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雑記(囲碁関係あり),
マラソン,
仮想北海道一周
前回までの日記で、囲碁と違ってマラソンにはプロが存在しないから、雑誌が必然的にアマチュアに関する話ばかりになる、というところまで書きました。
http://goxi.jp/diary/138694
http://goxi.jp/diary/138538
その、アマチュア視点の記事ばかりの雑誌を読んでいて気付いたのは、マラソンが好きだ、ランニングが楽しい、という気持ちが全ての記事の出発点になっているという事。
もともとランニングは、誰かに強制されたり生活のためにやるものではなく、好き好んで行うものです。ほとんどのランナーは、僕のようにランニングは気持ちいいから好きだとか、大会で完走した時の達成感がたまらないとか、自己ベストを更新した時の充実感は何物にも代えがたいとか、何らかの意味で走るのが好きだから走っています。
ランニング雑誌も、結局そういうランナーの気持ちを理解したうえでそれに応えるべく記事を書いているので、ランニング大好き人間にとっては魅力的な雑誌が出来上がっている、そんな風に感じます。
翻って囲碁について考えてみますと、こちらは果たしてどうか。
囲碁は本質的にゲームです。楽しむために行うものです。ほとんどの人(碁打ち)にとって、囲碁とは楽しいもの、打って楽しむもの、ではないでしょうか。
ただ、出発点はそこであっても囲碁にはプロがある。また江戸時代から培ってきた、芸事としての文化と歴史があります。囲碁というゲームは、勝負事であるという性質とも相まって、最上位にプロを押し戴くヒエラルキー構造を呈しています。
多くの碁打ちは、碁の世界では碁が強いプロが一番偉いという漠然とした価値観をなんとなく受け入れていると思います。日本の囲碁界をけん引し続けてきたのも、江戸時代なら四家元、明治以降はプロ組織で、要するに専門家の集団ですね。
そのせいか、囲碁というゲームはゲームであるにもかかわらず、日本における立ち位置は柔道・剣道などの武道にむしろ近いような気がします。つまり、強い人が偉い、だから強くなるために努力をする、結果として強くなれた人には尊敬を払う、礼に始まり礼に終わる、みたいな、単なる娯楽を超えて人格形成に役立てる、的なストイックな価値観が内包されているように感じるのですね。
これが、碁ワールドや囲碁未来や月刊囲碁や週刊碁などの囲碁メディアの方向性を決定づけている、と私は感じています。
しかしながら、囲碁ってもともと娯楽じゃないのか?打って楽しい、が囲碁の原点じゃないのか?強いことってそこまで大事か?という疑問を感じないこともないわけじゃないでもないのです。
要するに、本質に立ち返ろう、碁をとにかく楽しむ事こそが最上の価値なんだ、という提言をしたい、ような気がする、かもしれない、もしかしたら。とまあそんなことなのですが……
続く。
次回は囲碁雑誌のあり方について僕の願望を語ります。
思った通り、めっちゃ長文ですね、シリーズものにして正解でした。
仮想北海道一周
走行記録
2012年4月
1日 0㎞ (体調不良)
2日 0㎞ (体調不良)
3日 2.0㎞ (荒天)
4日 16.3㎞
5日 14.3㎞
6日 12.6㎞
7日 18.9㎞
8日 18.3㎞
9日 8.4㎞
10日 18.7㎞
11日 16.1㎞
12日 23.0㎞
13日 20.7㎞
10月の累積走行距離 196.8km
11月の累積走行距離 213.9㎞
12月の累積走行距離 452.0㎞
1月の累積走行距離 417.3㎞
2月の累積走行距離 393.2km
3月の累積走行記録 367.1㎞
4月の累積走行記録 167.3㎞
ここまでの累積走行距離 2037.6㎞
現在地:函館市 高岱町 41号と278号の交差点まであと600m
ここいらへんからは、青森が見えます。北海道の南端に近いですね。
ところで、もしかしたら2日連続で20㎞以上走ったのは初めてかもしれません。
コメント
04月14日
00:58
1: でごん
どくとるさんの囲碁観には、とっても共感できます。
囲碁は、楽しんだモン勝ちですよね♪
04月14日
23:40
2: どくとる
でごんさん
ご賛同いただけて嬉しいです ^^
これからも、囲碁をできるだけ楽しみたいです。