ニャホニャホ★タマクローさんの日記

(Web全体に公開)

2020年
10月25日
00:05

父が旅立っていきました(つд;)


皆さんぉ久しぶりです、ニャホニャホ★タマクローです(´・ε・`*)
皆さんぉ元気でしたか??o(*⌒―⌒*)o


日記を書くのにかなり時間が空きましたが、去る2020年7月16日午前0時30分、私の大事な父が75歳の生涯を終ぇ旅立ってぃきました(*T^T)

書き残して置きたぃことをただ羅列しただけなので、ものすごぃ長く!読みづらぃですが本当にスィマセン↓↓
(*´・ω・)(*´・ω・)ペコペコ


◆こんな内容の日記になってます↓↓◆

☆その①・・〈父との思ぃ出〉
☆その②・・〈父の生涯〉
☆その③・・〈父の病気〉
☆その④・・〈父とのぉ別れ〉
☆その⑤・・〈父の葬儀〉
☆その⑥・・〈終わりに〉



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◇◇その①・・〈父との思ぃ出〉◇◇


私の父はとにかく家族思ぃで、自分のことは省みず常に家族のことを一番に考ぇてくれる人でした。


☆①☆・・家計が財政的に苦しぃときも、自分ら家族には迷惑をかけまいと、食べたぃ物を食べさせてくれたり、欲しぃ物を買ってくれたり、
毎年欠かさず旅行にも連れてってくれたり、学業も行きたぃ所まで行かせてくれました。

◆・・私は3兄弟なんですが、3人とも大学まで行かせてくれたことを考ぇると、学費も相当大変だったはず!Σ( ゚ε゚;)

◆・・それなのに、大学在学中バイトをして学費を稼ごぅとしてた私に、『ぉ金のことで心配せんでえぇから、学業に専念しなさぃ』と小遣ぃまで十分に渡してくれてぃました!
(´;ω;`)アリガトウゴザイマス

(そこまでしてくれたのに、結局うまく良ぃ所に就職出来なくて安心させてぁげられず、ホント父に申し訳なぃ気持ちです↓↓)
(*>д<)ゴメンナサイ


☆②☆・・正義感が強く、社会的に間違ったことはいつでも叱ってくれたこと。

◆・・いつもは優しぃ父でしたが、私ら兄弟が社会に出ても恥を掻かなぃように、一般常識マナーなどには厳しくしてぃました。

◆・・私は大学に入るまで相当『バカ』でしたが、そんな常識やマナーが全く身に付ぃてない自分のことを思って、キツく言ってくれてぃたにもかかわらず、
『またか、うるさぃな!』・『別にこんなことでイチイチ怒らんでもよくなぃ??』と、よく反発してぃた昔の自分が今では恥ずかしぃ限りです↓↓
(*>д<)ホント、ゴメンナサイ



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◇◇その②・・〈父の生涯〉◇◇


生前、父から何度か昔のことを聞かされてぃたはずですが、ぁまり覚えてぉらず申し訳なぃ気持ちです。


☆①☆・・父は、1944年(昭和19年)生まれで、16歳で今の私の家の養子になりました。

◆・・その時の父親はかなり厳しかったようで、怒ると食事中に箸を投げ付けられることもあったそうです!Σ(゜Д゜)
逆に母親は酒好きだったらしく、どっかの店で酔ぃ潰れた母をリヤカーに乗せて、よく家に連れ帰ってぃたと聞きました。
Σ( ̄□ ̄;)ソンナコトマデ!!


☆②☆・・学生時代は家庭の事情で『中学』までしか行けず、すぐに働くことになり、『鉄工所~ガソリンスタンド~三菱レイヨン』と何度か転職したらしぃです。

◆・・中学しか行けてなぃ⇨⇨⇨周りの高学歴の同僚に何とか追ぃ付かなくては!⇨⇨⇨必死に猛勉強!⇨⇨⇨結果、多くの資格を取得し、同僚をも追ぃ越し出世!
( ゚ロ゚)!!スゴーイ

(ぁまりにもスピード出世だったので、一部の同僚からは、『どぅせ、上司に媚びを売ってんだろ!』と妬まれることも多かったらしぃです)
(*´・ω・)ヒドイヨネ

◆・・父は生前、『自分が味わってきた苦しみは息子にはさせたくなぃ』と言ってたので、この過去の話を聞ぃたとき、自分ら息子全員を希望の大学まで行かせてくれた本当の意味を理解しました。

(父さんも本当はみんなと同じ、『高校』まで行きたかったはず・・)
(´・ω・`)トウサン、アリガトウ


☆③☆・・30代で結婚し、私ら3人の子供を育てながら定年まで一生懸命働き、退職後は幼稚園のバスの運転手を勤めたり、友人の電気屋さんを手伝ったり、趣味の家庭菜園に励んだりしてぃました。( ≧∀≦)v

◆・・父は手先が器用なせぃかDIYが得意で、『水道の水漏れ・床や壁の簡単な修理・イスや机の作成・小さぃ家電製品の修理』など色んなことを自分自身でやってて、ぃつも『スゴぃなぁ~( ̄0 ̄;)』と思ってました。

(昨年、近所の方が約50年前の古ぃ碁盤(足付きで3~4寸くらぃ)を捨てるとぃうことになったらしぃのですが、父はそれをもらって帰ってきて、『欠けた所』や『足のグラつき』を直し、ニスなども塗ってピカピカに仕上げて私にプレゼントしてくれました!!)
( T∀T)ノ(*・ω・人)♪♪
♪アリガトウ、ゴザイマス♪


☆④☆・・定年後は家庭菜園にハマってぉり、色んな花や野菜を鉢植えで育ててぉりましたが、中々上手くぃかず四苦八苦してたよぅです。

◆・・それでも段々コツが分かってきたよぅで、最近では毎年『色んなキレイな花』を咲かせ、『自家製の野菜』も沢山食べさせてくれました↑↑

(自分が育てた野菜を、私たち家族が美味しそぅに食べてる姿を見て喜んでぃた、ぁの『父の笑顔』がもぅ見れなぃなんて・・・)
( ´;ω;`)グスン



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◇◇その③・・〈父の病気〉◇◇


父の死因は、C型肝炎ウィルスによる『肝臓ガン』でした。


☆①☆・・今でも、病院で医師から聞かされた言葉が脳裏に焼き付ぃてぃます・・・


『○○さんは、末期の肝臓ガンです』

『ガンが肝臓のほぼ全体に広がっていて、抗がん剤も放射線治療も、すでに体が持たなぃ状態です』

『残念ですが、なす術がぁりません。もって数ヶ月でしょう・・』


・・・・(;・∀・)?


・・・・(;・∀・)エ!


・・・・(;・∀・)ウ、ウソデショ!?


◆・・父は70歳になっても頭はスゴぃしっかりしていて、昔の記憶や若ぃ時に取得した資格の知識などもきちんと覚ぇておりました。

◆・・確かに最近では食欲がなくなったり、体を動かすのが辛くなったりと、少しずつ体調が悪くなってきてたので、『もしかしてコロナ??』、それか『最悪、もしかしたらガンなのか?』とは予想してましたが、まさかの末期で手遅れだったなんて・・・
( *´・ω)/(;д; ) ソンナア


☆②☆・・何も治療をしてぁげられず、日に日に弱っていく父を見るのはホント辛かったです。

(昔の家族写真や、愛読してた家庭菜園の本なども病室に持っていってぁげました)

◆・・私は昨年、医薬品系の資格を取得しましが、結局その知識を父にぁまり活かしてぁげることが出来ず、無様な自分を責めまくりました。

(看護士の資格ではなぃので病気などに詳しぃわけではなかったのですが、それでも健康に関する知識はぁる程度身に付けてぃたので、本当なら父にもうちょっと助言ができたはず
(>д<*)ナニ、ヤッテンダ!!

◆・・C型肝炎のことは私達家族は知りませんでしたが、父は日頃から『わしが病院に行くときは棺桶に入るときじゃ』と言ってたので、自分自身でもぁる程度覚悟はしてぃたようです。

(C型肝炎は長年かけて進行してぃくみたぃで、現在の医療では早目に治療すればほぼ治るらしぃです。)
( ゚ロ゚)!!( ゚ロ゚)!!

(父も会社の健康診断などで若ぃときに気付ぃていたとは思うのですが、何故治療してこなかったのかが謎です)
(。-ω-)(。-ω-)

(ぁくまで私の推測ですが、もしかしたらそれこそ入院などで家族に迷惑をかけなぃよう、我慢して黙ってぃたのかもしれません)
(*T^T)(*T^T)トウサン!!


余談ですが、今年2020年のノーベル医学・生理学賞は、偶然にも『C型肝炎ウィルスの発見』に貢献した3名に贈られるみたぃです。
(*´・ω・)!!



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◇◇その④・・・〈父とのぉ別れ〉◇◇


父はだんだん会話も食事も出来なくなり、最後は血圧も心拍数も少しずつ弱くなっていきました。


☆①☆・・亡くなる日の夜は私が1人病室に残っていましたが、深夜0時にいよいよ危なぃ状態になり、急ぃで家族に電話した途端、心拍数がゼロに・・・なりました。
( ゚□゚)エ!・・( ゚□゚)ウ、ウソダロ!!


◆・・私は、家族が到着するまで必死に父に呼び掛けました。


『もぅ少しで母さんや姉さんも戻ってくるけぇ!それまで父さんも、もぅ一度だけ・・もぅ一度だけ頑張ってくれ!』

『母さんや姉さんにも、生きてぃる最後の姿を見せてやってくれ!』

『頼む、お願いだ!息子の最後のワガママを聞ぃてくれ!』

『くそ!何で(心電図が)何も反応しなぃんだよ!(*T^T)ク』


☆②☆・・結局、自分以外の家族に父の生きてぃる最後の姿を見せてぁげることは叶ぃませんでした。

◆・・しかし、1つだけ『奇跡』が起こりました!

◆・・私が父にどれだけ呼び掛けても反応しなかった心電図が、母さんや姉さんの呼び掛けも加わった途端、『ピク!』っと少しだけ反応したのです!

◆・・私は、それこそまさに父が最後の力を振り絞って、みんなの呼び掛けに応ぇた証拠だと思ぃました!

◆・・『父さん・・最後に奇跡をぁりがとう・・息子のワガママを聞ぃてくれてぁりがとう・・本当に・・本当にぁりがとう・・・』

◆・・私は心の中で何度も呟きました。
( *´・ω)/(;д; )



・・・入院してから1ヶ月。

深夜0時30分、私の父は眠るよぅに静かに旅立っていきました・・・



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◇◇その⑤・・・〈父の葬儀〉◇◇


父の葬儀でこだわったところは、趣味が釣りでしたので、祭壇の花の形を海の波を表すよぅにしてもらったとこです。


☆①☆・・父は生前、『もし、わしが入院することになっても(近所には)秘密にしとぃてくれ』・『ぁと、もしもの葬儀のときは人も呼ばんで家族葬でえぇ』と言ってぃたので、近所の方々には亡くなった後に知らせました。
(*´・ω・)(*´・ω・)スイマセン

◆・・しかし、父には背く形になりましたが、近所に亡くなったことを知らせると、葬儀には予想外のたくさんの方が来られてビックリしました。
( ゚ロ゚)!!( ゚ロ゚)!!

・・近所の方々も、『最近ぉ父さん見かけんかったから、心配してたのよ』と、皆口々におっしゃって下さいました。

・・また、『生前は、日頃から庭木を(無償で)剪定してもらってて本当に助かりました』や、『釣った新鮮な魚やアサリを頂ぃて、本当にぁりがとうござぃました』など、父への感謝の言葉もたくさん頂戴しました。
(*T^T)アリガトウゴザイマス!!

(ぉ寺の住職さんにも、父は日頃から釣った魚やアサリなどをぉ裾分けしてぃて、葬儀の際に参列者の皆さんの前で、父への感謝の気持ちをおっしゃって下さいましたので、本当にぁりがたかったです)

・・このとき私は、『父は近所の方々に大変慕われてぃたこと』を再認識し、それと同時に『こんなにたくさんの方々に見送って頂いて、父さんはホント幸せものだなぁ 』と思ぃました。
(*^-^)/\(*^-^*)/\(^-^*)


☆②☆・・父の写真での回想スライドショーと、司会者の父の紹介スピーチで号泣。

◆・・父の若ぃ頃や家族との写真を何枚か提出して、葬儀の際にスライドショーにして頂ぃたのですが、まさかの!葬儀会社の計らぃで『』まで添ぇてくれてぃたことにビックリしました!

・・しかもその曲が福山雅治さんの『道標』とぃう曲で、歌詞の1つ1つが絶妙にマッチしてて、物凄く心に響き、ぁふれる涙を止めることが出来ませんでした。
(;TДT)ボロボロ

◆・・さらに!その後に司会者による父の人生の紹介があったのですが、その内容がとても素晴らしぃ物でまたまた号泣しました。

・・事前の打ち合わせで父のことをヒアリングしたのですが、こちらの断片的な聞き取りづらぃ内容を、素晴らしぃ紹介文にまとめて頂ぃた葬儀会社の方々に感謝・感謝です。


・・これはその紹介文の一部ですが↓↓

『○○さんは退職後、幼稚園のバスの運転手を勤めてぉりました。』

運転手のおいちゃん!(今日も)宜しくぉ願いします!』(←園児達の言葉)

『明るく元気な園児達のその姿に、我が子の幼き頃を重ね合わせたことでしょう・・』


・・この言葉を聞ぃたとき、『何て!素晴らしぃ紹介文を・・作ってくれたんだ(T^T)!!』と、感動し過ぎて涙が止まることはぁりませんでした。
(;ω;`*)ウウー


☆③☆・・また、葬儀後に父が昨年から付けてぃた日記を見てみたら、その中に私の誕生日(今年の2月)のことも書ぃてあったのですが・・・


・・〈2月のぁる日記の内容〉↓↓・・


『今日は○○(自分のことです)の31歳の誕生日。』


『でも、小さなケーキを1つ買ってあげただけ。』


他に、特に何もしてぁげられず・・・ごめんね。。
(終わり)


・・・


・・・


まさか・・まさか・・!

体調が悪くなってきてたとぃうのに、自分はもぅ誕生日なんて祝ってもらぅ年じゃなぃのに、こんなことまで思ってくれてぃたなんて・・・
(*T^T)ゴメンネ・・ダト!!

もぅ、涙がぁふれてぁふれて止まらず、しばらくずっと泣ぃていました。
( *´・ω)/(つд;*)トウサン



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◇◇その⑥・・・〈終わりに〉◇◇


☆☆父が旅立ってからは、抜け殻状態が1ヶ月は続きました。

3ヶ月ほど経った今でも、まだまだ悲しみが完全には抜けきれてぉりません。

事実、この日記は何度も何度も涙を流しながら書き上げました。
(o;д;)o∥ウウー


☆☆私はよくYouTubeなどで音楽を聞くのですが、葬儀から1ヶ月は『別れの曲・旅立ちの曲』ばかりを泣きながら聴ぃてました、

◆葬儀の際の、福山雅治さんの『道標
◆STARDUST REVUEさんの『木蓮の涙
◆B'zさんの『ぃつかのメリークリスマス
◆平井堅さんの『瞳をとじて
◆The Beatlesさんの『Let it be』 など。
(ノ_<。)(ノ_<。)


☆☆時に厳しく、嫌な父だと思ったことは何度もぁりました。しかし、大切な・・大切な家族を失ったとぃう悲しみの方が強すぎて否めません。

・・父さん、まだまだやりたぃ事が沢山あったろうに・・

・・自分ら家族が心配だったろうに・・

・・そんな大事な父と・・

・・もっと一緒にいたかった・・

・・もっと甘えたかった・・

・・こんな自分を、もっと叱って欲しかった・・

今となっては、もぅ二度と叶わぬ思ぃです。
( ´;ω;`)シクシク


☆☆『父さん、今まで色んなとこに連れてってくれてぁりがとう』

『父さんとの思ぃ出は、どれも素晴らしぃことばかりだっだよ。』

『辛く、苦しぃこともいっぱいあったよね。
もぅ大丈夫だよ。』

『後はゆっくり休んでね。ぉ疲れ様。』

『向こうの世界でも、私たち家族を末長く見守ってぃて下さい。』

またぃつの日か、そちらで再会できることを祈って・・

またね! 父さん!

・・・

父の棺に入れる手紙には、このよぅなことを書きました。
(*´;ω;`*)マタネ。トウサン!!


☆☆昨年、父からプレゼントされたぁの碁盤は、形見としてぃつまでも大切にしたぃと思います。

・・(父さん、立派に修復した碁盤をぁりがとう。


☆☆皆さんも、これまで何度も、大切な人を亡くして悲しんでぉられることだと思ぃます。


☆☆私も皆さんを見習って、早く立ち直れるよぅガンバります!


☆☆こんな日記を読んでくださり、本当にぁりがとうござぃました。


☆☆まだまだコロナが落ち着いてぉらず、依然大変な状況ですが、どぅか皆さんお元気で。


☆☆『明けなぃ夜はない』・『どんなに寒ぃ冬でも、春は必ずやってくる


・・・困難を乗り越ぇた先には、きっと明るい未来がぁるハズです。


・・・私も、この悲しみを乗り越ぇていきます。
( *´・ω)/(;д; )ガンバッテ


☆☆それでは皆さん、さようなら☆☆




大変長くなりましたが、

☆☆最後まで読んで頂ぃたこと、心より感謝申し上げます(;ω;`*)☆☆
ぃーね!

コメント

2020年
10月25日
00:25

>>この日記を書ぃてる途中に、『影武者」さんから先にコメントを頂いていたので。返信と共に載せてぉきます。


『影武者さんのコメント』↓↓

・・・家族の為に懸命に働いて教育もしっかりとされていた、本当に立派で良いお父様だったのですね。

お母さんやお姉さんの呼びかけも、きっと届いたと思いますよ(*^o^*)

心からご冥福をお祈り致します。
(終わり)


<コメントの返信>↓↓

影武者さん、コメントぁりがとうござぃマス(´;ω;`)

 父には小さい頃からすごぃ迷惑をかけてばかりで、反省の気持ちでいっぱいです。 私の大学の『奨学金の返済』も、『わしが生きてる間は払っておいてぁげるから』と、自分には心配をかけさせまいとしてました。Σ( ̄□ ̄|||)

 これからは残りを自分でしっかり返済していきます。  
『父さん、大学を卒業してからも面倒を見てくれて、本当にありがとう』 

私たち家族の最後の呼びかけも、きっと届いていたからこそ、『奇跡』が起こったんだと思います。

返信が遅くなってしまぃ申し訳ござぃませんでした。

2020年
10月29日
20:45

素晴らしいお父さんですね。

ご冥福お祈りします。

2020年
10月30日
09:41

自分の父親と生誕年が同じだったのでコメントしました

ご冥福をお祈りいたしますm_m

自分は今年で親父の年齢を超えました。

2020年
11月02日
02:52

>>雨中柳さんコメントぁりがとうござぃます(;ω;)
父に比べたら、私なんてダメ人間です(。>д<)
父は、必死に頑張って人生をより良くしてぃこうしてたのに対し、私は人生を悲観し、早く楽になりたぃと何度も思ってきました(。-ω-)
でもこれからは、生前にしてぁげられなかった分も含めて、父に恩返しが出来るよぅ立派に生きていこうと思ぃます(つд;*)

>>学園先生さんコメントぁりがとうござぃます(;ω;)
父と同じ年に生まれたとぃうことは、同じく戦後の厳しぃ社会情勢の中、生きて来られたとぃうことですね(>_<)
私の父も、まだまだこれから老後の生活を楽しみたかったはず。父の無念を考ぇると涙が止まりません(*T^T)
私も父の年齢まで生きれたらいぃですね(*´・ω・)

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