はずれやまさんの日記

(Web全体に公開)

2014年
02月09日
01:31

福島の犬(たいした話ではないです)


犬の話を一つ思い出した。2012年春ごろ、震災1周年の民放のTV番組、午後5時台か。福島に取り残されたペット(及び家畜もだったか)のリポートだった。そのなかで、原発事故のために飼い主から離れてしまった犬を捕獲して保護する活動をしている千葉県のある人の紹介があった。

奇異に感じたことがある。

「この犬は、犬として生まれて来なかったんです。」とその人が言ったあとCMに。

CMの後、同じ言葉の繰り返しの後、犬の映像とともにそのことの説明があった。

与えられた犬小屋の奥からその犬はこちらを窺っている。捕まえたときはそれなりにの体格だったけれども、えさをあまり食べないので痩せている。小屋の外に出すと腰が引けるようにちじこまってしまう。人になじまない。それどころか人を怖がっているのだ。

その人によると、犬は事故後に野良になった親犬から生まれて山で育ったために、人を知らない(少なくとも人との付き合い方を知らない)。だから犬として生まれてこなかった。そういうことである。

強いて解釈すれば、ペットでない犬は本来の犬のあるべき姿ではない、といいたいのか。

Wikipediaで調べると、もともと人に飼われていた犬が逃げ出したり迷い犬になったらそれは野良犬で動物愛護法の対象(捨てた人は罰金の可能性)。もともと山野に自生しているほうは野犬(ヤケン)で、鳥獣保護法の対象(いいかえれば狩猟の対象)なのだそうだ。もっとも今の日本で犬の狩りをする人なんて聞いたことがないが。

その人は善意・愛護の精神で山にいたその犬を「保護」して連れてきたのだろうけど。

もちろん一旦飼った以上、もとは野犬でも捨ててはいけないでしょう。

犬は集団化する性質があり、集団で人をおそうこともあるというから、重要な活動といえるのかな。そのことも考慮にいれた、さきの発言だったのか。番組をおもしろくするために強調した面もあるだろうけど。

つまり先進国では、ペット以外の犬はいてはいけないって、単にそういうことを云いたかったのかな。
ぃーね! (2) ストバリ  さ(・ω・)や 

コメント

2014年
02月09日
10:35

>ペット以外の犬はいてはいけないって・・・
犬の保護活動の一端を担ってきましたが
そういう言い方をする人に会ったことがありません。
何十万頭が「いらない犬」として処分されて行く日本で
いつの日か命を大切にする社会が来る日を願って
一頭、また一頭でもと草の根のような活動を続けている人たちです。
命は同じ価値はわかっていても、現実的には
人に危害を加える犬が生きていくのは困難です。
人に危害を加える人が生きて行くのが困難であるのと同じようにです。

その言葉だけが独り歩きしないようにと願ってやみません。

2014年
02月09日
10:42

奇異に感じるのは私もです。

2014年
02月09日
12:24

そうですね、この出演した人も、そういう現状から、ほっておいてつかまって殺処分されてはいけないので、自分が保護している、ということを云いたかったけれども、ちょっと変わったというか、TV向きの表現をしたのかもしれないです。

あるいは番組製作者が「つかえる」表現なので利用したのか。

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