鈴鹿本因坊さんの日記

(Web全体に公開)

2014年
05月16日
22:53

『そこまでするのか』


先日の本因坊戦第一局ご覧になったでしょうか。井山裕太本因坊(24)=六冠=に伊田篤史八段(20)が挑戦する注目のカードです。
井山さんも四天王や旧勢力でなく初めて迎える年下の相手です。
私は地元ということもあり第一局を注視してました。そこでNHK解説の高尾十段が何度も言ったのが、タイトルの言葉『そこまでするのか』でした。

大熱戦でした。実戦的にリードした伊田、一瞬の隙を捉えた井山 素晴らしかったです。 
ただ私も『そこまでするのか』という印象を持ちました。(それは着手でなく終局を迎える対局者の気持ちとして) 白(伊田)は大石を取られてからも徹底抗戦、されば と最強でねじ伏せた黒(井山) これが”今の碁”(世界標準)なんでしょうね。

私は昭和の碁が好きですが、このようなケースでは 負ける側がいわゆる”形作り”をして ”美しく”終わるわけです。 武士道というか潔く負けを認め、勝った側も敗者をいたわる心を示ような。
でもこの碁はそういう雰囲気では無かった。ズタズタになっても刀を離さない相手にとどめを刺したような感じでした。ある意味素人のような。 
まあ解説が高尾さんだったからかも知れません。張羽さんや羽根さんならまた違った見方だったかもです。ただどうしても勝ち負けだけで終わってしまうような処に違和感を持つ訳です。

ネット碁でそんな事を言っていたら笑われるかもしれない。古い人間になってしまったのかも。 でも合理主義の権化のようなアメリカでさえMLBや NBAを観ていると勝者が敗者を称え、相手もそれに応えるという場面があって、感動します。 
今後も凄絶なネジリ合いは多いにやってほしい、ですが反面武士道精神も忘れないで欲しい。 とまあ勝手な要求をしています。
ぃーね! (2) シホ2  ぺぺろんぢぃ 

コメント

2014年
05月16日
23:55

1: -

確かに、美しい碁が一番いいですね^^
しかし、囲碁界のトップを中韓に奪われた日本囲碁界も悪い訳で、
中韓にも通用する美をもっと追求していれば・・・
たれれば、意味をないさないですが。
何をやってもいい訳ではないですが、世界で遅れをとってる日本はトップの座を取り戻してからでも、現代版の碁の美を追求しても遅くないかもしれません。
と、日記を拝見して思いました。

2014年
05月17日
03:56

二人は相手や武士道とか関係なく、ただ最善の着手してるんじゃないのかなぁ~?

勝つ事だけじゃなくてもっともっと上を見てると思う。

そういう意味で今の碁の方が潔いって思うのはゆかだけ?

2014年
05月17日
19:47

最後まで全力を尽くした対局者が、武士道精神に反するかのような言い方はあんまりじゃないでしょうか?

MLBを例に出されていますが、形作りをスポーツですれば、それはいわゆる無気力試合では?野球の試合で大差がついた途端に、両チームのバッターが気のないスイングで試合を終わらせにかかったらどうでしょうね?
野球は九回ツーアウトからとか言いますね。勝負が終わるその瞬間まで、どれだけ苦しくても最善を尽くすのは素晴らしい事だと思います。

2014年
05月18日
22:28

コメント下さった皆さん、またこの日記をみてくれた方へ

私の記述が誤解を招いてしまったようです。
全力を尽くした両対局者を非難するような意味は全くありません。 ただ そう解釈されても仕方ない安易な文章であった事は認めます。
申し訳ありませんでした。

2014年
05月19日
16:43

今回は上辺の大石が死んでいるので
既に投了形は出来上がっていたのでは?
潔さ云々というのなら
伊田さんがコウに負けて右辺の黒が取れなかった時点で
投了するべきじゃないかな
最後下辺に手がなかったとしても凄まじい差がついています
それに右辺がコウになった時点で勝ちはないでしょうからそこで投了するという手もあったはずです

地合が足りない碁で
勝負手を打って討ち取ってもらって
投了するというのは形作りでしょうけど
既に大石が討ち取られて大差がついた碁を打ち続けるのは
形作りとは違うのではないかと思いますよ
まあ私は対局者の好きにすればいいと思いますが

2014年
05月20日
16:55

プロたるもの、そんな甘い気持ちがあっては、いつまでたっても中国や韓国に勝てないと思います。
囲碁ってのは茶道や華道のような文化部のたしなみやなんかではなく、本質は勝負事ですからね。
それで生活しているプロであればなおさらです。

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