渡会さんについて少し書いてみたい。 彼はかの梶原大先生の門下。先生も惚れた才能だったと聞いた。しかし不運にもプロになることが出来なかった。
私は20年ほど前の東京時代に知り合い、何度も当時3子で打ってもらった。毎回驚いた記憶がある。 それは他の人(プロも含め)には全く感じた事のない感性だった。 ”芸術家”というのだろうか。『まだ黒が少しいいですね』とかいう おざなりの発言は一切ない。うまく表現できないが”石の心”とか”物語”という感じなのである。
それから私も彼も中部圏に移った。 当時愛知県大会といえば、決勝はたいてい 渡会ー森洋喜戦だった。 ただはた目に観ても、明らかに差というか違いがある。森さんはいわゆる努力を重ねたアマの碁、渡会のは”才能”で打ってるような碁である。 結果も3度やれば2回は渡会というものだった。優勝して寂しそうに笑っている顔が印象に残っている。
それがここ数年、”渡会”の名を聞かなくなった。
そして今日の”再会”である。 彼とは同い歳だが、何をやっているのか、随分老けて見える。
2子で打ってもらった、私も一生懸命打った。昔は3子ではまるで歯が立たなかった。つぶれなかっただけ、よかったとしよう。 彼は昔から無口である。 1点だけ黒の悪手を指摘して、あとは寂しく笑っていた。 その碁会所には毎日顔を出すそうである。 趙さんや六浦さんにつぐ点数で打っており、先生待遇なのなであろう。
プロになっていれば という話は昔随分した。 今は静かに生きているのだろう。
少し安心した。 そんな日でした^^。
コメント
12月07日
10:18
1: TAUC
懐かしいお名前を見ました。
度会さんが大会に参加されていた時期に、何局も棋譜を見たことがあり、私も大会で当たったことがあります。
まさに玄人筋の碁といったイメージで、実力は勿論ですが当時の普通の県代表のアマとは何か違うものを感じていました。
現在も名古屋にいるとは聞いていましたが、大会には参加されていないのですね。
12月07日
11:16
2: りょくいん
碁の縁って、特殊な「つかず離れず」、ってところがありますよね。相当の時間を一緒に過ごしていたり、強く意識したことがある存在なのに、いわゆる個人情報に関することはほとんど知らない。でも、年賀状をやりとりしている知己と同等以上に消息が気になる関係。親密で、でも、疎遠な関係。。。。
12月07日
11:25
3: 鈴鹿本因坊
>>TAUC さん
大会には参加してないそうです。
TAUCさんもやはり他の人と違うものを感じるのですね。
愛知の強豪の話では『県大会は余裕で勝っていた』とのこと。
ただ昔、本人に聞いたのは『極端にプレッシャーに弱いのだ。』という事でした。 本当に勝とうとした時、うまくいかなかったのかもしれません。 難しいものですね。
12月07日
11:31
4: 鈴鹿本因坊
>>りょくいんさん
なるほど うまいこと言うね^^。 その通りです。
この渡会さんもそうだし、 あと富山県代表だった北村さん(どらちゃん)。ずっと追いつきたくてやってましたから。 亡くなられた時、本当にショックだった。 会った事もないのにね。
碁縁というのやつかな^^。
08月14日
21:11
5: pin7xp
ふろまーじゅさんの日記で知った中村本因坊
いろいろなドラマがあるところでした 驚き!
シンクロニシティかな?