岡部倫太郎さんの日記

(Web全体に公開)

2016年
02月06日
23:47

「勘違い力」こそが、全てを切り開く源のしずかちゃんだよ、慎ちゃん。


前回、話したように、人間というものは、
基本的には勘違いしかしていません。
(囲碁に限らず)


恋愛なんかがいい例ですが、
自分でも意識していないような要因で一目惚れしたのに、
(幼い頃に父親と生き別れて、年上好きになったりとか)
自分では理由がわからないものだから、
「優しそう」「生活力ありそう」とか適当な理由を後付けでこじつけたりする。
「人は見た目が9割」という本がありますが、
第一印象で大体何でも決め付けちゃうものです。


『客観的に、先入観を持たず、偏見を無くし、物事を考えることこそが、
理性と知性を持って地球の覇者として君臨している人類の特権である』


優秀な、真面目な、賢い人程、そう考えたがる、
自分はそうであると思いたがるのですが、
(西洋医学や機械工学、コンピューターなんかが、一番、発展してきた。)
結局、最終的には、あるいは最初的?には、
人間とは計算では理解しつくせない、「感覚」に頼る生き物である、
ということが、近年の学問の世界でも常識とされつつあります。
(人間の脳は宇宙と同じ位広いらしいです。到底、全部はわからない。)



『命には命を,目には目を,鼻には鼻を,耳には耳を,歯には歯を,
全ての傷害に同じ報復を。
しかし報復せず許すならば,それは自分の罪の償いとなる』

宗教に於いても、イスラム教の教義の中でこんなのがあります。

911テロを始め、イスラム教の名の下に活動してる人の中には、
これの前半部分だけを拡大解釈してる人達が今でもたくさんいるように、
未熟な人間が「計算」することを怠り、
早々に「勘違い」してることが批判されもしますが、
後半部分を胸に抱いてさえいるならば、
「勘違い」することを神様は推奨してくれているわけです。

「どれだけ辛い出来事でも、時が癒してくれる」
というように、都合よく忘れることができる、「勘違い」する能力というのは、
「神の一手」を打てない人間に与えられた、
「神様からの贈り物」なわけです。



で、日本人というのは、人類の中でも一際、
この「勘違い」する能力が人よりも高いと僕は思っています。
(織田信長を美少女キャラにしたりとか、
どんな物でも都合良く改竄して溶けこませる事が出来る)

考えられる理由として、
隣人トラブルが日常にある中で生きていた西洋の人達が、
現代人からすれば到底信じられない、魔女狩りとか愚かな歴史を経て、
直に「勘違い」しないように計算能力を伸ばしている間に、
島国引き篭もり日本人はのんびりと成長しながら、
海外のいいとこ取りをしてきたからです。

勿論、「勘違い」能力と言っているように、「計算」能力とは関係が無く、
西洋の人達からは、全然理解出来ていないと見られる部分はあるのは確かなのですが、
何でも適当に受け入れてしまえる点では優れているのは確かです。



その中でも、一際、囲碁の世界では、
「読み」と「感性」の両方が重要と、同じ位評価され、
そのおかげで、江戸時代から真っ当に進歩し続けてるわけですが、
他の世界の専門家の中には、凄く賢かったり才能がある人でも、
西洋かぶれだったり、「読み」に偏る人が結構いるのが常であることを思えば、
他の世界の専門家よりも、囲碁のプロが、
バランスが取れている人が多そうなのも納得です。






とにかく、頭の固い人程、それを認められず、
「ノスタル爺」の太吉のように苦しむわけです。


プロ試験に受かる実力は十分にあるのに、
プロでやっていく覚悟や自信が無い、
挙句の果てにはヒカルを必要以上に意識して、
反則負けなんてしちゃった伊角さん。

最初はただのクソガキだったけど、
色々あって成長した分、佐為が消えたことに責任を感じて、
成仏してもう会う事は出来ず、
本当はどうであったのか二度と知ることが出来ないのにもかかわらず、
勝手に落ち込んで、いつまでも、ひきこもって立ち止まり続けたヒカル。

彼らは「勘違い」するのは劣った人間、無責任な人間のすることだと、
一生懸命、自問自答し続けたわけですが、
所詮は、そんなものは唯の一人相撲、自己満足、
これだって、「勘違い」でしかありません。


お互い、事情は分らずとも、悩み続けた者同士で久しぶりに打った一局、
心に抱えてるものを一旦置いておいて、
目の前にいる相手、すなわち鏡合わせの自分と向き合い、
段々と自分自身のことも客観的に見ることが出来るように変化したからこそ、
ヒカルは自分の碁の中で佐為が残っている事を見つけ出し、
だからといって、1+1=2 のように、答えの決まった詰め碁のように、
それを理由に佐為とああいう分かれ方をしたことを帳消しに出来るわけでもないのですが、
それでも、あの当たりで、自分の中の折り合いをつけることができたわけです。





「石だけを見ろ。これは自覚と訓練で出来る。
元々の性格なんて関係ない、こんなもの習得できる技術さ。」
(これ、とても重要。
自覚が「勘違い」訓練が「計算」に当てはまる。囲碁でも何でも同じ。)

伊角さんの場合だと、
ヒカルや和谷のような怖いもの知らずに突き進めるような性格になったりは出来ないものの、
囲碁でやってきたことと同じ事を、メンタルトレーニング?でもやればいい、
プロ試験で越智に宣言したように、
碁でやってきたことには自信があるのだから、
碁で出来るならば、それ以外のことでも同じ事は出来るはず、
そう気楽に考えるようになり、
目の前でヒカルが変化する様を見て、
ヤンハイさんに言われた事は間違いないと余計に自信を深め、
緒方さんすら手玉に取る桑原本因坊相手でも堂々と打ち合うようになりました。






ですから、人間にとってのあらゆる事は、
その時点で自分を納得させるのに足る、
「上等な勘違い」を求めてるに過ぎません。

そのことが本当にわかっているならば、
もうどうにもならない過去の事だとか、
あるのかないのかわからないような遠い未来のことだとか、
そんなことをぐだぐだと言うのはありえないんです。

それが出来ないということは、
「現在」を大事にすることが出来ないことを意味しますし、
実際、人が悩んでる姿なんて、関係の無い他人からしてみると、
客観的に見てみれば、バカみたいに思えるものです。



そして、なかなか納得することが出来ない、
「勘違い」出来ないからといって気に病む必要は無く、
自分は今、成長している最中で、この葛藤を越えた先には、
「より上等な勘違い」をした時に特有の達成感があるのだと知っているなら、
むしろ、それをプラスに変えて、
モチベーションに変えることだって可能なはずなんです。

碁打ちに限らず、
人よりもすいすい成果を出していって成功する人というのは、
例外なく、こういうことを無意識にせよ、意識的にせよ、やっています。

無意識的にしかやってきてない若者はヒカル達のようになりがちですが、
とりあえず、上手くいっている間はそれが出来てる。




僕が誰にも教わる事無く、それなりの棋力になり、
初心者指導とかではなく、
自分ひとりで遊んでる分にはスランプ知らずに楽しくやってるのも、
わからないことがわかる「一過性の勘違い」の喜びを知っているからであり、
葛藤して試行錯誤するのをいいことだと心から思える、
信じる事が出来てるからです。
(僕は大会には一生出るつもりありませんので、
勝ち負けや棋力は勘定に入れていません。)

強い人に教えて貰えれば当然のこと、
そうでなくとも一人でやっていたとしても、
その日に勉強したことは、確実に身に着けているという実感がありますし、
僕の検討をリアルタイムで見たことがある人は知っているでしょうけど、
並みの伸び悩んでる有段者も含め、殆どの人より僕は検討量は多いです。

序盤の定石研究とかみたいのは、
自分一人でやっていても効果を感じないのですが、
(そもそもレベルが高すぎて、
今の自分で一人でやるのはほぼ意味がないから。)
その日にリアルタイムで打った碁や、
プロに教わった事などを題材にした検討については、
後日、同じ場面が出た時に、
前よりも良い対応が出来るように「慣れて」います

実力者に「正解」を教えてもらうよりも、
効率が悪いことをしているように見えるかもしれませんが、
いや、実際、並みの有段者以下の人が「勝率」を考慮するならば、
韓国のプロのように皆で研究した新定石で相手を嵌めたり、
小手先の知識に頼る方がいいのですが、
「地力」をつけるためには、それと平行して、
効率は悪いようでも地味に数をこなす、
失敗をたくさん経験する事で初めて見る局面でも、
知識を応用して使いこなせるようになる、
これは避けて通る事ができませんし、
実力者は皆、そういう過程を少なからず経ています。
(6歳で碁を覚えて講談社になり、
そのままプロにもならず碁を辞めて年老いた天才とかなら別ですが)



僕は地頭が特別良い訳ではなく、
碁を始めたのがそんなに早いわけでもなく、
碁を始めた時は精神的にあれやこれやで、
何かをするのに適した精神状態だったわけでもない、
自分で言うのもなんですが、
僕程度に上達する位は当たり前だと思っていました。
やってきた「量」からしてみると、僕なんて、むしろ、最底辺の部類だと。

まあ、でもそれはいいんです。
僕は強くなるのが目的ではなく、
出来るだけ自分一人でやって、
「勘違い」する機会をたくさん持つのが目的だったので。
さっさと棋力を上げるよりも、
「勘違い:出来る実感を持つ方が有意義だし面白いですから。



僕はネット上でも簡単に証明出来るものとして、とりあえず囲碁に関しては、
自分の打って直の碁の検討で一勉強すれば一覚える程度なら出来ますし、
上手からマンツーマンに近い形でわざわざ時間を割いてもらう時ならば、
自分でやる時以上に集中もしますので、
一教われば三位は覚えたりもします。
(まあ、そんな機会はほぼ無いから、
僕の力は今もこの程度なのかもしれないですが。)

対して、他の人も皆、
僕のように人から教わる事で、
自分一人でやる時より三倍の効果が出たとします。

いや、恐らく、出てる、出るような気がしてると感じるからこそ、
ありがたがって指導碁受けたり、
プロの出した本を買って読んでるんでしょうけど、


「何年も勉強してるのに、初段にもなかなか成れない」
という人は少なくないですが、
碁を打とうと思える程度の余裕がある状態ならば、
特別に誰の助けも借りずとも、やることやってれば、
僕と同じくらいには伸びる筈なんです。

初段になるのに必要な知識なんて、そう多いものではないですから、
誰からも教わらずとも、知らない事なんてたくさんあろうとも、
全体的に、なんとなく、「勘違い」したままでも、なんとかなる。


高段ともなると、棋力を上げるのが目的なら、
僕を真似るのは程ほどにした方がいいですが、
(なにしろ、勘違い大王なので。)
ある程度まで上達までの間なら、
あるいは、碁を楽しむのが目的だというのならば、
もっと「量」をこなしたほうがいいと僕は信じています。

(モチベーションだとか気持ちの問題以前に、
僕が自然にやり続けてきた勉強方法がどういうものなのかということと、
何故、それが効果的なのかという、理論的な部分の説明、
これについては、後々、お話します。
今、してる話とも関係してはいるのですがまだ早い。)








と、まあ。ここで終わっては唯のしょっぱい自慢話でしかありませんが、
(それも僕より上の人からすると滑稽にしか見えないレベルの)
こんなことは、薄々、誰しも気づいている事でしょうから、
本題はここからです。



では、何故、これがあっさり出来る人と、全然、出来ない人がいるのか?

いや、ヒカル達を見てもわかるように、
出来てるような人でも出来なくなるのは何故なのか?



誰に頼るわけでもなく、モチベーションを維持し続け、
一人で黙々と努力して成功出来るならば、
誰だってそうするでしょうし、僕だってそうします。

ドラゴンボールの悟空が最強なのも、
自分が死のうがそれでも戦うのが大好き、
強くなるのが大好きなバトルマニアだからです。

ガリ勉タイプの人が、好きで勉強してる人に適わないように、
ある一定のラインを超えようと思ったら、
プロの指導碁をわざわざ予定立てて受けたり、
何度も同じ間違いをして全然身についていないのに、
それでも我慢して続けようとしたり、
ビジネス書とか、成功者の話をかたっぱしから参考にしようとしたりした、
そんな中途半端な努力をしたところで、まず間違いなくうまくいきません。

だからといって、自分を追い込めばいいというわけではない。
それでは、ただの無駄死にです。


これは、ヒカルや伊角さんも同じでした。


何故、そうなってしまうのか?






もったいつけても仕方が無いですので、答え言っちゃいますが、
要は、自分には向かない方向に進もうとするからそうなるんです。

「あの時期」に、
ヒカルは佐為をやたら意識してましたし、
伊角さんはヒカルや和谷みたいなのを意識していました。

言ってみれば、無い者ねだりをしようとしていた。
(碁の技術の話ではないです)


http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1350743...

ドラゴンボールのセル戦で、
悟空は悟飯を追い詰めて覚醒させようとしていましたが、
ピッコロに「お前は間違ってる、お前と悟飯は違う」と言われてましたし、
結局、悟飯が強くなったのは、ある出来事がきっかけでした。

一人で修行する方法を教えること自体は悟空はプロ中のプロでしたが、
それなら、強い人なら誰でも程度の差はあれ教えられる、
誰と一緒に、誰を目指して強くなるかがより重要でした。



日本人の多くは、女性的な、従順な佐為や伊角さんタイプとして育ち、
男性的なヒカルになるのを会社では要求されたりする。

だから、苦しい思いをしている割には、それに見合った成果が出ず、
その事で更に自分を追い込んで、余計に状況を悪くする。


「勘違い」してることに気付かずに、「勘違い」を繰り返すのではなく、
「勘違い」してることを意識して楽しむ、
「勘違い」中毒人間を目指してもらいたいんです。


佐為が成仏出来たのも、
「勘違い」中毒ループの生活スタイルが出来ていたからです。
昔の日本人は、現代の人よりは、それがしやすかったこともあるのでしょう。

人一倍努力することが必要なのは確かですが、方向性が何より大事です。
一歩ずつでも、着実に進み続ければ、ある程度のラインにまで到達できる。
一歩進んで二歩下がる、二歩下がって一歩進む、なんでしてても無理です。



強くなるための「悟空」スタイルの勉強方法を
論理的に仕組みを説明して教えたところで、
金が貰えるとかでもあるまいし、
殆どの人は、少なくとも、碁に限っては、とても真似できないでしょうから、
(親が子に教えるなら内心は嫌でも続けるでしょうが、僕がいったところでね)
その前にやってもらうことがある。

殆どの人のやってることは、
悟空が教えた中でヤジロベーでもやれた範囲から選んでアドバイス貰いながら、そこらの地球人武道家と組み手してるみたいなものです。



次回からは、「強くなるにも大きく分けて二通りの順路がある」
そのあたりの事情について考えていきますので、よろしくお願いします。

たぶん、前回同様、前後篇の二記事に分けると思う。
どういう順番でどの部分を話すのがいいのか、考えるのに手間取っていますが。
ぃーね!
棋譜作成
: