東京都八王子市の八王子囲碁連盟会報「八碁連だより」(平成27年5月号)に寄稿を依頼されて、以下のような投稿文を書き、掲載されましたが、一部欠落がありましたので、改めてここで訂正して紹介させて頂きます。
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「武士のふんどし」
八碁連川口支部会員 齋藤三男
プロ棋士の依田紀基九段は、囲碁の試合に和服姿で登場するので一頃話題となった。どういう心境の変化なのかは知らないが、最近は背広姿である。和服で試合に出てくるということは、下着もまた和様であったのであろう。男子の和様の下着は、下がかった話で恐縮だが、パンツ(猿股)ではなく、褌(ふんどし)であるから、依田紀基九段も、和服の下には、日本男子としてふんどしを着用していたのではなかろうか。
写真:依田紀基九段(ご著書「21世紀の旗手」の表紙から)
過日、NPO法人八王子城跡三ッ鱗会第1回講演会で、元・都立高校校長のN先生の「後北条時代の暦(れき・こよみ)」のご講演を拝聴した。暦の作成には、天体の運行(太陽の位置や月の満ち欠け)の観測が欠かせない天文学が必要である。戦国時代、朝廷暦と三嶋暦があり、その使用を巡って、織田信長と朝廷との間で対立が生じ、それが本能寺の変につながったとの説があるとのお話であった。三ッ鱗会は、手作り甲冑隊として知られている。武士の甲冑姿で祭りのパレードに参加するのである。はたして甲冑の下には、どのような下着を身につけているのであろうか。戦国時代の武士の下着もふんどしであった。ふんどしを首からかけて股間を通し、後ろの腰で結んだ。戦国時代の武士のふんどしは、かなり長いもののようであった。
褌(ふんどし)には、越中ふんどし、六尺ふんどし等々の幾つもの種類があるようである。名称も地方によって異なり、 関西地方では「フドシ」、関東地方では「フンドシ」、仙台では「ウチオビ」、盛岡では「コバカマ」、常陸地方では「テコ」、徳島地方では「テテラ」、高知地方では「フゴメ」、長野地方では「モッコ」と呼ばれていた。九州の方言では「兵児帯」(ヘコオビ)と呼ぶ。
主に、祭事の際や水着として使用される六尺ふんどしは、その締め方が、慣れていないと、かなり面倒で難しい。どうしても六尺ふんどしを締めたい方は、武州今熊太鼓の皆さんに教えて頂くのが手っ取り早そうである。
依田紀基九段も、試合に臨む際には、和服の下に、真っ赤な六尺ふんどしをキリリと締めて出掛けていたのかも知れない。 <終わり>
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コメント
05月02日
16:26
1: どん吉
NPO法人八王子城跡三ッ鱗会
http://kessen.yahansugi.com/ix_about.html
05月02日
16:30
2: どん吉
武州今熊太鼓 http://imakumadrumhp.ojaru.jp/
05月02日
20:03
5: どん吉
【蛇足】:
そうだ、その昔、「ハラリと落ちる赤ふんどし」の絵手紙を誰かさん宛に出したのを思い出したゾ。
だれかさんとは、次の非公式ホームページの女優さんです。
http://homepage3.nifty.com/fwhj5337/index.htm
現在、住所が分からずファンレターも出せません・・・・・。
06月12日
15:56
6: どん吉
【市民自由講座】(八王子市川口郷土史研究会 共催)「後北条時代の暦(れき・こよみ)~その使用階層を氏照文書から読み解く」
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/event/koza/kawaguchi/04...