私たちアマチュアにとっては、「何のために碁を打つのか?」はいつも大きなテーマです。
囲碁きっずで、認定活動をしながら、いつもなぜなのか、自問自答しています。
相撲が「力の強さ」を競い合うゲームならば、囲碁は「頭のよさ」を競うゲームだと言えます。
生きるために相手を殺し、バカにしたり、されたりして遊ぶゲーム。。。表面的にはにこやかに微笑み合っていても、内面的にはそんな過激な一面を持っていると思います。ああ、人間の業の深さよ。。。
ことに、失敗続きの人生で、貧乏生活に日々あえいでいる私、でごんなんかにとっては、日ごろの鬱憤を晴らす、格好のステージなのかも知れません(自虐的ですみません)。
しかし!!。。。碁盤を離れれば、お互いの気持ちがよりいっそう分かり合え、仲良くなれる一面も持っています。
私がオフ碁会にこだわるのも、ネット碁がきっかけで知り合えた、年齢・性別・国籍・階級を超えた仲間達と、より強く、ずっとつながっていたいと願っているからです。
碁を打つ意味を考えることは、生きる意味を考えるのと同じくらい難しく、また大事なことかも知れません。
ともすれば認定勝率にこだわりがちな、器の小さい私ですが、その大事なことをいつも見つめながら、認定活動を続けていきたいと思います。
コメント
03月23日
09:11
1: -
はじめまして^^!ヨサクです・・
何のためにと聞かれたら・・
わたしは人生最高の楽しみ・・人生を豊かにするものだと思っています。
歳をとっても続けられる最高の趣味です。
ボケ防止にもなりますし・・^^;
おまけに他の趣味に比べれば、お金もさほどかかりません・・^^
03月23日
09:44
2: rara03
こ、この写真は…(笑)
03月23日
10:42
3: -
「勝ち負けにこだわり過ぎると、碁が打てなくなる」との言葉があります。
私も、始めたころは勝敗にこだわって、勝てばいい気分になれるし、負けつづけると、もうこんな気分の悪いゲームなどやらないぞと思ったりもしていました。
「何のために碁を打つのか?」
私の今の答えは、「自分が元気になるため」
だと思っています。
勝敗にこだわらず、碁を楽しんで打っていきたい。
心が寒い時に、碁を打つと心の中に灯りがともり、暖かくなるような存在であって欲しいと思っています。
私にとっては、碁は冬場のストーブのような、こたつのような
また、栄養ドリンクみたいな存在でしょうか^^;
03月23日
15:35
4: BUBI
>生きるために相手を殺し、バカにしたり、されたりして遊ぶゲーム。。。表面的にはにこやかに微笑み合っていても、内面的にはそんな過激な一面を持っていると思います。ああ、人間の業の深さよ。。。
な、なんて正直な・・・(爆)
でごんさんでもそう思うんですか^^
認定でいっぱいいろんな人と対局されているでごんさんはそんなことないと思ってた♪
正直、たまに私もそう思うことが、なくはないわけではないような・・・(こらこら、どっちなんだ)
でも本当に打って楽しかったと思うときは、負けても勝っても、自分なりによい碁が打てて、相手とちゃんと渡り合えた、と思えた碁の時です。でごんさんとの認定対局の時もほんと、楽しかったです♪
03月23日
22:43
5: ヘブン!
まだまだ素人で、正直言えば勝つことが最大の目標になっていますね。負けると落ち込むし、連敗続くと嫌になる。
勝敗を越える楽しさを見出すためには、続けるしかないんだろうと勝手に思って続けています。
03月23日
23:15
6: ねこや
最近、勝っても負けても碁が楽しいです(^_^)
そりゃぁ、勝てるのが一番ですが…。
今でも囲碁きっずを続けれるのは、でごんさんに認定打ってもらったのがあるからだと思います。
他にも、同じ思いの人はたくさんいると思います
これからも、頑張って下さい!かげながら、応援してます!
それにしても、写真が気になる…(笑)
03月29日
21:55
7: でごん
みなさん、コメントありがとうございました♪
正直に、真摯に自分の心を見つめるとき、囲碁をして単純に「楽しい」と言うだけでは済まされないような、ドロドロした闇のようなものが、自分の心に潜んでいるのを、いつも感じます。
その闇が、私やみなさんの心をとらえて、離さないのかも知れません。