お笑いコンビ「眠碁」達也(元「igo cafe こすみ」オーナー)

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お笑いコンビ「眠碁」達也(元「igo cafe こすみ」オーナー)さんの日記

(Web全体に公開)

2013年
07月18日
14:02

いじめについて


こんにちは。




これから「~について」という表題で私見を発していきたいと思います。




さて、マスコミで常に流行しているいじめについて僕が最も言いたいことは




いい大人が、「いじめをなくそう」などと言うべきではない。
大切なことは、
「いじめられることは誰にでもある、あなたが特別劣っているからなのではなく、
たまたまそうなってしまっただけのことなので一刻も早くその環境から逃げ出しなさい」
ということを広く訴えるべき。




ということです。



先日のブログでも少し触れましたが、生き物は本来より
「個」の概念を持っています。
他が他を傷つけるのがむしろ自然であり、集として秩序をもって
共同生活をするのはいわば二次的なものだと思うんです。
そうでなければ、法や「優しい」などという言葉は
わざわざ生まれなかったでしょう。





人は、人を傷つけるものだと思います。
「いじめをしないようにしましょう」
などとマスコミのコメンテーターがマジ顔でいじめる側に
訴えるなどということは全くのナンセンスというか大人として
とても幼稚だと思います。





僕自身そんなひどいいじめをしたこともされたこともありませんが、
語弊があるかもしれませんが、僕いじめる人の気持ち
すごくよくわかります。





クラスもあれだけ大人数いると、1人や2人くらい気持ち悪い奴
いましたもん。
よくTVのワイドショーで、「その子いじめることによってストレス
発散を~」とか言われますけど、そうではなくてそいつを見ることに
よってイライラしてくるんです。


電車通勤をしているとよくわかります。
今までの職場でもたくさん見てきました。


気持ち悪い人なんてたくさんいますよ。



イライラしませんか?
そりゃいじめたくなります。



僕の高校時代は、確かに目立ったいじめはありませんでした。
(小学校、中学では確実にありましたがむしろその方が健全というか自然だと思います。)
でもクラスに1人や2人は必ず、ハブられてる訳ではないけど皆そいつとは一線をひいてるみたいな子はいました。
(そういう子たちはそういう子たちで群れたりするんですけど。)



そういう人たちをいじめる感じがなかったのは、たまたま皆比較的賢明だったからでしょう。
僕の高校は進学校では全然なかったですけど、学年一不良というかやんちゃしてるような子程めちゃくちゃ勉強してて、
最低でもMARCH以上のところにいってしまうような学校でしたw





要はいじめなんかに構ってる時間がない、損をしたくないということだと思うのですが、
直接手を挙げなくてもそういう浮いているこには「変わってる奴」「気持ち悪い奴」と認識している空気は全体に確実にありましたし、
小馬鹿にしたり、大事にならない程度の、たとえば下駄箱の上履きを
下に落としとくくらいのことは全然あったと思います。
当然ですが、そんなふわふわした「いじめ?」に対して誰も
立ち上がることはありませんし、幼稚園ではないので「皆仲良くしようよ!」
とは教職員含め誰も言いません。





でも、別にそうじゃない、全然言動も普通なこも突然いじめにあったりします。





特に女の子は顕著だと思います。
3人組の仲良しグループは2:1に分かれやすいし、本当にほんの些細な
きっかけで、その場にトイレにいっててほんの短時間席を外しただけでそんな空気になってしまうと思うんです。



僕の中学時代にもありました。
別に全然仲良かったんですけど、普段のちょっとした外見に対しての
イジりから、だんだんそいつをからかうことが約束みたいになってしまって、
そんなこんなやっている内にそのこは泣き出してしまいました。



僕もその子と2人のときは全然普通に話しますけど、何人か集まってそういう空気になると積極的にイジったりしていました。
よく「いじめてたわけではなく、ふざけてるつもりだった」とする
子供の主張が広まっていますが、僕の感じでは、本音は
「んーいじめといえばいじめかもしれないけど、いじめともなんか言いづらいし、とりあえず自分はいじめられてないから別にその僕らの認識はどうでもよくない?別に自分は毎日楽しいし」です。
子供なんてそんなもんです。(「ゲームばかりやっているから現実世界でもリセットができると思っている」などのように
誰が言い出したか分かりませんけど、マスコミが勝手に「それが現実に多くある」
と植え付けるものには強く嫌悪感をおぼえます。)
僕自身が自分のことを「汚い」と思っているが故の見解なのですが。





子供や大人に関係なく人に大切なのはそれぞれ自分「正義」ではなく、
「集」なのです。
要は空気次第で誰もがいじめる側にもなり得るし、
いじめられる側にもなり得ると思うのです。



今流行っている、広島の事件の加害者の子たちもラインの文面から、
別に特別悪い子たちとも僕は思えませんでした。
むしろ16歳としてはしっかりしてるなという印象すら持ちました。
悪いことも良いこともすると思います。
ペットの犬も可愛がってると思いますし(知りませんが)、
雨の日には友達と1本の傘で帰ったりするだろうと思います。(知りませんが)





きっとこんな事件がなければ普通に、全然普通の大人になっていたと思います。
いじめる側もいじめられる側も全然普通です。




そんなこんなを述べまして冒頭の僕の主張になります。





「いじめをなくす」なんて絶対に不可能です。
「個」である限り、特に加担するわけでもなく止めるよう
強く働きかけることもない人が1人でもいる限りその本質を
人間全体から拭い去ることは絶対にできないと思います。
このようなことを言うまでもないと思うので言葉にすらしたくないのですが。
(以前鉄道会社で「電車事故0運動」というものがありましたが、事故が0になるなんて誰も思っていません。
ホームの端を歩かないようにしましょう、ながら歩きをやめましょうと
訴えるよりはるかに効果的なのは、ホームに扉を付けるなどの具体策でしょう。)






だから、(本当はいじめを減らすようなシステムを確立することが最善だと思いますが、そのシステムの構築は、そのシステムのメリットを
どこに誰に何を持っていくかということを含めてとても難しいと
思います。
いじめのようなものを含めた他者とのコミュニケーションも成長する上で大切だと思います。)




少々現場主義的で、幼稚かもしれませんが、





いい大人が、「いじめをなくそう」などと言うべきではない。
大切なことは、
「いじめられることは誰にでもある、あなたが特別劣っているからなのではなく、
たまたまそうなってしまっただけのことなので一刻も早くその環境から逃げ出しなさい」
ということを広く訴えるべき。




と思います。





いじめは絶対になくなりません。
また、「いじめは悪いこと」なんて誰でも知っています。



とすれば「いじめれれることは全然恥ずかしくない、誰にでも起こりえること」
という空気を広めることが最も効果的ではないかと思います。
(実際には本当に周りと少し変わっているから、という子が半数以上だとは思いますが)




本当に変わっている子でも、転校を繰り返せば最低でも
僕の高校のように「ゆるい感じのいじめ」でも比較的生活しやすい
環境に当たるでしょう。
またその中で自分の心の持ちようや捉え方、生き方も学ぶことができるでしょう。



それには「いじめられることは別に恥ずかしくない」という周囲の空気が不可欠です。




もし将来僕の子どもがいじめられて、その子どもがもし周りと
少し変わっているなと思ったら、「お前気持ち悪いからだよ」と率直に言いますw




その上でどうすれば生きやすいか、今後どうするべきかをあくまで前向きに子どもと話し合いたいと思います。
本人の意志で振る舞いを変えたくないというのであれば
それはそれで素晴らしいことだと思うので。






整理がきっちりできていないので、本文やコメント欄に後々加筆などあるかもしれません。




日本人には特に議論やお互いを尊重する意識が必要だと思うので、
どしどしコメント、ご意見ご感想お願いいたします><
ぃーね!

コメント

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5番~26番を表示

2013年
07月18日
19:13

5: -

>春海さん

MARCH
明治、青山、立教、中央、法政の英語の頭文字です。

2013年
07月18日
21:30

*ブラック・トルテさん

ご賛同いただきありがとうございます><


子どもへの言い方について、他の方もおっしゃる通り
ストレートいうのは確かに普通に考えてきつすぎますよね><w

個性は個性で、つぶすものではないし、他の子達に
立ち振る舞いを合わせることが必ずしもその子にとって
良いこととは限りませんよね。

その子がどう生きたいかも含めて(小学生くらいでしたら
難しいでしょうがw)そのあたりを本音で、建設的に話し合えたら良いですね。

今現在結婚もしていないので完全に妄想ですがw

2013年
07月18日
21:46

*mikoinrpさん

確かにそうですね。
僕も軽い気持ちでその「イジリ」に加担したことで
そのこは泣いてしまいました。

また本文にはありませんが、小学生のとき
僕も割と積極的に参加してクラスメイトを「イジっていた」
のですが、ある日その子の母親がクラスに来て
「やめてください」と皆の前で泣いて訴えたこともありました。

確かに思いやりのある子に育ってくれることが一番ですよね。

ただ僕の見解としては、世の中は、社会は多くの悪意に
満ちており、いじめる側も特別悪い人間という訳では
ないと思うのです。
子どもですから度が過ぎてしまったりしまうことも
あるかもしれませんが、成長して大人になればそういった子達も普通に周囲から信頼されるような、いわゆる「優しい」人間になると思います。
ただ、無意識的な、自分の為なら多少他人を傷つけても
構わないという思いは残っていますし、それは誰もが
持っているものだと思います。

そういった人間の本質的な部分を拭い去ることが
できないのであれば、被害者側に、そうなってしまった
場合の対処法を、いわば車の事故に遭ってしまった場合のように、広く散布すべきだと思うのです。

2013年
07月18日
22:18

*モノクロさん


いつもご丁寧なコメント本当にありがとうございます。


>昔の様な弱きを助け強きを挫くような存在がいません。
昔はその様な存在が一線をひいてくれ助けられたり、仲直りしたり、何事もなく過ごせた事があったと思います。


そうなんですね。
イメージは何となく湧くのですが、実生活で自分自身で実感
したことがないので、そのような存在は本当に必要だとも
思います。


今は、生き方、価値観などあらゆることが多様化(汎用されすぎていて本当は使いたくないのですが)されていてそのような
「これはこう!」「これは正しい!間違い!」などと
言いづらい時代なのかもしれません。
(若者が知っているようにすみません。)
自分が自分の生き方を模索しているだけで精一杯のため、
モノクロさんのおっしゃるように保身に走りがちなのかもしれません。



>苛める側は苛められる側の気持ちを後で後悔し反省して謝罪できる環境、苛められた事に負い目をなるべく感じない様にする環境

僕は「いじめはなくならない」という前提のもとで
論じていて、被害者側への働きかけばかりを考えていたので
これはなるほどと思いました。
こういったシステムかつ空気が教育現場で確立されれば、
現場はむしろ教育の機会を与えることができるので
いじめが発生することを恐れなくなりそうですね。


>もし将来僕の子どもがいじめられて、その子どもがもし周りと
少し変わっているなと思ったら、「お前気持ち悪いからだよ」と率直に言います


これは僕も今少し時間が経って読み返してみたら
吹き出してしまいましたw

普通に考えて頭おかしい親ですよね><w


>子供にとって親は最後の砦的存在である事が多いですから、言葉を選ぶべきと思います。

その通りだと思います。
だいたい小学生くらいの子を想定して書いていたのですが、
僕は24歳ですが、今親からこんなこと言われでも普通に
へこみますw
ひとまず次の正月は帰んなくていいかなってなりますw

2013年
07月18日
22:28

*春海さん

モノクロさん、ありがとうございます。


もしお考えがまとまってお時間がおありようでしたら、
是非聞かせていただけたら嬉しいです。

世間からあまりにも尖った意見を持つことが多いので
これは若さ故なのか、はたまた個性なのか、社会をあまり
知らないが故に何かを勘違いしているのではないかと
いつも不安を抱えているので…

失礼を承知で申し上げると、私含め若者は春海さんのような
年代の方に常に期待(語弊があるかもしれませんが)をしていますし、ご意見をうかがいたいと常々思っています。

自分よりこの世界で多くの時間を過ごされている方が
どのように見ているのかについて、大きな興味を持っています。

2013年
07月18日
22:44

昔、いじめられていた人としての感想ですが。

>そうではなくてそいつを見ることによってイライラしてくるんです。
いじめを受けていた時は分かりませんが、今になってみると分かるような気がします。
今、私の周りには距離を置きたいと思っている人がいます。
その人の行動に問題があるのかと思っていましたが(実際、問題ありですが)、それを含めたその人全体の雰囲気が生理的に受け付けないです。
イライラしてひどいことばかり言ってしまうので、本人には申し訳ないですが、かかわらないようにしています。

いじめられているときはそれが分からず、どうにかしなければと思って必死でした。
その時、いじめられることは恥ずかしいことではないというのが分かればもう少し堂々と自信を持って生きられたのかなと思います。
今でも、その時の影響か謙虚を通り越して卑屈な発言が多くなってしまったようです。

2013年
07月18日
23:25

11: 札太郎

いじめは無くならない
喧嘩も戦争も無くならない

私もそう思います

無駄に知能を得た人間でなくても狭い空間に詰め込まれたらいじめやら共食いという現象が起きるらしいですし


いじめを無くすことは出来なくても、いじめが原因で自殺をする子を減らすことならできる気がします。
むしろ、するべきだと思います

いじめの存在を嘆くだけだと何も変わらない
今後どういじめを認めて受け入れて行くかが今の課題なのかなぁと思いました(´・ω・`*)


考え出すと止まらないのでこの辺で。
あ、ずれた発言もしくは当たり前すぎる発言だったらすみません(>_<)あせあせ(飛び散る汗)


ちなみに。。

>>「いじめられることは誰にでもある、あなたが特別劣っているからなのではなく、
たまたまそうなってしまっただけのことなので一刻も早くその環境から逃げ出しなさい」



>>もし将来僕の子どもがいじめられて、その子どもがもし周りと
少し変わっているなと思ったら、「お前気持ち悪いからだよ」と率直に言いますw

は、たぶんかなり矛盾してる気がします(´・ω・`*)

2013年
07月19日
11:15

12: mikoinrp

いじめられること、人をいじめることは、人間につきもの。そこまではその通りでしょう。しかしだからと言って人をいじめることが正当化されるものではないと思います。

2013年
07月19日
11:46

*マカロニさん

そうだったのですね。

人が人に嫌悪感を覚えたり攻撃したくなるのは
人間の性で仕方の無いことなのかもしれませんね。

職場や集団の中で全員に好かれることを諦めるように、
心のコントロール法も幼少期から身につける動きがあっても
良いと思います。

「皆仲良くしましょう」を子どもだけに強いるのは
当然無理だと思います。

2013年
07月19日
11:56

*札太郎さん

>いじめを無くすことは出来なくても、いじめが原因で自殺をする子を減らすことならできる気がします。
むしろ、するべきだと思います

全面的に賛成です^^
よく分かっていただいて本当に嬉しいです。


>たぶんかなり矛盾してる気がします(´・ω・`*)

これは表向きに大多数に向けてのものか、
もうすでにその子のパーソナリティーを
把握している状況、かつ自分の子どもであるという状況の
違いです。

まさかマスコミなどで大多数に向けて「いじめられてる子は
気持ち悪いからですよ」とは言えないですし、
本文で述べた通りそうでない子でいじめられてる子も
恐らく少なくないでしょう。

自分の子どもで、かつ親の目から見ても少し変わっているな
と判じられるという設定の元では、(言葉は選ぶべきですがw)
その子どもの事を社会全体ではなく、主観的に考えなければ
ならないからこそ、今現在の状況をなるべく正確に
伝えた上で一緒に考えていきたいと思うからです。

2013年
07月19日
12:12

*mikoinrpさん

すでにご理解してくださり、わざわざ言葉にする必要は
ないかと思うのですがあえてまた申し上げさせていただくと、
私はいじめを正当化する含みは一切どこにも含めていません。

もちろん、争いのない世界が最も理想でありますが、
いつまでもその「0にしよう」に囚われていると、
減らすことができなくなってしまう、ということに私は
苦言を呈している訳です。

「いじめだめです」など本文中にもあるように
日本で人並みの教育を受けた者なら誰にでもわかっていることです。

当たり前のことを繰り返すのではなく、その状況を本当に
改善したいのであれば「本当に何が問題なのか」を
しっかり考え、見極め、その解決の為に何をしたら良いのかを
多少ドライになろうとも、本当の意味で真面目に考える
べきだと思います。

2013年
07月19日
14:27

16: mikoinrp

真面目に書いていらっしゃるから、悪意に受け取らないように理解したつもりです。しかし、

「もし将来僕の子どもがいじめられて、その子どもがもし周りと
少し変わっているなと思ったら、「お前気持ち悪いからだよ」と率直に言いますw」
この部分に非常な違和感を感じるのです。

まず、変わっているのは個性であって、それを気持ち悪いと捉えるのは心が歪んでいます。人と違うのは悲しい、しかし人と違う所が何もないのはもっと悲しい、という言葉もあります。

次に、親が自分の子に対して客観的に接するというのは、私に言わせれば、理解しがたいことです。私は子供が悪いことをしたら、世間に対しては謝罪し、出来る形で責任を取りたいと思います。そういう子にしたのは自分の責任でもあると思うからです。しかしだからこそ、自分の子に対して客観的な態度で批評ないし批判することは出来ません。子供に対しても謝罪し、また最後まで弁護人でありたいと思います。それが私の子に対する愛情です。

自分の子に「お前気持ち悪いからだよ」と言えるような親は親ではありません。私はそう思います。

いじめで自殺したという報道は珍しくありませんが、その遺族がこの日記を読んだとしたらどう思うでしょうか?その辺についてももう少し考えめぐらしてから、思いを新たにこの問題を再考して下さると少し考えが変わるかもしれないと思います。

2013年
07月20日
12:28

*mikoinrpさん

>もし将来僕の子どもがいじめられて、その子どもがもし周りと
少し変わっているなと思ったら、「お前気持ち悪いからだよ」と率直に言いますw」
この部分に非常な違和感を感じるのです。

確かに少し言い方がきついですよね。
他の方へのコメントにあるように言い方を変えることも
必要なのかもしれません。


>まず、変わっているのは個性であって、それを気持ち悪いと捉えるのは心が歪んでいます。
>自分の子に対して客観的な態度で批評ないし批判することは出来ません。子供に対しても謝罪し、また最後まで弁護人でありたいと思います。それが私の子に対する愛情です。

おっしゃる通りかもしれませんが、
実際子ども社会でも、大人社会でも「変わっている人」
というのは誰がみても「変わっている」と捉えられて
しまうものです。
それが個性として周りにも認められて、特に実害もなく
幸せに暮らしてゆけるならば親としてもこんなに嬉しい
ことはありません。
子どもを愛す、愛さないという問題以前に、
無条件に受容するのは当然で、あるべき形だと思います。
しかし、それで子どもに直接的な不利益が出て今後の
性格形成にも関わってくるようであれば話は別だと思います。
客観的に見れないといって、不利益を被っている子どもに
なんのアドバイスもないようでは、子どものことを真剣に
考えていないのではと私は思っています。

自分の子どもを無条件に愛するのは当たり前ですが、
客観的にみてあなたは周りからこう思われているんだよ、
ということを子どもに伝えるのは極めて重要と私は
考えます。


>いじめで自殺したという報道は珍しくありませんが、その遺族がこの日記を読んだとしたらどう思うでしょうか?

集団から外れたものは淘汰されます。
これは人間以外の生物でも当たり前のことで、
人間には理性故の法治社会の中にいるので、この点はむしろ
かなり寛容になっていると思います。
しかも直接手を下して死なせてしまったという訳ではなく、
自ら死を選んでしまったというだけのことなので、
これは不幸という言葉以外は私には見つかりません。
それ以上でも以下でもないと思います。


>その辺についてももう少し考えめぐらしてから、思いを新たにこの問題を再考して下さると少し考えが変わるかもしれないと思います。

この問題については、というか数学や物理等を除いた
世の中の全てのものは答えがないものだと私は思っています。
その中で自分なりの法則や傾向を絞り出し
自分なりの見解、主張を表し合うのが議論だと思っています。
なので「考えが変わるかもしれないと思います」と
あたかも正解があるかのような主張をされてしまうのが
私には少し違和感をおぼえてしまいます。
どなたでもそうかと思いますが、誰も自分の考えが浅はかだとも思っていませんし、こういった公の場に意見として表する
からには私は誰にも負けないくらい熟慮しているという自負が
あります。
そういった意見を交わし合うことで互いに影響され、
時には戦い、時には自発的に思い改めることが議論の本質で、
醍醐味だと思います。
実際mikoinrpさんはじめ、コメントしてくださった
皆様のご意見で私一人では知らなかった現状(持っていなかった
材料)や一生気づきもしなかった見解を示してくださって
とても感謝していますし、とても勉強になります。
本文最後にもありますが、日本人は比較的皆が足並みを
揃えなければならないといった風潮がありますが、
違った互いを認め合うこともそれ以上に大切だと思います。


最後に蛇足かもしれませんが、mikoinrpさんのご意見の中で
私と共通している部分も多いのではと感じました。

ex.として

>人と違うのは悲しい、しかし人と違う所が何もないのはもっと悲しい、という言葉もあります。

私はほぼ全面的に大賛成ですし、私自身そう生きてきましたw

>その上でどうすれば生きやすいか、今後どうするべきかをあくまで前向きに子どもと話し合いたいと思います。
本人の意志で振る舞いを変えたくないというのであれば
それはそれで素晴らしいことだと思うので。(本文中より)

その後の子どもへのアプローチの仕方で少し相違があるのかもしれませんね。

2013年
07月20日
12:46

*ゆかっさんさん

>私の回りに実際いじめを避けるため転校した子と転校してきた子、子供を転校させた親がいますが、残念なことに再いじめ率100%ですよ。転校してもダメってすごい絶望感と思います(3人だからまぁデータとしてあれですが)

そうなんですね><

私自身転校したこともないですし、そもそも子どもが
いないので、私はわからなかったことで衝撃でした。

>転校よりも簡単確実な「積極的な登校拒否」を推奨です\(^o^)/

面白いですね^^
是非この点を詳しくお聞きしたいです。
(文中だけの情報で考えましたが、登校拒否中に
どうしたら良いのかを親子、家族間で話し合うということ
でしょうか?
見当違いでしたらすみません。)
恐らく今日か明日の日記にも書きますが、
こういった誰もが思いつくものではない発想が
本当の「意見」であり「表現」だと思います。
個人的にこの問題に限らず形式や慣例でなく、
本気で物事を考えるとこういった結論になることも
多いように思います。

>「お前気持ち悪いからだよ」的な事を話し合える親子関係なら理想ではないかとw
そこから始まり親子で「何故にいじめにあうのか?どこが他人にキモいと認識されるのか?それは大事な個性なのか?改善すべき点なのか?」等じっくり考えるのは重要ですよ

そうなんですよね。
他の方がおっしゃるように関係性によっては言い方を
考えるべきとも思いますが、本当の意味で本音で話せる、
形だけでなく本当に子どものことを考えて相談し合える
関係がとても重要だと思います。

2013年
07月20日
12:56

21: 春海

少し考えをまとめたので、コメントします(長文失礼)。


 僕の認識では、いじめる理由は「変わっていること」です。古典文学にもいじめはテーマとして登場しますが、例えば「にんじん」では髪が赤いこと、「シンデレラ」では継子であることがいじめの理由になっています。これらはわかりやすいですが、実際にはどんな些細なことでもいいし、「気持ち悪い」などのマイナス評価だけでなく、「勉強ができる」などプラス評価も理由になりえます。

 だから、「いじめはなくならない」という点には同意しますが、「気持ち悪いからだ」と無前提に言うことには賛成できません。また、「いじめられる側にも原因がある」という言い方には与しません。 原因があるのは確かで、それが客観的に良くないことなら指摘としてはとりあえず当てはまりますが、そうとは限らないし、良くないことを改めたとしても、別の「変わっていること」を理由にいじめられるかもしれないからです。極論すれば、すべての人間が同質にならない限りいじめはなくならないわけで、それは個性を否定することです。

 そこで一つの解決法ですが、いじめられる側に立って考えれば、理由としての「変わっていること」が立派な個性であるという自信を持つことではないかと思います。見聞するところによれば、いじめる側は相手が困るほど図に乗り、毅然として拒否されたり相手にされなかったりすると、そのうちやめることが多いようです。問題は、その自信をどうやって持たせるかですが、これは親や教師の教育しかないでしょう。ただ、日本人には他人と違うことを避ける傾向が強く、教育する側にもそれが浸透しているので、実際には言うほど簡単ではないと思われます。(ちなみに、私は自他共に認める少数派で、いじめではなく嫌われることもありましたが、ある程度成長してからは完全に開き直っています^^)

 一方、いじめる側のことですが・・・。「にんじん」や「シンデレラ」を読む子供のほとんどすべては主人公に同情し、いじめる方を憎みます。それは自然なことと思いますが、そういう子供がなぜいじめる側に回るのか、それが問題です。やはり教育が大事ですが、「いじめはいけません」と言うだけでは不十分だし、理由を詳しく解説しても十分とは言えない気がします。文学作品などを通した情操教育により、上記のような自発的な感情を持ち続けさせることが必要でしょう。これも簡単ではないでしょうが、上のことほど難しくはないように思います。

2013年
07月20日
13:54

22: -

他の方へ返信で気になった点あるので再度コメントです

>集団から外れたものは淘汰されます。
これは人間以外の生物でも当たり前のことで、
人間には理性故の法治社会の中にいるので、この点はむしろ
かなり寛容になっていると思います。
しかも直接手を下して死なせてしまったという訳ではなく、
自ら死を選んでしまったというだけのことなので、
これは不幸という言葉以外は私には見つかりません。
それ以上でも以下でもないと思います。

いじめに対してはいじられる側、いじめる側の両方の視点が必要です。(このへんは以前のコメントの事です。)
で、この上のコメントは、第3者視点でしかないのです。
厳しい嫌な言い方かもしれませんがメディアや関係無い人の客観的視点での返答に感じます。
質問者の重要な部分は”遺族の気持ちになって考える。”
残された遺族の気持ちになっての返答になっていないのでは?という点が気になりました。
はたして、自分の子供がいじめで自殺して、自分から死んだんだから諦めがつきますか?
生まれ愛情を注ぎ育った子供をそこまで割りきれるか?
精神的に追い込んだ相手方に何も感じずにいられますか?
私は”いじめ”での自殺を「自殺」と書くのが嫌いです。
直接手を下さずとも、精神的に追い込んだ殺しと思っています。

私が親なら無理です。泣きます。相手方を恨むでしょう。
本当の謝罪(どこまでを本当の謝罪というかは難しいですしここで論ずる事とはズレが生じると思うので割愛)
を受け入れられて、はじめて少しずつ心の整理がつくと思います。

ちょっと暑苦しいコメントですが。ちょっと年上の意見の1つとして参考にしてみて下さい。

2013年
07月20日
18:43

*春海さん

再度コメントしてくださりありがとうございます。

>変わっていること」が立派な個性であるという自信を持つことではないかと思います。

そうですね。
本文や、以前の私やゆかっさんさんのコメントの通り
話し合った結果「直す必要がない」と結論づけられれば
それはとても素晴らしいことだと思います。
ただ、変わっていることが理由でいじめられているとしたら、
この先の人生においてもあらゆるコミュニティで同じように
周囲から見られる可能性があることを覚悟しなければならない
と思います。
しかし、ある程度周りも成長し、(高校生以上くらい?)
他と違う人をむやみに攻撃するような徳の低いコミュニティ
でなければ、本人が幸せであれば決して嫌みという意味でなく、それは全く問題のないと思います。

>「いじめはいけません」と言うだけでは不十分だし、理由を詳しく解説しても十分とは言えない気がします。文学作品などを通した情操教育により、上記のような自発的な感情を持ち続けさせることが必要でしょう。

難しそうですが、そうできれば本当に素晴らしいと思います。
日本は無宗教ですが、個人的には無宗教でこれだけ価値観の
統一が図れているのは、私は本当に何故だろうと思っています。
いじめや争いを無くす、という目的に限って言えば
何か布教のような方法が最も逸脱者が出にくいような気がします…

2013年
07月20日
19:07

*モノクロさん

>質問者の重要な部分は”遺族の気持ちになって考える。”
残された遺族の気持ちになっての返答になっていないのでは?という点が気になりました。

確かにそうですね…
質問に対しての答えになっていないので、おっしゃる通り
だと思います。


>いじめに対してはいじられる側、いじめる側の両方の視点が必要です。(このへんは以前のコメントの事です。)
で、この上のコメントは、第3者視点でしかないのです。

すみません、では私がモノクロさんとは視点が全く違うところ
にあったと思います。
私はいじめを社会全体のなかでの「現象」と捉えていましたが、もう少し目線を落として考えた方が良いのかもしれません。
ただいじめは「いじめる側」が行為をして生まれるものですから、いじめについて論じるにあたっては「いじめる側」の
心理を考えることが重要なのでは、と思いました。
「いじめられる側」が悲しくて、寂しくて、辛くて、痛いのは
(ぞんざいな意味でなく)大方想像ができるので。


>私が親なら無理です。泣きます。相手方を恨むでしょう。

私もそうです。
ただ世間の自殺という「現象」に対してのものに意見を
もとめられればやはり不幸とそれ以上でも以下とも
答えられませんが、
私は子どもがいないので、彼女や親に置き換えて考えれば、
(いじめではなく精神的に自殺に追いやったと仮定して)
どんなに自分が不幸になろうとも、相手方にどんな事情が
あろうとも、最も苦しむであろう方法で相手を殺しにいきたいと思います。

「社会」という広い世界の中で「いじめ」という一つの
現象について論じるのと、自分の周囲に置き換えて個人として
考えるのとでは視点が全く変わると思います。

2013年
07月22日
01:34

25: 春海

>変わっていることが理由でいじめられているとしたら、
この先の人生においてもあらゆるコミュニティで同じように
周囲から見られる可能性があることを覚悟しなければならない
と思います。

 まさにその通りですが、「覚悟しなければならないと思います」に少しひっかかりました。「当人にとってつらいこと」とこすみさんが考えているように読めるからです。

 僕の考えでは、全然「つらいこと」ではありません。なぜなら、いじめをそのように克服した人はすでに自信を持っており、変わり者と見られても平然としていられるからです。

 私事ですが・・・・・・・僕は、(言わば)「少数派ゆえの生きにくさ」への覚悟を持っていますが、それをつらいこととは全く思っていません。

2013年
07月23日
13:45

*春海さん

誤解させてしまいすみません。

僕も同じようにどちらかというと周囲から
「変わっている」と見られることが多いです。
また服装も流行のものや周りと同じような格好をしないので
電車などでチラッと見られることもしばしばですw

ですが私も春海さんのように悲観的に感じることはありませんし、
自分を出さず周囲にとけ込むように努めることは周りから
変わっていると見られることよりはるかに自分にとって
難しく、幸せではないからです。

そういう意味で自分の子どもがどうなるのか、
とても楽しみでもあります。

棋譜作成
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