岡部倫太郎さんの日記

(Web全体に公開)

2016年
02月26日
17:11

間違い探しと正解探し 境界線はどこにある? 前編


予告通り、今回が最後の碁の話です。

正直、直接的に碁の技術面で話す事なんてたいしてないです。

職人が丹精込めて作り上げた切れ味鋭い包丁を、
人を喜ばせるために使える人もいれば、
人を殺す道具にする人もいるように、
結局、何をするにしても、その人次第です。

実際、芸術の世界で内弟子取ってるところだって、
技術的なことはたいして教えなかったりするように、
ビジネス書が自己啓発的な内容ばかり教えてるように、
実力で勝負するしかない、誠実な世界ほど、
今ある事態は起こるべくして起こってるし、なるべくしてなってる。
(井山くんは師匠にかなり直接打って貰ったらしいですが、
 ああいう特殊な例を凡人にあてはめて考えるわけにはいかない。)



というわけで、
それなりに努力してるのに思うように上達しない、
不満が常にあるという人には必ず見て欲しいところ。


これだけ、色々なノウハウが広まり、指導者がいるにも関らず、
出来る人と出来ない人が大きく分かれるのなら、理由は絞られてきます。

それについて考えない限り、ずっと囲碁界はこのままのはず。

雑談やオフ会、プロとの語らいとかを楽しむのは結構ですけど、
肝心の碁自体が駄目なら、糠に釘、焼け石に水、暖簾に腕押しです。

何故、プレステ普及とかではいけないのか?
皆で楽しく盛り上がってストレス発散とかなら、
囲碁よりもずっと手軽なはず。
(僕はホラーゲーム怖くて一人でやれないので、実況動画で見てます)

「他のゲームより頭がよくなる気がするから」

そんな程度の理由では、
コンビニ食生活しながら健康志向を目指すようなものです。



「碁を都合のいいように利用する人」を普及させたいのか?
「碁と共存すること」を普及させたいのか?

その点をはっきりさせないことには、世間の反応は疎いはずです。

「何で、囲碁なんてごり押しすんだよ、うっとおしい。
 お前らだけで勝手にやってればいいだろ!
 断るのだって疲れるんだから誘わないでくれ!」

そう思われても仕方が無いです。







えーっと、二週間ぶりですし、
一応、最初に前回までの話をまとめときますね。
たまたま、今回から見たという人でもついてこれるように。

覚えてる人は飛ばして下さい。



以下。


人生というのは、人に頼って何とか出来ることばかりではなく、
結局は、本人の気持ちに依る、本人が何とかしないといけない、
そんな面倒くさいことこそが、一番の問題である。

「生きる力」だとか「めげずに努力するのに必要な力」というのは、
僕の話すところの『勘違い力』に該当するものであり、
その『勘違い力』を伸ばすためには、
何となく、適当に生きてるだけでは、当然、身につかない。

何故かと言えば、人生とは、戦って何かを「捨てながら」進むことであり、
「魔王」タイプの人は、あまり悩まずに捨てまくれるから突き進めるのに、
「勇者」タイプの人は、街でのんびり暮らしたいなぁと思ってるので、
そんな簡単に今あるものをポイポイ捨ててまで進もうとは思えない。

常にその状況で必要とされるレベルの「勘違い力」を求める「勇者」に対し、
「魔王」にとっては、そんなものは現役引退する位までは不要。
(お互いの意見が食い違って、余計に混乱してしまうのはこのせい)

其の上、「捨てる」だけでは「勘違い力」を上げるには不十分で、
「自分が捨てるもの、捨てたものの価値」を認識する必要がある。

勇者は「捨てる」理由が少ないので、進むのが遅いのに対して、
魔王は「捨てる」ことは出来ても、「省みて」価値を認識するまでが遅い。

ただでさえ、大変なんだから、
お互いに我が道を突き進んでいかないと、余所見してたら更に遅れる。

だからこそ、趣旨一貫した生き方が出来ないと思うように進めない。



そういう話でした。



今回は、更に詳しく碁の本質について解明するところから始めます。

といっても、今回の記事に限って言うならば、
碁に関心の無い人は、最初の方と最後の方だけ読むのでも構いません。

僕は囲碁普及だけに拘ってる訳では無いので、
囲碁は使える手札の一つでしかない。
個人的な愛着はあるけど、他の人には関係ないし。














59:名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/28(木) 12:33:04

夜中に町をプラプラしてたら警察に捕まった。
パトカーが俺のそばに止まって警官が2人出てきて俺を囲んだ。
警「ドゥーユーハヴパスポート?」
俺「ノー」
すかさず確保される俺。
警「ニホンゴワカル?」
俺「はい」
警「どこから来たの?」
俺「…ぐんま」
警「ミャンマー?」
俺「ぐんま」
警「グンマーね。ビザは持ってるの?」
俺「持ってないです」
警「はい、じゃあパトカー乗って」
パトカーに乗る俺。


492:名無しにかわりましてVIPがお送りします:2015/01/04(日) 18:50:54.65

警「名前は?」
俺「山田太郎(仮名)」
警「日系人?」
俺「日本人です」
警「え?」
俺「日本人ですよ」
警「…えっ?」
俺「免許証見ます?」
免許証を見せる俺。絶句する警官。
警「…すいませんでした…不法入国の人かと思って…」
警「…あの、その、お顔とかが、ちょっと外国の方みたいだったので…」
俺「帰っていいすか?」
警「…はい…。お気をつけて…」
それでやっと解放された。
その日を境に俺のあだなは「ネパール」から「グンマー」になった。














人間社会に於いて、人と人とが付き合う上に於いて、
最も大切な事って何でしょうか?



それは、「ルール」です。
(国籍とか、アイデンティティに深く関る物ほど重要)



お互い、何もわからない状態で向かい合ったとしても、
何から、何を、どういう手順で行えばいいのか、
また、それがどういう評価を受け、どういう影響を及ぼすのか、
それらのことがわからなければ、何も始められないからです。

すれ違いや誤解もえてして、そういうとこから生じる。


碁石と碁盤を持ってきた山田太郎(仮名)さんが、
「これで遊ぼうぜぃ♪」と言ってきたのでゲームを始めたとして、
こっちは碁のつもりでやっていたら山田君は五目並べのつもりでやっていた、
なんてことになっては、時間の無駄になりますよね。

他にも、「言語」というルールが無ければ、
目の前に「リンゴ」があったとしても、それを伝えられません。
「赤くて丸いもの」と言うしかありませんが、
「赤い」という言葉も無ければ「信号の止まれの色の」とでも言うしかなく、
それも無ければ、また他の・・・と。


ですから、なるべく、そういう無駄手間や困った事態を避けるために、
「自己紹介」をしたり、
「契約書」「履歴書」を用意してから事を進めたり、
「法律」や「道徳」や「社会常識」を学んだり、
そういった、事前に出来る準備に時間を割きます。

勿論、何でもかんでも最初から完璧に把握することはできないですから、
付き合ううちに、新しくわかった情報を加えて微調整し続けるのが肝要。


普通に世間で言われてるのは、こんなところでしょう。



で、一般的に、頭の良い、論理的に見られる人というのは、
「ルール」を把握するのが上手い人とされています。



つまりは、最初の例で言うならば、
早々に山田くんは五目並べをしようとしてると気付ける人、
何かおかしいと感じた時、
どの時点で食い違っているのかを探ることが上手い人ということ。

平たく言えば、
コミュニケーション能力が高い人程、頭がいいと考えられてる。


日韓の歴史認識の食い違いがずっと問題になっていますが、
過去に遡って考えればわかるのに、何故出来ないんだと罵り合ってます。

今更、日本の方が折れる事はないですから、
韓国政府の嘘が庶民の間でも大々的に明らかにならない限りは、
どこまでいっても、話しは平行線のまま。

前提条件である大昔の「ルール」が余りにも違いすぎるので、
そこをまずどうにかしないと、
現在のことをどうにかしようとも徒労に終わります。

ですから、最近では、
「毅然とした態度で韓国の妄言を否定しないといけない」
という風潮にあります。

僕は韓国人に個人的に恨みがあるわけでもないですが、
彼らのためにもそうするほうがいいと、この意見には賛成してます。
(僕は彼らと同じ位おかしかったので他人事ではない。)




お気付きかもしれませんが、
この過去に遡っての間違い探しによる、ルール作りというのは、
「勇者」タイプの得意とすることです。

過去に引き摺られやすい、草食系やらロリコンおっさんが多い、
黒人や白人と比べると女々しい男が多いと言われる、
そんな日本人にお似合いのもの。

既にある古いものから、
少しずつ互いの共通ルール作成に不要な部分を削ぎ落としていく、
これは、全て壊して新しく始めたがる人には慣れない作業だからです。



では、一般的な日本人が皆これを高いレベルで出来るか?
というと、意外?なことにそうでもない。



何故、出来ないのか?理由は一つです。練習不足。

世の中の問題の全ては、コミュニケーション不足で起きます。
それは、人と人との間に限ったことではありません。


「ボールは友達、怖くない!」

なんて言われる様に、何かの分野のスペシャリストの中には、
こちらから働きかける以外には、コミュニケーションの取りようが無い、
『物言わぬモノ』
とのコミュニケーション能力がずばぬけて高い人がいます。

彼らは、共通ルールをたくさん作って、
互いに理解しあえてる「錯覚」「勘違い」を高レベルで実現させてます。

だからこそ、多くの人がそういう人の話を参考にする。
少しでも、自分の活動分野にも取り入れられないかと。



というわけで、囲碁に於ける「共通ルール作り」という観点から、
囲碁の勉強方法について話していきます。










囲碁の「共通ルール」って何があるでしょうか?


基本詰め碁や基本手筋はその一つです。
「暗黙の了解」として、基本部分は説明を省けた方が、
他のもっと複雑な部分の説明に時間を割けるからです。


『定石を覚えて二目弱くなり』

という言葉がありますが、これが示している事は、
プロとヘボアマとの間では、
「共通ルール(言わなくとも当然わかっているものとされる知識)」
が全く違うのだから、
プロが作った定石の手順だけを覚えても意味が無いということです。


定石というのは手筋の宝庫であり、一手一手に意味(ルール)があります。

プロはそれを把握しているからこそ、定石を知らずとも定石が打てるのであり、
へぼアマが「互角」とされている手順である定石形だけを覚えたところで、
お互いが合意の上で定石通りに進めた場合において生じる、
たった一つのレアケースにおけるルールにしか使えません。






では、次に、囲碁における共通ルールを作るのに必要な作業、
過去に遡っての「間違い探し」に該当するものは何があるでしょうか?




其の一つが、最も正確なルールを作れるとされる「手割」です。


手割を知らない、忘れたという人におさらいしておくと、

・取られている石と取っている石を相殺する
・手順を変えて、善悪の判断を出来る、見慣れた形に作り変える。

この2つの作業により、局面を簡略化していって
ある一手の価値判断や、ある石の繋がった形や、
ある石の一連の流れについての形勢判断を行います。


共通ルールの曖昧な「感覚」にほとんど頼らずに、
共通ルールのはっきりしてる、「計算」のみで、完結出来るのが利点です。

日々、新しい定石を作り続けてる、プロ同士でも、
人によって微妙に感覚は違いますから、「手割」はよく利用されてます。


新しいことを学ぶ上で、指導する上で、
「感覚」に頼らずに出来るなら、それにこしたことはありません。

プロ同士ですら意見が分かれるんですから、ヘボアマなんてもっとです。
弱い人程、初心者ほど、「計算」の重要性は高まります。



ところがどっこい、この手割って誰でも出来る事ではありません。
級位者の人は、聞いたことはあるけどよくわからないという人が大半の筈。

強い人がやってる位に、「手割」を満足に利用しようとするには、
それなりに共通ルールを知っている、19路をとりあえず打てるレベル、
適当ですけど、大体、三級位の力は欲しいところです。

ですから、上手だって、手割を身につけろなんて初心者に要求しません。


初心者は軸とするルールが無いですから、
まずは、基本手筋や死活を始め、色々と丸暗記していく必要がある。

日本人の好きな詰め込み教育というやつです。
子どもの頃からやらされてますから、これはある程度、誰でも出来る。
効果が出やすいですから、指導する方もそれをやらせます。


ただ、赤ん坊が物心つく前に言葉を覚えるのとは違い、
これは、自らルールを作る「間違い探し」には、あまり当てはまりません。

だからこそ、大人は、この辺りで伸び悩むし、躓きます。


上手が下手にわかりやすく教えようとする際、
下手にもわかる共通ルールで説明出来る「手割」が有効なのは事実です。

それが上手い人程、下手に「わかった気にさせる」ことが出来る。

人が何かをするのは「勘違い」するためですから、
てっとり早く、わかった気になれるなら、そちらのほうが楽です。

ですが、「間違い探し」の力は身につきにくい。


そんなこんなで、伸び悩んでる多くの人は、
一つの局面をぼけーっと眺めて一生懸命考えてみたけど、
何が正しいのか以前に、何が間違えてるのかがわからないと嘆いてます。

間違えてる部分がわかれば、あとはそれを正すだけですが、
それが出来ないのではお手上げです、気持ちはわかる。


「計算」だけで、「間違い探し」による共通ルール作りをしようにも、
昔から「手割」では、それが出来ないんです。


ですから、初心者ほど、他の方法を取るしかなくなるわけです。
僕もそう思ったからこそ、そうしました。






528: 猫武士@\(^o^)/ 2015/01/04(日) 19:50:12.07

子供の扱いがあまり上手くない俺と親父だけが家にいた時、
従兄弟夫婦が子供連れてやって来た。

「はしもとななこ、さんさいです!」

と元気よく挨拶する三歳児に戸惑い、

「あ・・・ななちゃん、大きくなったね・・・」

などと笑顔を引きつらせる俺に対し、親父は

「さかもとかずお、ごじゅういっさいです!」

と返していた。負けた。








囲碁は人生のような長いマラソンに例えられることが多いですが、
それを区分けして見ていくとこうなります。




序盤:「勝てば正義、負ければ悪。歴史ってのはそういうものだろ」

長い間の研究によって、少しずつ進歩していった定石や布石からなる。
現実の歴史とは違い、出鱈目な「運」が挟まれる余地は囲碁には無い。
プロ棋士同士が変化を求めなければ、ほぼ互角に進行することが可能。
リスクは高いので割りに合わないこともかなり多いが、
「常識」をあえて破れば、大きなリターンを得ることも。


中盤:「俺は…生きる…生きて…戦う…!!」

「常識」は必ずしも通用しないとされており、
最もその人の「地力」が出ると言われる。
そのため、序盤とは打って変わって、「常識外れ」の人間が活躍しやすい。


終盤:「地が足らんのだ!戦いは数だよ、兄貴!」

時間さえあれば、プロなら、ほとんど間違えずに打つことができる。
冒険なんぞ殆どしない。「約束された結末」に向けて、最後の共同作業。




価値判断、形勢判断に於ける、手割の比重はおおざっぱに言って以下です。


序盤>>>>>>中盤>>>(越えられない壁)>>>>終盤
(適当です、異論はあると思う)



「社会に出たら、学校で学んだ知識は役に立たない」
「子どもの頃は神童扱いだったのに、大人になってからは・・・」

なんてことがありますが、全く役に立たないというのは大げさでも、
常識よりも「活きた経験」が大人になるにつれ必要となるのは確かです。

複雑な社会においては、国民皆の「共通ルール」が通用しなくなるばかりか、
今までの常識を捨て去らないとどうにもならない業界や職種なんかもある。

知識だけあっても、論理的思考力とは言えないということです。
(コンピューターのやってることは人間の思考力とは微妙に違う。
 引き算が出来る人間と違い、足し算し続ける事で成長する、
 覚えた事を都合よく自分勝手に捨てられないのだから。)



別に、初心者や子どもに限らず、どっちにしろ、
「手割」以外で考えていくのは必要なのです。


「わからないのが当たり前」


「計算」と「感覚」両方を頼りに、
「間違い探し」をして活きようとするのが、碁における中盤です。


だから、僕は19路を打ち始めた当初から、それを意識してきました。
(そして、それが僕の好みや性に凄く合ってた。だから出来た。)

対局が終わった直後、興奮が抜け切っていない間に、
検討で人の何倍も変化図を並べて比較検証、
出来るだけ多くそれをエピソート記憶に変換し「体で覚える」。


昔ながらの頑固職人が、
「教えてもらおうなんて考えずに、とにかく見て覚えろ」
なんて言ったりしますが、僕のやってたこともこれに近いです。

趙治勲25世本因坊も、
親戚が打ってるのを後ろで眺めてるだけで五段になったそうですから、
そこまでは無理にしても、
最初のうちは全然わからず大変だとしても、
僕のような凡人でも何年もこなしてれば、それなりに身になります。

外回りの営業職なんかもこれに近いでしょうし、
僕は体力は人より劣るし内向的ですが、あのノリは嫌いではないです。
(多くの人も、必要の無い人間関係を作るのが苦痛というだけですよね)


習うより慣れろ、百聞は一見にしかず。




とはいえ、この方法は、
「わかった気になれず」
最初は成果が感じられないのに大変なのが難点です。

子どもの頃にそういう習慣が出来ていて、大人になっても忘れてない、
そういう人で無いと、慣れない作業は人より苦しく続けられない。

勿論、碁でそれなりの棋力になりたいと思うならば、
あとあと、これもたくさんやる必要はありますが。

とにかく、これは頭も手も使い疲れますので、
慣れている人でも、仕事でへとへとになったりすると気軽に出来ません。

高段者になるのにも足るだけの、筋の良さを身につける、
筋の良い形をどんどん覚えていくためには、
あまり頭を使わないで、問題集だとかパズル感覚で出来る、
「計算」だけで済ませられる上達法があるなら、
それに越した事は有りません。

それに、人によって大きく違う「感覚」に頼る勉強方法では、
たくさんの人の意見を聞いた方が効果的ですが、
「計算」だけで、ほぼ出来るならば、
一人っきりで、好きな時に、好きな量だけ、気軽に試す事が出来る。

だけども、既存の「手割」は、
最低限、必要とされる「共通ルール」により
初心者はふるいに掛けられて実行出来ません。


このジレンマこそが、
初心者だけでなく、上手の人も苦しめていたわけですが、
最近、それを解消できそうな手段を某プロ棋士が見つけ出しました。

今もそれなりに評価されてはいるのですが、
まだまだ、全然、普及されていないようですので、
僕如きがあれなんですが、それを紹介させて頂きます。


人間関係に於いては、
そんな魔法のような都合の良い手段はそうそう見つからないですが、
盤上のゲームなら、案外、見つかるものですね。
ぃーね! (1) pin7xp 
棋譜作成
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