えどわーどさんの日記

(Web全体に公開)

2020年
09月14日
13:31

巣伏の戦い

タグ : 練習碁,MiniGo,巣伏の戦い,自戦譜
奈良時代に征夷大将軍紀古佐美(きのこさみ)率いる朝廷精鋭部隊約4千と阿弖流為(アテルイ)率いる蝦夷軍1,000~1,500程が激突した巣伏(すふし)の戦いの古戦場跡が私の住んでいる奥州市江刺愛宕にあります。

奈良時代(延暦8年、西暦789年)の出来事です。およそ1230年ほど前の話です。
1世代25年とするとおよそ50代前の戦争なので、そんなに昔という感じがしません。

この戦いでは朝廷軍は散々な目にあって、撤退の憂き目にあうのですが、その後の征夷大将軍坂上田村麻呂が捲土重来を果たして阿弖流為を降伏させる事に成功しました。
その後、蝦夷の英雄阿弖流為は田村麻呂の直訴もむなしく都で処刑されてしまうのは歴史の教科書に載っている通りです。

巣伏(すふし)の地名は現在、四丑(しうし)として残っています。

MiniGo v17と互先黒番の練習碁です。コミは7目半。
MiniGoとはあまり打ったことがありませんが、高目布石で挑戦しました。
やはり地に大甘な碁となって序盤からMiniGoに緩い手を連発される展開となりました。

高目と5手目のブラックホール流のカカリでだいぶ評価値を落としました。
5手目でKataGoの評価値が白70%超えです。

最終的には3目半負けですが、緩みに緩んだ結果なので参考にはなりません。目数差が小さいから健闘したかというとまったくそのようなことはありません。相手がKataGoだったら30目差くらいになっていた碁です。

三々オサエの方向と、右上の定石選択がそもそも間違っていました。
左下の2子を捨てた(取られた)のはさすがに問題でした。
囲い合いで楽勝なので、MiniGoは大模様には見向きもしないで地を囲ってきました。

結果石垣碁のようになり、最後中国ルールの関係で無駄な打ち込みと不要な手入れで日本ルールの計算上は2目損で黒MiniGoの3目半勝ち。実際は5目半勝ち。

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ぃーね! (3) 桜花(さくちゃん)  江場  学一筋 

コメント

2020年
09月14日
13:58

1: 両国

高橋克彦さんの
『火怨 北の耀星アテルイ』
で読んだことがあります。
好きな小説の一つです。

2020年
09月14日
16:23

両国さん、コメントありがとうございます。

この後300年程下って前九年の役・後三年の役が勃発しますが、陸奥国の俘囚とされた安倍氏(安倍前首相の祖先と言われます)の軍が朝廷側の陸奥守の藤原登任の軍を鬼切部(おにぎりべ)の戦いで破り、後任の源頼義との戦いでも黄海(このみ)の戦いで大勝しました。
結局、源頼義は出羽国(現在の秋田県)の俘囚豪族の清原氏と手を組み安倍氏を滅亡させています。
最初は反朝廷側が優勢で最終的には物量で勝る朝廷側が勝利すると言うパターンですね。

高橋克彦さんの『炎立つ』に取り上げられています。大河ドラマにもなった原作です。こちらも読んでいなければオススメの小説です。

2020年
09月14日
16:28

3: 両国

読んでますよ。
一時はまった作家さんですから。

2020年
09月15日
17:31

4: 春海

 田村麻呂が阿弖流為を処刑しないよう訴えたが・・・というのは現在では教科書に載ってるんですか、進歩しましたねえ・・・

 僕の高校時代、田村麻呂は習いましたが、阿弖流為はそもそも教科書に載っていなかったように思います。のちに通史を読んで阿弖流為や母礼を知り、小説(及川まことの「阿弖流為」と高橋克彦の「火怨・・・」)で最期を知りました。

2020年
09月15日
22:31

春海さん

私も高校の教科書で坂上田村麻呂のことは習いましたが、阿弖流爲や母礼のことは教科書に載っていませんでした。
最近では中学校の教科書にも阿弖流爲や母礼のことが記載されている様です。

田村麻呂は阿弖流爲や母礼に蝦夷地の統治を任せようと考えていた様です。
田村麻呂は蝦夷討伐の褒賞として音羽の地を賜りました。その地に現在観光客に一番人気の清水寺を建立し国家鎮護を祈願したそうです。
現在清水寺には阿弖流爲と母礼の顕彰碑が建っています。
清水寺と関西の方々の尽力によるものです。

2020年
09月15日
23:00

6: 春海

>5
 中学の教科書ですか、うーむ・・・。

 ところで、明後日17日は「阿弖流為の日」なんですね。「阿弖流為を顕彰する会」が、命日をグレゴリオ暦に換算して定めたそうです。

2020年
09月16日
00:10

阿弖流為の日というものがあるんですね。知りませんでした。

棋譜作成
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