マイフレンドの日記などで徒然草。それからバックギャモンなどが話題になって、ときたらなんかあったな。
第110段:双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、『勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし』と言ふ。
道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。
-現代語だと、
双六の名人と言われている人に、勝つ為の手段を聞いてみると、『勝とうとして打つのはダメだ。負けないようにして打つのが良い。どの手が一番早く負けてしまうのかを心配して、その手を使わないようにし、少しでも遅く負けるような手を選ぶべきだ』と答えた。
物事の道理を弁えた教えだ。自分自身を治めて、国を維持していこうとする道も、また同じようなものである。
当時の双六(今でいう上がり双六とか絵双六に対して、オリジナルの盤双六、つまりバックギャモン)を題材にしてます。バックギャモンについてはあたっているような気がします。
碁に相当する話かどうかは僕には不明です。弱い石から動く、などというのとは共通するのかな。まつりごとについては、弱者にも目を配りながら景気対策をやっていくっていうことかしら。ちょっとちがうような。当時の政治のことは知らないし。
ネットでアマチュア投資家がこんなの作ってました。
出典;
http://kapokpokpok.blog63.fc2.com/blog-entry-357.html
敏腕トレーダーにその取引手法を聞いたところ、「儲けようと思って取引してはいけない。負けないように取引をするべきだ。どのような取引が早く種銭を減らしてしまうのかを考え、そのような取引をせずに、少しでも長く、投資家として生き残れるような取引を選択するのが良い」と言った。
専門をよくわきまえている人の教えは、身を治め、国を保つのにも通じるところがある。
(引用終わり)
なんだかこっちの方がしっくりきます。やはり双六と株式投資は賭博性の程度で近いんでしょうか。
コメント
07月03日
09:01
1: mikoinrp
碁でも同じではないでしょうか?
どうしても勝とう勝とうとして最強の手を選びがちですが、最強の手と思ったのは独善で、相手の応手を見たとたんに「ああ、最強でなくて最悪だったか」ということが良くあります(私の場合)。
ですから悪くない手を選ぼうと心掛けるほうが、少なくとも負けにくい、ということにつながりそうな気がします。負けにくい、というのは景気の悪い言い方ですが、結果的に勝てば、渋い打ち方の玄人好みの碁、ということになるのでしょう。
07月05日
14:56
2: はずれやま
そうですね、私も経験的にそう思います。時々冒険して痛い目にあったり。
それから、劣勢になっても辛抱強く打っているとチャンスが来る、というようなことも意味として含まれるかもしれない、と思います。