なかなか強くなれなかったけれど
いよいよ、出られるくらいになれた。
その言葉を聞いたのは3年(4年?)も前だった。
それは、宝酒造杯。
囲碁をやる理由は無くなってしまっていたし、
いくらやっても強く慣れないしもうやめてしまってもよかった。
特に去年は、精神的には、とても辛い1年だった。
私の好きな人だった人の「囲碁仲間が増えないかな」という言葉。
それが私の囲碁を始めるきっかけだった。
そして私もその人も、当時は夢にも思わなかったと思う。
囲碁を続ける意味を失ってしまったこの辛かった1年と少しの間、
気持ちとは反比例して多くの碁縁に出会った。
ネット碁の中だけじゃなく、
現実の世界で現実の私の名前を知っている囲碁の知り合いが何人かできて
そこから縁が広がって名古屋の方や広島の方と酒を飲んだり。
プロの先生にも少なくとも4人は私の名前を知っていて会えば話す先生がいて
ネットでは大ファンの先生の奥様とツイッターでおしゃべりしてたりする。
私が好きだった人も、知ったらびっくりするかもしれない。
当人がびっくりしているから。
意識して、ネットではなく現実の碁を打つように努力はしていたけれど
それでも今年はほんとにいろんな人に出会えた。
私は結局好きだった人の囲碁仲間にはなれなかったし、
やってもやっても強く慣れなくて悲しい思いもたくさんしているけれど
縁に恵まれ、幸せな囲碁ライフを送らせて貰えていると思ってる。
辛い思いもしたけれど、あの人に出会って囲碁という世界を知るきっかけを得た事に感謝の気持ちが湧いてくる。
感謝の気持ちはもう伝えることはできないから、せめて悲しい思いを無駄にしないように、碁縁を大事にしていきたいと思う。
そうして囲碁が楽しいと思ってくれる人が増えたら、
それはあの人が言っていた囲碁仲間が増えることにもなると思うから。
宝酒造杯は、お酒の飲めないあの人が何故か楽しみにしていた大会だった。
初めて聞いた時から、どんな大会なのか気になる大会だった。
1年目はネット碁しかしたことがなくて
2年目はやっと現実の碁盤で打ち始めたけど整地ができなくて
3年目なんとか整地までして終局できるようになって
今年、とうとう宝酒造杯にエントリーした。
最終的な夢の舞台は東京大会だけど
それでも、とうとう、宝酒造杯に出れるようになった。
約束の棋力にはまだ届いてないけど、それでも、諦めなかったよ。
宝酒造杯東京大会に出るのが私の夢。
約束の棋力になって、きっと東京の大会にでます。
どれだけ時間がかかっても。
そういえば今年はあの人が夢の一歩を踏み出すようなことをいっていたけど今年はもうあと2か月で終わってしまう。
全く噂を聞かないけれど、あの人の夢は結局かなったのかな…。
叶ってないだろうな(苦笑)
コメント
10月28日
00:02
1: 恩里
私も7-8年くらい15kのいすを温めてた。
続けていれば 何かが起こるかも
10月29日
21:13
2: あの人
>> 恩里さま
おお、辛抱強くがんばられたんですね。
私もがんばります!
頑張った先にいいことあるといいですねぇ(*'-')