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議論
今回は「囲碁普及を考える」シリーズはお休みにして、気になった話を取り上げます。
ツイッターでの三村智保九段の発言が問題になったようです。
その発言というのが、
「観戦記者の春秋子さんが先日言ってた、
『囲碁愛好者なら最低1人はルールを教えて仲間を増やす義務がある』。
おお~そのルール効果大きそうですね。
ルールを教えた初級生徒と組んで「師弟ペア碁大会」とかどうですかね。」
というものでした(見やすくするため、原文に句読点や改行などを追加したりしてます)。
これに○○ちゃんという人が、
「ナンセンス、趣味に義務なんてあるなら囲碁やめるわ 」
という反応したようです。
さらに三村九段が、
「気に入らないなら無視するか、発言者を攻撃すれば良い。囲碁に当たる、碁をやめると言うのはお門違い。」
と返した流れだったと僕は読んで受け取りました。
(間違ってるところがあったら指摘してもらえたらと思います。)
上のやり取りを見ての僕の感想は、「実に残念なやり取りだ」です。
僕は三村九段の言うことにも、○○ちゃんという人の言うことにも分かるところがあります。
その上で、なんでこれについてケンカのようにツイートしなくてはならんのか、それが理解できないんです。
まず上のやり取りについて、僕なりに気づいたこと・考えたことを挙げます。
1、
趣味に義務を持ち込むのは不健全でよくないし、無理に持ち込んだとしても(新たなファン獲得という)効果は出ないものだ。
蛇足だけど、「義務」とひと言でいっても、安全対策の義務や周囲への迷惑防止の義務は、趣味にもあると一般的にはされている。
2、
1の理由から囲碁普及に義務という考え方を持ち込んだのは誤りだった。
<春秋子さんと三村九段のミス>(これをミスAとする)
3、
ミスAを指摘すればいいのに、「趣味に義務なんてあるなら囲碁やめるわ」したのがまた誤り。
○○ちゃんが個人的にどう思うかってことも本当は根底で本質につながってるんだけど、「義務があるなら囲碁をやめる」という言い方は個人的な気持ちという意味が強いので、ミスAの問題を正しく突いているとは言いがたい。
ここで話があさっての方向に向かい出した。
<○○ちゃんのズレ>(ミスBとする)
4、
三村九段の「碁をやめると言うのはお門違い」という発言は議論的良し悪しの判断がしづらいところがある。
○○ちゃんのズレ(ミスB)に一緒に付いていってる「お付き合い」の悪手だけど、囲碁のプロとしてはファンの「囲碁をやめる」発言に無反応でいるのもまた問題だからだ。
その意味で見ると、三村九段の立場を考えたとき「あくまで発言者(のおかしいと思えるところ)を攻撃すればいいんであって、囲碁に当たらないでくれ」というのは理解できる。
だけど、「ナンセンス、趣味に義務なんてあるなら囲碁やめるわ 」って言い方にムッときたんだろうけど、「お門違い」という言葉を使ってはもう怒りモードなわけで、こうなってはもう論理もミステイクもない、ただのケンカの空気の出来上がりになった。
僕が思うのは、誰にでもミスはあるってことです。
三村九段の性格とか人柄は、後のツイートの、
「押し付けは良くない。僕のツイートも常に押し付けるつもりはゼロ。
碁を知らない人に「面白い遊びがあるよ」って見せる位なら迷惑でもない。
自分が好きな趣味を人に教えるのは楽しいもの。」
という発言からも推測できるけど、ファンに何かを強制的にやらせようとするタイプじゃないと思います。
三村九段のミスは、にもかかわず義務という言葉を、その意味、ニュアンスや重みなどをよく知らないで引用し、それに賛同したことにあります。
そういう部分は、まず論理的に指摘してあげればいいんです。
それでも三村九段が理解しなかったり、ファンに対する「押し付け」を何とも思わない性格だったならば、それを問題にすればいいんです。
ネットの議論は、論理だけでやり取りすればいいところを、感情を盛り込んでそれを主軸にするもんだからおかしくなるんです。
今回のやり取りからも、その一端がよく見えるんじゃないでしょうか。
コメント
06月19日
19:03
1: 春海
僕はツイッターをやっていませんが、その理由は「140字ではきちんと伝えることができないから」です(そういう心配のない内容もありますが、そんなのは一人でつぶやいていればいい)。
本文の分析は的確だと思いますが、ベースには上のことがあるのではないか・・・と思います。
06月19日
19:21
2: モノクロ
凄い。的確な分析と感心してしまいました。
aFOXaさんの分析に納得です。
三村先生も春秋子さんとのやり取りを公にせずに、本当に内輪だけの話にしとけばよかったのにと思いました。
06月19日
20:17
3: aFOXa
春海さん、いらっしゃいませ。
僕もツイッターはやってません。
つぶやくようには話せなくて、ダラダラとまとまりのない文を書いてしまいがちなんで、話し出したら「はい、おしまい!」って打ち切られて、「え、もう?」ってことになっちゃうのが目に見えてて、使い始めづらいんです。
「140字ではきちんと伝えることができないから」トラブった、というのはあるかもしれません。
その意味ではツイッターは、誤解や衝突を招きやすいツールなのかな、と思いました。
06月19日
20:39
4: aFOXa
モノクロさんもいらっしゃいませ。
褒めてもらってしまって、どうもありがとうございます。
議論好きでたまに首を突っ込んで観戦してたりするんで、ちょっとだけ分析には自信あります(笑)
でも完全な我流でディベートなども知らず、また実戦経験(?)も少ないんで、本当のところは未熟者です。
>三村先生も春秋子さんとのやり取りを公にせずに、本当に内輪だけの話にしとけばよかったのにと思いました。
僕も外に出さなきゃよかったって思うこと、たまにあります。
でも後の祭りだからどーにもならない(笑)
たぶんミム先生もトラブルになると思ってなかったんだろうな・・・。
僕と同じで(爆)
06月20日
21:16
5: hidew
「趣味に義務なんてあるなら囲碁やめるわ」というのは「趣味に義務なんてないわ!」ということを強調した反語表現です。単に「趣味に普及義務はない」と指摘しても文章表現としておもしろみがありません。
「仲間を増やす義務」というのは余計なことを言い過ぎました。「師弟ペア碁大会」の提案だけでよかったと思います。
>三村九段のミスは、にもかかわず義務という言葉を、その意味、ニュアンスや重みなどをよく知らないで引用し、それに賛同したことにあります。
これでしょうね。春秋子さんはともかく、三村プロは全く本意ではないところで騒ぎに巻き込まれてしまった感じです。
Twitter は140文字しかないのに「余計なことを引用した」のですから、Twitter のせいにするのはそれこそ「お門違い」だと思います。むしろ、文字数が多すぎたのかもしれません(^^
[義務]( http://goxi.jp/diary/213429 )
06月21日
00:55
6: aFOXa
hidewさん、いらっしゃいませ。
>「趣味に義務なんてあるなら囲碁やめるわ」というのは「趣味に義務なんてないわ!」ということを強調した反語表現です。単に「趣味に普及義務はない」と指摘しても文章表現としておもしろみがありません。
それは分かりますし、確かにそう読解するのが普通ではありますよね。
ただ○○ちゃんが感情的な言い方になってることも確かで、また万に一つもないはずだけど、もし囲碁に普及義務が課されてその義務を果たすよう強要されるようなことがあった場合、たぶん○○ちゃんは本当に囲碁をやめるだろうということも推測できます。
あの短い一文にも、本当のところは色んな意味が込もってます。
あと人の真意というのはよく確かめないと、確定的なことはいえないという点もあります。
僕もhidewさんも、もし「趣味に義務なんてあるなら囲碁やめるわ」と発言するとしたら、暗に「趣味に義務なんてないわ!」という意味を込めて言うタイプだと思いますけど、果たして○○ちゃんもそうなのかは僕としては推し量り切れない。
だから日記ではあえてそういう部分については書かかないでおき、「趣味に普及義務はない」という点を言えばよかった、と書きました。
実際三村九段は「囲碁に当たってる」と解釈し、話がちょっと違う方向に行ってしまいました。
三村九段の解釈にも疑問の余地はあるものの、そもそも○○ちゃんが感情的な言い方をして、さらにそこに反語的な表現を持たせていたともなれば、あえて誤解を生む可能性を持たせた疑問手だったといえると思います。
一応三村九段の受け取り方の通り、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃないけど、「碁のプロがそんなこと言い出すようじゃ自分の中で碁のイメージが悪くなるんだけど?」ってのが真意って可能性も残ってますしね・・・。
まあ素直に「感情的」なひと言と読んでおくのが、読み手としては一番自然だとは思います。
06月21日
00:58
7: aFOXa
念のため補足しておきます。
日記本文の、
「○○ちゃんが個人的にどう思うかってことも本当は根底で本質につながってるんだけど、「義務があるなら囲碁をやめる」という言い方は個人的な気持ちという意味が強いので、ミスAの問題を正しく突いているとは言いがたい。」
はhidewさんと同じことを考えてのものです。
「義務があるなら囲碁をやめる」が真意であっても、「趣味に義務なんてない」という意味は含みます。
だって、○○ちゃんみたいに思う人が出てくるだけで、普及義務というアイデアは問題視され、廃案に追い込まれることは目に見えてますから。
そうすると「趣味に義務を持ち込む」は無理筋であることが露呈し、無理矢理持ち込んだとしても長続きしないことになる。
その結果は趣味と義務が両立しがたいこと、つまり「趣味に義務なんてない」ことを意味するわけです。
ただしコメント6で書いた通り、「ナンセンス、趣味に義務なんてあるなら囲碁やめるわ 」の意味は複合的です。
そのため、
「義務があるなら囲碁をやめる」という言い方は個人的な気持ちという意味が強い、
ミスAの問題を正しく(整然とした形で)突いているとは言いがたい、
と書きました。
まあなんにしても、僕の考えの要点は日記の最後の方に書いたこと、
「感情を盛り込んでそれを主軸にするもんだから」
ネットの話はおかしくなるということに尽きます。