八歩

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八歩さんの日記

(Web全体に公開)

2008年
07月14日
11:12

囲碁の記憶(part4)

タグ : 囲碁の記憶
あなたは、碁を打ちますか?

そう、美しい人に問われました。
わたしより少し背の高く、私より少し若い人でした。
知人の紹介で正月に会って、2月の出張を利用して二度目にあったときのことです。

美しい、というのは、そのときの、場所、光線、音、においなど全てを総合して、記憶をたどると、そのことばに行き着きました。

その人の父は、三十数年前に、母と結婚するために、母の父親の唯一の趣味である碁を覚え、母の実家に足しげく通い、そして、母を獲得したのだという話を、その人はしてくれました。



碁とは、白と黒の石をつかうゲームのことですね。
碁は打てます。しばらく打っていないけれど、碁は好きです。
と、答えました。話を続ける必要があると思い、すこしだけ嘘をつきました。
突然、碁のことを持ち出されたのでびっくりしました。


あなたのお父さんは、碁や将棋が好きなのですか?

いいえ、ゴルフのあと麻雀をしています。
碁は、そういうことがあったということを母からきいただけですが、父も、碁が打てるはずです。

子供の頃、碁を覚えたから、自転車や竹馬と同じように、思い出すはずだから私も碁は打てるはず、その人のお父さんも碁は打てるはずだと思いました。

碁の話は、その日はそれだけでした。

あなたのお父さんと碁を打たせてくださいというのは、もう少しだけ、覚悟を決めてから口にするべきだと考えたのです。

まだ、その人と会うようになって、二度目のことです。
29歳の正月に、知人の紹介で会い、その一ヵ月後のことでした。

そして、ぼくは、その人のお父さんと、相対することに決めました。
その人は、私に、父親と同じことをしてもらいたいのだと理解しました。
それには、碁でなくてはならない、彼女なりの理由があったのでしょう。

打てます、と答えたけれど、自転車でも、竹馬でも、二十年以上のっていなければ、転ぶでしょう。

私は、石を人差し指と中指で、綺麗に打つ練習を少ししました。

私は東京で勤めていましたから、九州に帰省し、次に、会うのは5月の連休です。3ヶ月間で、なんとか形にしなくてはなりません。

将棋も囲碁も、指の使い方は共通しています。久しぶりの石の感覚ですが、碁石遊びをした子供の頃を思い出しました。
社員寮にあって、誰も見向きもしなかった碁盤と、蚊取り線香の缶に入った薄い碁石で、趙さんの碁を並べました。

なぜ趙さんの碁か、というと、京子夫人を獲得するために北海道に通ったことを自伝で読んでいましたので、趙さんの碁を並べるのがもっとも相応しいだろうと考えたのです。

他に、藤沢秀行名誉棋聖の棋聖戦を第一期から第五期まで持っていましたが、並べるのは趙さんが良いと考えました。

父に裏切られたような気がして、碁石に触ることを止めた3歳の頃。
義父になるかもしれない人と、接点を作るために、碁石をつまむ練習をする29歳。

妻になるかもしれない人に、手紙を書きました。

5月の連休に、お父様と碁を打たせてください。と。

プロの碁を棋譜で見たり、テレビで見たりしていましたから、星目置けば、手談は成り立つと思いましたが、おそらく、置石なしの黒番ということになるだろうと予想していました。
F1レースのファンも、自分で運転すると車庫入れにも苦労するというのと同じで、手談を成り立たせるのに苦労するだろうなあとおもいました。



趙さんの「命がけで打つ」を、今手許で開いてみたら、何箇所が鉛筆で傍線が引かれていました。もちろん、引いたのはわたしです。本に線を引いたり、書き込んだりする習慣はありませんので、よほど、ここには、線を引かずにいられないという気持ちになったものと思います。

その気持ちを今は思い出すことが出来ませんが、傍線を引いた部分には共感します。

私なりに、命がけとは言わないまでも、相当につよい決意を固めて、碁石を握ったのだと思います。


5月、手談がはじまりました。そして、碁石を取り落とすこともなく、大きく破綻することなく、しかも碁に負けた私は、しばらくして高価な指輪を勝者の娘さんに進呈することになりました。


昭和61年夏
ぃーね!

コメント

2008年
07月14日
11:13

1: 八歩

後日談

このあとも、テレビで碁を見るだけでしたが、ずっと見続けてきました。

長男が碁に関心を持つようになるまで、私もまた、碁石をにぎることはなく、義父となった人とは、一年に一度ほどゴルフをしました。

義父もまた、それほどの囲碁ファンでななかったようです。
おそらく、今思えば、二人とも、田舎の碁会所で、5級で打てるかどうかという腕前だったと思います。

しかし、定年退職し、子会社も退職し、麻雀相手がみつかりにくくなったとき、碁に戻ったとききます。麻雀とゴルフの仲間が一人亡くなり、場が立ちにくくなったともききました。

体の弱い孫が、なぜか碁に興味をもったことで、生来勉強家であった義父は、孫と会ったときに一局教えたいと思い、勉強したのだそうです。
そして、孫に負けたとき、大喜びをしたのだそうです。

2008年
07月14日
11:54

 結末の意外な、一つの物語でした。本当に面白かったです。
 僕は、囲碁と自分の人生がクロスした瞬間はないように思います。何も思い出せません。碁でできた友達は何人かいますが、碁を打つだけの友達が多いように思います。
 あえて何か言うとすれば、今僕が家で使っている碁盤と碁石(本当に立派なものなのです)は、一度だけ家に呼ばれて打ったことのある母の義兄(故人)のものだということくらいかなあ。あと、母方の祖父はそれなりの社会的地位のある人だったのだなあというのを、呉清源さんに指導碁を打ってもらった様子を写した写真で確認できるということくらいかしら。

2008年
07月14日
11:58

3: 八歩

きゃれらさんの碁盤にも、物語がありますね。もし、その碁盤で呉清源さんが指導碁を打ったとしたら、さらにステキです。

長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2008年
07月14日
12:56

4: 金角

奥さんと一緒になるためにそこまでする。。
とても素晴らしいですね~わーい(嬉しい顔)
とても素敵な話を聞かせて貰いました。
ありがとうございますわーい(嬉しい顔)

2008年
07月14日
14:52

 妻としたい女性の父親と碁を打つ。しかもそれが人格試験みたいなところがあり・・・、って凄い局面だなあ。あ、思い出した。僕は、奥さんの父親と一度だけ打ったことがありました。残念ながら僕よりはるかに弱くて・・・。確かケチョンケチョンにしてしまったような・・・。だって、手加減するのも失礼だし・・・。

 ところで、碁盤は、「父の」義兄のものでした。なので、呉清源さんは打っていないはずです。僕が棋譜ならべに使うだけで、たまには対局してあげたいなあ>碁盤。

2008年
07月14日
15:29

6: 八歩

金角さん たぶんこれが、ゴルフでもカラオケでも良かったし、なぜか、碁だったのです。ただ、うちのかみさんは、我が家では唯一、碁の打ち方がわからないひとなんです。息子に碁石を渡すとき、「これは、将棋の駒と違って、飲み込んでもすんなり、「ウンコ」になって出そうだから安心だ」ということを言い出しました。まだ、何でも口に入れたがる三歳児でした。

きゃれらさん 人格試験。そうそう、それです。でも、そういうシチュエーションも、碁だと柔らかいです。将棋だと、最後はどちらか詰まされるけど、碁だと、○目負け、ということで、相手を全否定しないところが良かったです。

2008年
07月14日
19:30

7: りき

素敵な出会いですね。

「囲碁をうたせてください」なんて、なかなかいえたものじゃないです。
まぁ高段者なら別ですがね^^;

なにかの続編を期待したいです
また連載お願いします~^^


ちなみに、私は、ミクシィで、ですが「おいたち日記」というのを連載しました。
是非、読んであげてください(マイミクも希望します~)

2008年
07月14日
19:46

8: 八歩

りきさん ミクシイでもさがしてみますね。

2009年
08月23日
08:20

すてきなお話ですね。(*^-^*)
なんだか奥様がうらやましいです。

2009年
08月23日
08:39

10: 八歩

ぱからなさん
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
奥様がうらやましい・・・・・というお言葉、ぜひ、かみさんに教えてやりたいと思います。

2009年
09月13日
01:17

顔がにやけてしまいました(´∀`)
いいお話ですね!
感想文が書ける勢いです^^

2010年
02月02日
13:49

13: -

八歩さん

感動してしまいました><。。

後日談までしっかりしていて作り話かと思うほどでした。

2010年
02月02日
14:29

14: 八歩

実話です。
美化していますけれど、実話です。
ha春ruさんにも、このような出会いがありますように。

2010年
02月27日
11:54

それはもう・・・運命ですね
人生ってすごいものですねぇ・・・

棋譜作成
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