そろそろ夏ですね。これからは寝苦しい夜が続きます。囲碁の創作怪談話です。少しは涼しくなりますでしょうか?お楽しみください。
『 石の数 』
もうお亡くなりになった方なんですが、十年以上も前のことです。大きなお屋敷にお住まいで、呼ばれて一局、お相手をさせて頂いたことがあります。お年もかなり上ですし、面子(めんつ)もありますので、お相手を立てて、僕が黒を持たせて頂きました。和室の客間で、深奥幽玄の掛け軸を掛けた床の間を背に、碁笥は桑、中の黒石は那智黒、白石は日向の蛤、碁盤は本榧天地柾の八寸盤という、素晴らしい見事な道具立てでございました。
写真:中曽根元総理の別荘だった「日の出山荘」書院内、囲碁の間の見事な碁盤と碁笥に掛軸「正気堂々」。
中盤もつれにもつれて、どうなるかと思いましたが、打って返しに追い落としで、相手の石が取れ、勝ちと思い、トイレに立って、用を済ませて戻り、盤面を見ましたら、何と追い落としが継がれていて、結局、僕が負けてしまいました。「変だなぁー、トイレに行っている隙に、追い落としをつないだんでしょう。」と言うと、怪訝な顔をして「いいえ、あなたが席を立った時に、わたしも席を立ち、お茶の支度をしていました。」とおっしゃるのです。
納得出来ないまま、帰ろうとしましたら、「そんなにお疑いなら、棋譜を取ってあるから、持って帰りなさい。」と言われ、棋譜を頂いて家に帰り、夜中に、棋譜通りに並べ直して見ました。途中間違いなく、打って返しに追い落としで、相手の石が取れているのですが、寄せてみると、継がれていて追い落としにならないのです。不思議なので、何度も並べ直しましたが、同じです。
朝が白々と明ける頃、石の数を数えてみました。間違いなく、黒から始めて、次に白と、一手ごと交互に、代わりばんこに打っているのですが、並べ終わって石の数を数えてみると、なんと白石の数が1個多いではありませんか。何度数えても同じです。何とも言えず奇妙な棋譜なので不思議でたまらず、その棋譜を仏壇の引き出しにしまってそのままにおきました。
お相手の方が、あの世に旅立たれて、葬儀に参列して帰った夜、仏壇の引き出しを開けて見ましたら、棋譜が見当たりません。家の中を隅から隅まで探してみたのですが、棋譜が見付からないのです。たぶん、亡くなったあのお方が、夜中にお見えになって、持ち去られたのかなぁーと考えております。それにしても、世の中には不思議な事があるものでございますなぁー。