今晩が雨の予報なので、いつもの自転車でなく、バスを使うことにした。考え事をしてニタニタしながら歩いていたら、一つ左に曲がるところを通り過ごし、気づいたときにはそのまま一区画ぐるっと回る方が停留所に近いところまで来ていた。変化に乏しい住宅街で道ばかり多いのでこんなことも起きる。あるいは月に一度コーヒー豆を買いに行くのにそっちを通るので、それを無意識に覚えていたのかもしれない。
それで次の角で左に曲がると右手の板塀の下の方に札がぶら下がっていて、
犬の糞をしないでください
なんだかたどたどしい筆跡で、中太くらいのマジックで書いたようだ。朝から悪いものを見てしまった。昨日まで寒かったが、今日はあったかくてかえって気持ちが悪い。もちろん状況から、何が言いたいかは明白である。しかしこれだったら、糞の絵を描いて×印をつけといた方がいいと思う。
この札は位置的には犬の目線に近いが、犬ではなく人間に宛てられたものである。猿なら虐待に近い程の特訓をすれば字の形くらい判別できるかもしれないが、てにをはまではわからんだろう。ましてや畜生の代表選手として劣位におかれている犬にわかるはずは無い。さらに云えば、犬が、おい、犬、といわれても、自分が犬であるという自我はあるだろうか。犬の糞ができるのはお前たち犬だけなんだぞといっても、褒められたと勘違いして尻尾を振るのが関の山だ。犬の糞をしないようにお願いされているのは札を見かけた通行人、犬の飼い主と考えざるを得ない。
僕は学校では自然科学を主に勉強したので、まずそういう方面から考えてみたい。遺伝子をうまく操作すれば人間が犬の糞をすることが将来できることになるかもしれない。しかしその技術はまだ無い。また、犬の臓器を移植したら拒絶反応の問題があるだろう。現代の技術で人間にできることは、せいぜいドッグフードに蛍光材を混ぜることくらいだ。そうすれば夜中に犬の糞を踏むという悲劇はだいぶ減るはずだ。
、、、おおっ、そうか。
ドッグフード
があった。
ドッグフードをたとえば昼と夜と連続して食すれば、翌朝には立派な犬の糞をすることができるんじゃないか。できれば軽く食を断ってからそうすればかなり純度の高い犬の糞をすることができるだろう。そうしたら世界中から取材が来て、風船おじさんくらいの有名人になれるかもしれない。マスコミが殺到してしまってこの家の住人にとっては犬の糞以上の迷惑かな。フランスのTVが来たら、
L’homme n’est qu’un chien pensant. (人間は考える犬でしかない。)
くらいのことを云って糞を一盛りさしあげよう。まあご遠慮せずに持ってって。ちょっと待て、糞の数え方は「盛り」でいいんだろうか。H山の専門は物理学なので、単位にはうるさい。「山」かな。便秘のときは「粒」に変えなくてはいけないようではややこしい。それなら、「踏ん張り」が一番わかりやすいか。
H山はさらに考えた。ホントに断食して、ドッグフードを食べれば高純度の犬の糞をすることが出来るだろうか。答えは否である。人間の臓器と犬のとでは吸収する物質の比率が違う。腸内細菌とやらも種類が違うし、犬は無節操に地面をなめるから腸内に寄生虫も居るだろう。これらを人体において再現するためには、やはり何とか細胞だの遺伝子工学の進歩を待つとともに獣医学などの専門家に尋ねて、あらかじめ成分をそれ用に調整したドッグフードを開発しなくてはならない。「ヒトが犬の糞をするためのドッグフード」。イグノーベル賞を狙えそうだが。
道はまだ遠い。いやまて。この札は犬の糞をするなといっているのだから、あえて犬の糞をしようなんて考えなくてもいいんだ。皆さん良い週末を。
コメント
03月01日
12:10
1: ちゅう
犬以外なら、OKなんでしょうか…
03月01日
12:16
2: mikoinrp
非常に哲学的なので考えてしまいました。
犬と全く同じ成分の糞をしたとしても、それが人間の体から出てきた場合には「犬の糞」とは言わないのではないだろうか.........?
でもその札を書いた人は、犬のものでなければ、例えば猫の糞とか人間の糞とか、それならいいというのだろうか.........?
フィリピンにはホームレスが沢山いますが公衆便所というものは殆どありません。モールや総合病院の中のトイレだって有料だったりします。
私はある時、ドブと川の中間のような大きさのもの(こちらではカナルと言いますが)で糞をしているホームレスを見たことがあります。草がぼうぼうに生えていてちょっと見には分からないのですが、フト草の間に光る眼と私の目があってしまったのです。あの暗く光る淀んだ眼は今でも私の眼の中にあります。
03月01日
12:17
3: 猫町@お休み中
タイトルで、イエローカードにしときます(あー笑い過ぎて苦しいw)
03月01日
12:25
4: はずれやま
猫の糞のほうがくさくてやだな。色も緑色で気味悪い。
すみません。お食事時でした。
この日記を書き出したときは、どうやってこの日本語を直せばいいのか考えたんです。
犬に犬の糞をさせないでください
というしかないのかと思いはしたが洗練度ゼロの文章になるし。僕も困り果ててこんなことになってしまいました。
コレにはヒントになったねたのようなのが実はあります。内田百閒が電車にのっていたら、ある老女が前がふさがって降りられず、
「すみません、おろしてください。」
といったことについてアーだこうだと講釈したわけです。今朝この札を見てそれを思い出したわけですが、老女の日本語以上に直しようがないので、あきらめてこんな考察に化けてしまいました。
mikoさん、印象的な話ですね。トイレってその国の成熟度のいいバロメータでしょうか。
03月01日
12:43
5: はずれやま
こんどその家に、お手紙入れときましょうかね。猫、人はどうかなどと。何がお好みですかと。
ご返答はgoxiのちゅうとmikoinrpまで、ですね。
03月01日
13:09
6: シホ
笑ったわ〜。
(「踏ん張り」ってw)
ひと盛りを皿にのせて
ナイフフォークを使って観察した
筒井康隆を思い出しました。
03月01日
13:13
7: はずれやま
あ、その下りはあとで書き足したんです。自分で読んでもここが山ですね。笑いに関しては。
筒井さんのそれって、しらないけど、何かの演劇のパフォーマンス?それとも小説の中とか?
03月01日
13:19
8: シホ
小説に書くために、
確か食べようとしたのだと思う。
(汚い話ですみません)
さすがに食べられなかったみたいだけど、
観察した結果が小説になっているんだよね。
題名は忘れちゃった。
あの頃の筒井康隆は面白くて、
好きだったな〜。
『虚構船団』あたりから
おかしなことになっちゃって・・・。
03月01日
16:37
9: ちゅう
もっと深いコメントしようと思ったんだけど、レディとしてどうかな?と悩んで書けませんでした…。まだ、人間が出来てないです。
03月01日
17:26
10: はずれやま
シホさん:
その話、小説は多分読んで無いけど、逸話は聞いてたような気がしてきた。僕はナンセンス系では嶽本野ばらとか中島らもが好きかな。二人ともらりっちゃったのが共通ですね。H山もあのくらい暴走してみたいんだけど、らりられないとむりかも。
ちゅうさん:
これまで通り、レディでいてください。
03月01日
19:00
11: 並のアマ
私も物理が専門なものでちょっと一家言ありますw
単位というのは測定によって変化してはならないものです。1「踏ん張り」で排出される量は毎回異なりますから「踏ん張り」は単位にはなりえません。これはむしろ中国語で言う「量詞」に当たるものです。量子力学とは関係ありません。日本語にも輸入されていますね。1本とか1冊とかいう類のものです。英語だとあるにはありますが少ないですね。何か計量カップのようなもので a cup of xxx とかいう感じでしょうか。失礼しました^^;
03月01日
19:21
12: はずれやま
あー、量詞。中国語習ったとき、日本語とイメージの捉え方が違うなーとか思ったきりです。日本語より種類はすくなそうだけど、用い方がむずかしそうだったようで。いまちょっとみてみたけど、
犬の糞の場合、棒状に適用する条とか支とかかな。とぐろを巻いている場合でもつかえるか、台湾の同僚にたずねてみます。
日記の改定作業に反映できればいいですが。
03月01日
19:48
13: 横浜囲碁BOYS
はずれやまさんは本当に語学が好きだなあ♪( ´▽`)
03月01日
20:19
14: はずれやま
絵文字系を余り使わないので、一見、真剣そうに見えるだけです。