「小2」 相変わらず囲碁の勉強は嫌いです。でも大会は好き。
二段くらいだった。うー、あまり思い出がない。
父親の実家のほうで少年少女で佐賀県代表になったくらいだろうか。(←これすら曖昧、3年生のときだったか?)初めての東京行きでディズニーランドに興奮。(でも、ジェットコースターは苦手)。
このあたりから囲碁の勉強をすると小遣いがもらえるようになった気がする。
「小3」 相変わらず囲碁の勉強は嫌いです。でも大会は好き。
三段くらいだった。長崎県で少年少女代表になったのだろうか。日本棋院での全国大会で悪手を打つと、壇上から覗き込んでいる父親の顔がゆがむことだけ覚えているが、あとはよく覚えていない。このころの大会の写真があって、見てみるとのちのプロ棋士などもいて面白い(笑)
ディズニーランドには行ったかな。
このころは、囲碁を頑張って、お小遣いをためて、ファミコンのソフトを買うのに一生懸命。
このあたりで雲仙普賢岳が噴火!!!
屋外のプールは使用中止。このころから水泳が苦手になる。
「小4」 まだまだ、相変わらず囲碁の勉強は嫌いです。大会は好き。このあたりからはかなり記憶がある
四段くらいだった。地元のNBC大会で四段で優勝したような・・・。このあたりから母親の新聞切り抜きが多くなっている。
少年少女で長崎県大会で優勝して代表に。ご褒美にマウンテンバイクを買ってもらった。兄貴も中学生で長崎県代表。毎年恒例のディズニーランドには行くが、そろそろ飽きてきている。
3年か4年は微妙だが、年上の従妹に連れられて、緑星学園(東中野)に行った。駅からの道に迷って大変だった記憶がある。緑星は正座やマナーが厳しく、すぐに嫌になるが親が行けというので2日か3日続けて行った。今、考えるといい経験だった(笑)
そして、終わりか始めのミーティングのような時間のときに、
先生 「では今日の掃除当番(多分掃除機係)をやりたい人~?」
と言ったときに、自分の周りの生徒は全員が手を挙げた。それに衝撃を受けて、今でも忘れられない。
なぜだか、姉(次女)も一緒にいたような・・・(笑)二人で顔を見合わせた記憶があるが気のせいだろうか・・・。でも、今考えるとなぜ次女がいる・・・?10級くらいでやめたはずだが・・・。でも、全国大会に合わせて一緒に東京へ遊びに行ったのでそのときだろうか。巻き添えを食らったのだろう(笑)
4年くらいだったと思うが、長崎市内の病院にて子供数人が集まって、高原先生に毎月指導碁を打ってもらっていた。多分、子供の前に大人の部があったらしいので、院長さん含めて大人の方々が謝礼してくれていたのではないだろうか。毎回の送り迎えをしていた母親に聞けば分かるかもしれないが、知らないほうがいいこともあるはずだ(笑)
人生の岐路編へつづく
コメント
08月17日
13:02
1: はずれやま
小1の1年間で初段になってから、毎年1段ずつ上がっていたんですね。
08月17日
13:21
2: 長崎美人
雲仙普賢岳が噴火した頃、私は五島(有川)にいた。
名前は聞いていたが、不思議なことに子どもの時のかずも君は知らない。行き違いがあって初めて会ったのは、ずいぶん後だよね。
08月17日
15:45
3: ちゅう
大会は好きって、わかります。
08月17日
17:13
4: かずも
はずれやまさん
小1の夏休みに一気に上達した感じです。囲碁の勉強があまり好きではなかったので、のんびりと昇段したのでしょうね(笑)
美人さん
確かに美人さんとは子供のころの記憶がないですね。行動範囲は長崎市内なら、深堀教室、病院の高原先生の指導碁、NBCだけです。そこで接点がないとなかなか会わないかもですね。
08月17日
17:16
5: かずも
ちゅうさん
楽だし、楽しいです(笑)
08月26日
00:50
6: ふきれ
小3の頃に雲仙が噴火?
歳がかなり違うことに今気付きました(笑)
08月26日
01:04
7: かずも
ふきれさん
詳しくは覚えていないのですが、そのあたりだったのではないでしょうか。小2だったかな?(笑)