長崎美人さんの日記

(Web全体に公開)

2012年
06月20日
13:31

最後のレーティング大会


毎月第4土曜日にレーティング大会を開催している。
今週土曜日で第57回目で5年近く続いている。

スポンサーと相談して、定期的に開催するのは今回で終わりにすることにした。背景には、予算の問題、自分自身の繁忙さ、スポンサーの考えなど色んな要因があるが、最大の理由は参加者も固定化し、大会本来の切磋琢磨して若手を育成。棋力向上を目指すという目的から大きく外れてしまったからである。

当初からこの大会に参加していたT郷君やM本君などは県大会優勝や子供全国大会で上位入賞を果たしたのでそれなりの成果はあった。

マイナス面もあった。トップクラスに2子で負かされて血相を変えていた腕自慢も3子でも勝てないことを知ると自信喪失につながったようだ。プライドの高い人は2・3回参加して2度と参加しない人が多かった。1子位の差と思っていた人が、実際は2~3子の差があることが意外だった。

有望な若手の参加も少なくなった。優劣がはっきりするような過酷な戦いを好まないのかもしれない。今は常連の親睦大会になってしまって、大会後の飲み会を楽しみにしている人が大半だ。

自分で作ったものを自分でやめるのは忍びないが、勇気ある撤退を決めた。ただ、不定期ながら数年は回数を減らして続けようと思う。
楽しみにしている常連参加者をはじめ、ソレイユや行きつけの飲み屋さんへの配慮もある。何事も始めることよりやめることが難しい。
ぃーね!

コメント

2012年
06月20日
13:56

第5土曜日の不定期開催とかどうでしょう。
ってのは、さておき、優劣をはっきりつける大会というのは、功罪ありますね。

読んでいて思い出したのは、最近気づいた行きつけの囲碁サロンの「問題のある腕自慢」に対する対処方法。

そこは、僕が本当は3子、緩めてもらって2子が時々入るくらいの人が8段で張っていて、段位がなかなか辛いのです。そこへ時々、腕自慢のご新規さんが入ってきて、僕らくらいのへっぽこ5,6段にちょっと勝つと、上から目線発言を始め、しまいにゃ関係ない人の碁にまで口出し始めたりするわけです。
そういうとき、サロンのマスターは、大会みたいな場で、その腕自慢を例の8段さんに3子でぶつけます。腕自慢さんは「プロの先生にも3子で負けないのに」なんて言いながら、しぶしぶ8段さんと打つと、あっさり負け。その後謙虚になるかいなくなる、という次第。

美人さんの大会運営でマイナスだった要素をサロン経営でプラスに使ってるって話かなあ。

2012年
06月20日
14:28

おもしろい話ですね。困った腕自慢ですね。
碁打ちには酒が入ると2子くらい強くなる天狗が多いようです。大会に出るような人はアマに2子以上置いたことがないという人も多く、まぐれで準優勝でもすると自分はトップクラスと感違いするようです。しかし、ほとんどが愛すべき碁天狗で、最近そんな人が少なくなったのは寂しいですね。謙虚な人より碁天狗が多い方が楽しいのですが・・・

2012年
06月20日
19:47

何事も始めることよりやめることが難しい、というのはよく分かります。
私自身、もう囲碁には才能の限界を感じているので、そろそろ研究会もやめて引退したいのですが、なかなかやめたいと言える状況にならないので仕方なく続けているという感じです。
50周年あたりをメドになんとかやめれれば良いのですが…。

近頃天狗が減ったのは、ネット碁の普及によるところも大きいでしょう。
田舎でそこそこの結果を残した程度では、ネットの世界には歯がたたないような連中はまだ腐るほどいますし、そんな連中にさんざん遊ばれて潰されていたら、嫌でも自分の弱さを思い知ります。
県内でトップクラスで活躍している人達と比べても、さらに化け物的な人達が何百何千人といますからね…。

2012年
06月20日
22:53

才能のなさでは負けない自信があるが、その若さで自分の才能を見極めることができる才能は私にはなかった。

2012年
06月20日
23:28

逆に若いから見極めがつくんです。
若くて勉強もそこそこしていたのに、3年前に互角だった人(I本さんとかT浦先生とか)といまだに互角では、才能が無いと判断するほかないでしょう。
お年寄りがそうそう強くなるわけはありませんから、必然的に私に才能がないという事になります。
才能があれば、とっくにあの辺を2子ぐらいに打ち込んでいてもおかしくないはずですから。

2012年
06月20日
23:44

その考えはあまい。
秀行先生が残したことば「強烈な努力」をしなければ。
指が変形するほど勉強したそうだ。
それでもダメなら才能がないことに自信を持っていい。
努力できる才能がなければどうしようもないが・・・

2012年
06月21日
07:43

そこまで努力できるアマチュアなんてまずいないでしょう。
そんな人は間違いなく、一部の棋士に見られるような、普通の社会生活は送れないアスペルガー症候群じゃないですか。
むしろそこまでやって県の代表にすらなれないようだったら、才能がないどころか人として存在価値すらないと思いますよ。
アスペルガーの人は基本的に、専門職や研究職に就くか、ニートになるかのほぼ2択人生ですからね。
そんな稀有な例と一般人を同じ感覚で考えるものではないと思いますが。

2012年
06月21日
11:08

プロの世界とアマを同列に論じるのは適切でないかもしれないが、流れる精神は同じでは?
長崎を代表するM崎君は学生時代は1日10時間以上の勉強、食事をしながら碁の本を読んでいると言っていた。Y田さんは若い頃、囲碁行脚をしたり、活字になった棋譜はすべて並べていたという。その人の人生にいいかどうかは別問題だが、ある意味、「強烈な努力」をしている。
鳥ちゃんレベルになると、更に上に行くにはそこそこの努力ではむずかしいと思うよ。
プロを目指す人以外は特別の才能はいらないし、平均的碁打ちから見れば、今のレベルでもすごい才能と思うのでは?

2012年
06月21日
19:36

才能も基本的にグラデーションの世界なので、どこからがある、どこまでがない、という線引きラインも人によって様々でしょう。
長崎美人さんに言わせれば、プロになれない人は皆才能がない、なんでしょうけど、実際は有段者になるには有段者になるだけの才能が要ると思いますし、高段者になるにも高段者になれるだけの才能が要ると思いますし、県代表になるにも、全国で入賞するにも、プロになるにも、プロの中でまた高段者になるにも、またそこからトッププロになるにも、最終的には世界一強くなるにも、それ相応の才能は必要不可欠であると思います。

一般で言う高段者にはなったものの、研究会に入って40年、全く強くなっていないという人もいるみたいですし、その人なんかはまさに、高段者になる才能はあったが、そこから上へ行く才能はなかった、という例だと思います。
Y田さんなどもそれほど努力していた割には全国では凄い結果を残したわけでもなさそうですし、逆にそこまで努力していなくても全国トップクラスに登り詰めてしまう人だっていると思います。
最近では、ネットでポンポン打ってるだけで、整地もロクにできないのに全国で準優勝するぐらい強くなってしまう人も現れたりしてますし。
そういった事例からも、私は努力至上主義にははなはだ疑問を感じます。
まあどう思うかは人それぞれなので、これ以上ダラダラ述べても仕方のないところでしょうけど…。

ただ、私自身の信念として、先に述べたような研究会に40年もいて全く実力が変わっていないおじいさんみたいにだけはなりたくないので、引き際だけはしっかりと気をつけた上でやっていきたいと思っています。
40年も時間やお金を無駄にしたのでは、たまったものではありませんから…。

2012年
06月22日
02:47

10: かずも

棋力向上という点でいえば、お金をもらう(損をしない)という考えよりも、お金を払う意識があったほうが強くなるでしょうね。そのほうがハングリー精神が出てきます。でも、これは理想論で大の大人がそこまでする人は稀かもしれませんが・・・。

スポンサーがついたりして、保護されている時点で、大人の棋力向上には厳しいのかもしれません。どうしても楽しさが中心になってしまうので、終わったあとの飲み会が楽しみという方が増えても致し方ないかもですね。

未成年はどんなところにいてもある程度までは強くなると思いますので、そちら方面には間違いなく役割を果たしていると思います。

最後にまとめると、大人の幸せってなんでしょう?というところにいきついてしまうと思います。何に幸せを感じるかは、人それぞれ違うので難しいところですね。どういう形であれ、囲碁をしていて幸せに過ごしてもらいたいと思っています。

2012年
06月22日
11:05

 僕らの中には、「最少の努力で最大の効果を得たい」という気持ちがどこかにあります。その裏側には、努力した量だけは成果を得たい(=強くなりたい)と思う気持ちがあります。

 しかし、学ぶ、ということは、そういう「効率論」が全然適用できないですよね。そりゃもう、残酷なくらい。これは、囲碁だけに限らないけれど、囲碁の場合は特に顕著に出るように思います。

 囲碁で「強くなる」という喜びは、きっと麻薬的なところがあるんだと思います。そして、強くなるための努力にも、そういうところがきっとある。それが苦痛であっても、苦痛そのものが喜びにつながるような何か…。

 僕は、弱くなることを心配しなくてはいけない年齢にそろそろ差し掛かってきたのかなと時々思います。子供のころからこれまでは、スピードはともかく、やればやるほど強くなってきたのですが、今後、前より弱くなった上、もう強くなれないことがはっきりしたとき、囲碁が楽しく続けれらるかどうか自信がありません。そんなことは起こりえない、と信じたいですが…。

2012年
06月22日
14:40

1%の才能と99%の努力
99%の努力より1%の才能のほうが重要なんだろうけど
99%の努力をしてみないと
本当に才能があるのかないのかなんて
わからないんじゃないかなあ
ある程度努力しても開花しないから
可能性が薄いっていうのは理解できるけど
絶対にないとも言い切れないと私は思うんだよね…

2012年
06月22日
23:02

みなさん、若いのにしっかりした考えを持っている。感心した。
たまには、立ち止まって、このようなことを考えるのもいいね。

「才能と努力」 誰もが心の片隅にある永遠のテーマだ。
でも、強くなくても碁を打って、心から楽しめる人が一番幸せのような気がする。

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