はずれやまさんの日記

(Web全体に公開)

2015年
05月28日
01:02

張り手


皆さんは相撲の技の一つとされる「張り手」についてどう思われますか。

張り手は「敢闘精神の自然な現れ」ともいわれ、現在は肯定されていますが、評論家の中には否定的な方もおられます。張り手で相手が崩れるか何かで勝敗が決してしまった場合は決まり手として突き倒しだそうです。(ちなみに選手生命にかかわるケースもあったようです)。

私自身は張り手は禁ずるべきだと思います。理由は2つあります。

1. 見た目が美しくない
2. 張り手の対象(最近はやりの言葉で言えば戦闘地域)すなわち顔面及び鼓膜は鍛えようがない。個々の人間(力士)が生まれながらに持っている弱点である(極論すればキンテキと同類)。

それから敢闘精神をあえて張り手で表現する必要はない。

では、間違えてほっぺた叩いちゃった場合は?(厳密には、横から平手で張った場合。) という質問もあるかな。でも、ルールで禁じればそれは事実上なくなると思います。

たとえば髷を掴むのは禁じ手ですが、試合の流れで指が髷に入ることも年に1回くらいあるようです。審判は厳しく、それは反則負けです。反則した人は意図的でないわけですが、それによって相撲の近代スポーツとしての規律が保たれていると思います。

もう一つ、「かちあげ」も私は問題視しております。

こちらはかなり微妙。大砂嵐が物議を醸しておりますが、北の富士がやった程度のかち上げなら問題ないのだけれど、線引きが難しいというか不可能だな。

まあ、いいたいことはそれだけですが、なぜGoxiでこんなことを言うかはお分かりですね。

私は、碁でも、だれもが観ていて嫌悪感を感じる行為で、明文化できるものは禁じるようにしたらいいと思っております。

とはいえ、じゃあ、具体的にどんな行為かと言われると、案外ないですね。現在のルールでかなり対応できている気はいたします。細かいマナーに属することは相当ありますが、それを明文化するほどではないかなと。

二つ前の日記で触れたような、必要以上に時計を叩いて相手の方に押しやるなとか、一度押した時計は(相手が考えている間)さらに押してはいけないとか、言えないですよね。その他対局中に無暗に独り言をいうとか、揚げたらきりがない。

本来対局者同士の尊敬によってなりたっていると思いたい碁というゲームですが、そうはいかないのですね。
ぃーね! (7) ハレー彗星  ひとちゃん  たけだ  クニ  ちゅう 

コメント

2015年
05月28日
05:30

1: 王虎

時計は囲碁のルールじゃないですね^^;
大会や試合をスムーズにするためだけですよね^^;

2015年
05月28日
08:05

難しい問題ですね。
スポーツみたいに審判が付きっきりということがアマの大会ではないですからね。
結局は対局者同士のことなのでルール化は無理と思う。

2015年
05月28日
09:08

マナーとされている事の幾つかをルール化出来ないかと思ったんですが、あまりないかな。

2015年
05月28日
09:08

私はもう何十年も生碁を打っていませんが、昔、「オッ、眼ん玉に指突っ込んできたか!そんな人だったのか........」と言った調子にずっと独り言を言う人と対局したことがあります。本人は楽しんでいるだけで悪意はないと思いますが、彼が楽しむ分だけこちらは不快になった気がします。親しい間柄なら気にはならないでしょうし、ルールで禁止せよとまでは思いませんが。

2015年
05月28日
09:11

確かに全員に審判が常にはついてないですしね。

相撲はあまり良い喩えではなかったかな。
碁はあくまで盤上の闘いですから。

2015年
05月28日
10:54

待った禁止はルール化されているもののたまにやる人が現れます。
時計切れ負けが平気な人もどうにかしてほしいですね。
時間配分を真剣に考えてるこっちがバカらしくなってしらけます。
ただ、間に合わそうと思ってる人でもたまに切れちゃう事もあるので難しい。

いずれにせよ無法も法というか
ルール化しても守る人守らない人いますからね。

2015年
05月28日
11:42

みこさん、
ボヤキの類いは、態度や内容で、悪意が有るかどうか大体わかりますね。悪意なしとか、ユーモアとか、無意識ならOKですが。
鼻歌はどうしてもいやです。

2015年
05月28日
12:31

ストチョさん、碁会所では弛くなっちゃうこともありますね。
何となく時間が無かったりで、合意して片付けた後、自分が勝ってたなんていうひとも困りもんです。

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