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囲碁談義
昨日のことですが・・・
ダメしかなくなったので、地合計算を申し込むと拒否されました。ダメを詰めてから計算ということかと思ったんですが・・・。
手のないところに手をつけてきました。地合は私が大きくリードしていたので、ダメもとでやってきたと思い、対応しました。手がないことが初級者にもわかる形になったので、また終局要請すると、またも拒否して意味のない手を打って来ます。ハハーン、あれかと気づきましたね。
そういう手合いには時間のある限りつきあうのですが、残念ながら15分くらいしか余裕がありませんでした。それで引き分け要請をしてみましたがそれも拒否、よっぽど勝ちが欲しいと見えます。
そのうち、自分の地に打って一眼しかなくする手も打ち始めます。こっちは一手休みを繰り返していましたが、やがて時間が無くなり、不本意ながら外出しました。
碁は私の時間切れ負けとなりましたが、そうやって単なる記録上の「勝ち」を得て満足なの?やった!と喜ぶの?
ソウルに行ったとき、しかるべき人にそういうことも聞いてみたかったんだよなぁ。まあ、納得のいく答えは期待してなかったけど・・・。そんなことを考えているうちに、タイトルに書いた心境になりました。
今後もそういう打ち手の思惑を許すつもりはありませんが、今までと違って「かわいそうな奴だな」とあわれみながら対応することになるでしょう。思えば、初めのころは「怒り」、そのうち「あきれ」へと変化し、「あわれみ」に至ったわけです。経験は人を成長させる・・・?^^
コメント
03月22日
17:21
1: 心
そういうつまらない人生観に至るにどういう過程で育ったか見て見たいものです。少なくとも我々はそういう悲しい人間にはなりたくないなと反面教師として手本にした方が良さそうです。
03月22日
17:52
2: じぇーむずまっく
私も同様な経験をしたことがあります。その時は時間があったので、最後まで付き合いました。
相手は自陣にも、打ち続け、こちらはパス。切られそうになったらつなぐ。最後は私の地中の相手は押しつぶしで全。滅。相手の地も自殺手で、ゼロ目。
東洋囲碁で、相手は韓国人だったと記憶していますが、「勝ち」を得られなかった悔しさはどの程度なのかわかりませんが、私は決して赦せませんねー(`_´)
03月22日
18:42
3: 春海
心さん
まさに反面教師ですね。
じぇーむずまっくさん
僕の場合も東洋囲碁の韓国人です。5年以上打っていますが、もう両手の指では足りなくなったはずです。
*韓国人同士でもそういうことがあるのかを知りたいのですが、残念ながらわかりません。