岡部倫太郎さんの日記

(Web全体に公開)

2016年
04月10日
19:38

碁を確実に普及させる方法(碁に限った話では無いけど)


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http://goxi.jp/diary/224119


上記は、ここまでの記事一覧です。
これから、読む人のために並べておきました。



※これは僕の実体験を元にした仮説です。



世の中のあらゆる問題の大元は人間関係だと言われるように、
碁が普及出来ない理由もコミュケーションの問題に収束します。

どうすれば問題が解決出来るのか、自分の主張を通せるのか。

方法は一つです。

相手に「これは自分の生活に必要なもの」と思わせることが出来ればいい。
(会社の面接なんかが際立った例)



「いやいや、そんなことはわかってるよ。
それが出来ないから、悩んだり、迷ったりするんでしょ?」



と殆どの人は思うでしょうけど、正に其の通り。


そして、囲碁に限らず(交友関係等)何かを広めようと考える人は、
他人に必要とされるために、主に二つの手段を取ろうとします。




『先生』を作ろうとするか、『友達』を作ろうとするか。




僕が『友達』を作るのが苦手な人間だということは話しましたが、
そうなってくると、
殆どの人がやってる方法を見習った上で、僕が他人に必要とされるには、
必然的に『先生』になるしか道は残されていませんでした。

僕以外にも、皆でわいわい楽しく騒ぐとか、そういうのが苦手な人は、
仕事を選ぶ上で、手に職つけたり、専門的で高度な知識をつけたり、
『先生』になることで、社会に適応しようとしてるはずです。

それが出来ない人は、
大体、社会不適合者になって、誰からも相手にされなくなるため、
必死に、人の上に立とうと、苦しい顔しながら頑張ります。

対して、『友達』を作るのを人生の中心に据えてる人は、
それはそれで、色々と気苦労もあるんでしょうけど、
「赤信号皆で渡れば怖くない」的に、
『先生』になろうと頑張る人よりは、誤魔化し誤魔化しやってける。

だからこそ、『友達』を作る派の人達は、自分達の側に誘うことが、
プロ棋士のような特別な人以外にとっては、楽しく生きる道と考え、
良かれと思って、自分達の方が正しいと考え、
『友達』になる方法を積極的に教えようともします。


実際、最近は、人生の先輩として、厳しい意見を言うような親よりも、
友達感覚で子どもと付き合う親が増えてるとも言われるように、
ネットにもその影響は現れている筈です。

今現在の社会というのは、
『友達』派が牛耳っていると言って差し支えない。
(若者が責任を負いたがらない、草食系とやらが増えてると言われるように)




で、皆が今の僕をどう思っているのかは知りませんが、
僕自身も、子どもの頃は、そっち側で生きていこうとしていました。

ところが、そもそも、僕は『友達』派の人に混じりながらも、
『友達』という概念自体が皆とは異なっていたため、
時が経てば経つほど、違和感と周囲との乖離は大きくなっていきました。
(子どもの頃はやれてたわけですから、今だって真似はできるのだけど。)

で、仕方が無いから、
好きこそ物の上手なれと言いますし、囲碁の愛ならそれなりにあるからと、
『先生』になることで碁や碁打ちに貢献しようとも考えたのだけど、
僕はこっちに関してもやっぱりしっくりきませんでした。

僕の碁に対する向き合いかたは、
『先生』になるために人と競うようなものではありませんでした。

僕がなろうとしていたのは、やろうとしてきたのは、
『友達』でもなく、『先生』でもない、他の『何か』だった。



そして、それだけなら、『友達』派の人にも『先生』派の人にも関係が薄い、
僕や、僕のような少数派の人にしか、
わざわざ、真剣に考えるほどのメリットが無いと思われそうなのですが、
現在の状況を見渡してみても、そういうわけにはいかない、
現状維持で、ニ者択一のやり方を選んでいては限界があるのは明らかです。
(反論があれば勿論聞きますが、先に今回の話だけでも見た方が早いです。)

僕の糞真面目で重い上に、プロが喜ぶような専門的な内容でもない日記が、
現在の「友達」「先生」双方のgoxi利用者からは殆ど読まれないのも、
僕が必要ではない、他の人の日記探すのに邪魔だからに他なりませんが、
それも承知の上で、『今』行動した方がいい理由があるからこそ、
何年間も考えた上で、こんなことやってます。


僕のやろうとしてることをざっくりまとめると、
今現在の世の中の在り方の中で(先生か友達かを選ばされる)
自分なりに努力してるけど、いまいち成果が出ていない、
そういう人をきちんど生かすためにも、
僕が目指してきたタイプを新たに導入し補完するということです。

(特定のタイプを選んだからといって、
 それ以外を蔑ろにするわけではありません。
 友達派の人でも、子どもや部下の前では先生を演じたりするように、
 状況によって選ぶタイプが異なるのは当たり前です。)






それについて紹介するために、
まずは、友達派と先生派について、別の角度から説明します。





人は大きく分けて二種類のスタイルで物事を進めます。


一つは、「戦術」を重視、もう一方は、「戦略」を重視。




野球で例えると、

「戦術」重視タイプは、
データをたくさん集めて、相手に合わせて対策を練る時間を増やすタイプ。

「戦略」重視タイプは、
ストレートに絞って他は捨てる、みたいに、
おおざっぱに即断して、相手の事を考える時間を減らす分、
ストレートだけはどれだけ早くとも打てるようにと、
スィングスピードを向上するために素振りとか体作りに時間を使うタイプ。



今度は、人間関係に置き換えてみます。

「戦術」重視タイプは、
さらっと肩書きや経歴、醸し出す雰囲気等を見て、
相手に合わせて付き合い方を変えるタイプ。

「戦略」重視タイプは、
自分の話したいことを優先して、付き合う人もそれに合った人を選ぶタイプ
其の分、特定の層には人気が出る、一芸に秀でていたり、個性的な人が多い。



最後に囲碁で。

「戦術」重視タイプは、
部分の読みや計算で勝負を決めようとするタイプ。
当然、相手も、大体、同じ事を考えていますので、
力に大して差が無ければ、お互いに思いもしない展開にはなりにくいです。
本人にその気はないのかもしれませんが、
同じ土俵で勝負しようとしてる、つまり、相手に合わせている。

「戦略」重視タイプは、
所謂、大局観で勝負を決めようとするタイプ。
トッププロ同士ですら、感覚は微妙に異なりますので、
個性がぶつかりあった結果、思いがけないような変化になることも。





話の流れ上、前者が「友達」派、後者が「先生」派なわけですが、
囲碁では戦略がより重要とされていますし、
ビジネス(特に経営)の場に於いても同様です。

繰り返しますが、本来は、どちらの方が優れているということも無いです。
どちらも必要ですし、一長一短。

ただし、古今東西、特に日本はそうですけど、
出る杭は打たれるものですから、「先生」派は「友達」派よりは少数であり、
バランスを保つためにも、先生派がより必要とされているというだけです。



そして、今一度、考えて欲しいのは、
「先生」派の長所とは、どういうところにあるのか、という点です。


結構な人が勘違いしてると思うんですけど、
意思が強いことだとか、一つの事に没頭することで個性が際立つだとか、
そういうことでは無いんじゃないかと、僕は考えています。


この両者の特性を一言で簡潔にまとめてしまうと、

戦術重視タイプは、分かる前提に立つから、色々なものを分かろうとする
戦略重視タイプは、分からない前提に立ち、最初から余計なことは考えない

になります。



で、世の中の殆どの問題って、分からないのが問題になるよりは、
分かっているのに出来ないことが問題になっている方が遥かに多いです。

ダイエットしようと思ってるのに、太るとわかってるお菓子食べちゃうとか
勉強しないといけないと言われてるのに、直にサボっちゃうだとか、
そんなことばっかりです。


ところが、戦術重視のタイプの人は、
分からない事こそが問題だと考える傾向にありますから、
ありもしない答えを一生懸命探していたりします。

自分がダイエット出来ないのは、
知識が足りない、楽に痩せれる方法を探していないからだ、
そんな風に考えて、延々と無駄な事をやっていたりする。


戦略重視のタイプの人は、
野球だったら、バッターボックスに立ってみないことには、
打てそうかどうかなんて分かんないんだから考えても無駄だと考え、
スィングスピードを上げる努力だけをひたすらする事で、
目の前に来た球を出来るだけ長く観察することを可能にしたりします。

その結果、地道な基礎を頑張ってるように周囲からは見えますし、
筋力がつくから、野球選手としては結果が出なくとも他のことに役立ったり、
まわりまわって、成功に繋がってる事が結構ある。



そういうわけで、個人の能力を高めようと思えば、
理想を言えば、戦略重視の方が身になるわけですが、
なかなか、それに納得が出来ないという人も多い。

これは、goxiに限った話ではないですし、
スパルタで知られる僕の師匠?も、何度も経験してるようですが、

「弱者にも分かるように教えてあげるのが、先生の役目。」

と真顔で言うような人が、かなりの数います。


ですが、友達派のルールに一方的に従わせるのも、
先生派のルールに従わせるのも、どっちだっていい事ではありません。

それをする位ならば、お互いに干渉するな、ということになるんですが、
タイプが違えど、社会では協力していかないといけない場面はある。

ただ、先生派の人と友達派の人が交流を持とうとすると、
どうしても、そうなってしまう傾向にあるんですね。

先生派がやってきたような練習メニューを強要したりすると、
「指導者失格、弱者の気持ちがわからない傲慢な人間。」
と叩かれる。
(僕の師匠?もネットではボロクソ言われてきましたし。)

傲慢なのはどっちなのよ?とは思うものの、
だったら、初心者に懇切丁寧に教えるのをやめろ、
という話をしたいのかというと、そうではないです。

百歩譲って、例えば、囲碁自体を教えるのは結構なんですが、
その部分では友達派に合わせるとして、
他の部分で先生派に合わせるようにしてこそ、
お互いに譲り合って、本当の意味で平等な関係と言えるのではないか、
僕はそう考えているんです。





うん、何を言ってるのかわからない人もいるはずなので、
もうすこし、ちゃんと説明します。


戦術重視タイプの人にとっての主な興味の対象、付き合う対象とは、
既にわかっているもの、
分からないけど、分かるようになる予定の身近な相手のことです。


戦略重視タイプの人にとっての主な興味の対象、付き合う対象とは、
分からない、だけども分かろうと努力だけはするもの、
対戦相手などではなく、もっと、ずっと先にあるものです。
囲碁で言うならば神の一手とか。

対戦相手に勝ったり、相手の事を知ったりすることはあれど、
それは、あくまでも過程、目標に到達するまでに得られる副産物でしかない。



一見すると、分からないから努力する、という点では同じでも、
目標設定が違う事で、それだけの差が生まれます。

だからこそ、戦略重視タイプの人が書いた自己啓発書を読んだり、
彼らのやってきたことだけを見て参考にしようとしたところで、
ろくに結果が出なかったりする。
(囲碁も同じです。同じことを教わってもかなり個人差が出る。)



ですから、別に囲碁でなくとも、学校の勉強でも何でも、
分かるように、分かるものとして上手が下手に教えるまではいいとして、
今は全然分かる気がしないけども、それでも、分かろうと努力する、
そういったことも同時に教えるべきです。

それでこそ、友達派、先生派、お互いがルールを尊重しているといえる。



僕は、極々、当たり前の事を言ってるだけです。

だけども、不思議と、これが出来ていないことは、世の中、多々ある。
大体、友達派か先生派のどちらかに偏ってます。

最近は、韓国が日本にやってきたことを見てもわかるように、
先生側の方が割を食う機会が多く、
学校なら、保護者や子どもの方が強くなっていますし、
囲碁なんかも同じで、囲碁ガールとまでは行かないまでも、
先生側の方が客に媚びたりすることが多い。

居心地を良くするのはいいんですけど、
(新参者が入ってきた時に生じるような)多少の緊張感は必要です。







ということで、そろそろ、本題に入っていきます。



goxiは多くの人達が日常的に交流を持てるのが利点ではありますが、
足りない部分だって勿論有ります。


付き合いの長い友達同士が固まる事で、
新参者の相手をする時間が無く、日記を書いても読んでもらえない。

僕のような重い日記を書いても、
他の人の目があることもあって気軽にコメントが出来ない。

ただでさえ、碁なんて真面目に打つと一局打つのに時間も体力も使うのに、
主義、主張が込められた、意味のある日記を集中して書いたり、
そういった日記に真面目にコメントしようとしても、
よっぽどの暇人でも無い限り、かなりの手間で続けられません。



其の点、2chみたいな匿名掲示板なら、
何を書いても自分の身元はわからず、誰でも条件反射でものが言える、
ツイッターなんかは、短い文章でやりとりするのが当たり前なので、
なんとなく気になったこととかを気軽に話題に据える事が出来る、
そういった部分で敷居が低いからこそ、利用者も多く、長続きしてます。

ただし、其の分、お互いについての知識が無いため、
自分の言いたいことが上手く伝わらずに、もやもやすることも多い。



ですから、この両者の間に立って、
goxiを始めたばかりの人や、このどちらにも馴染めない人、
そういった人達の架け橋になるようなコミュニティは作れないだろうか?

そう、僕は考えました。




その一つの方法が、メールマガジンと登録メンバー専用サイトです。
(フリーメールで登録した場合、
 迷惑メールの方に行ってる可能性がありますので注意。)

http://xn--kckk1c6142btii.com/cyfons/formadd/?group_id=1




これはgoxiで気の知れた友達同士でコミュニティ作った時にも、
もっといえば、世の中に多くある起業した会社等でも、
今まで何度と無く、目にしてきたことではありますが、

思いつきで作ってみたはいいけど、勢いがあるのは最初だけ、
次第次第に減っていく記事やコメントを目の当たりにする事で、
メンバーのモチベーションもどんどんダウン、
いつのまにやら空中分解して、何も残らず終わってた。

こんなことは多々あります。


goxi自体も、管理人さんが多忙なために、普段、見ていられず、
新しく登録した人が、最初は頑張って自己紹介書いたりしたものの、
うまいこと馴染めずに辞めていくのを止められない現状に繋がっています。


個人個人では超優秀な人材を揃えた会社でも、似たような事はあり、
優秀なだけに我が強く勢いはあるために、最初は、勇ましいのだけど、
それが結果に結びつかないと、直にやる気がなくなって、
皆が勝手な事言い合って、一年も持たずに会社を畳むことになったりします。


『うさぎとかめ』の寓話にもあるように、何事も継続が大事で、
例え、亀のようにのろくとも、続けてさえいれば大きな結果になるものです。

そのためには、スポーツ選手が専属トレーナーを付ける様に、
本人の意見を聞いたり、様子を見たりしながらも、
ペース配分を考えて、管理していく人というのが必要です。

一対一の関係でも、ついつい無茶をして逆効果になったりしがちですから、
これが、会社や各種のコミュニティとなれば、尚の事です。

起業して5年でほとんどの会社がつぶれるだとか、
goxiで多くのコミュニティが上手くいかないのも当たり前です。
(リーグ戦コミュのように、最初からやることが全て決まっている、
 あとは人数さえ揃えられれば機能するものくらいです、上手く行くのは)

昔、もしドラが流行りましたが、マネジメント、人の管理というのは、
仲がいいもの同士であっても、お互いの事をわかっていたとしても、
なかなか、うまくいくものではないんですね。



http://goxi.jp/diary/223558

この記事でもちらっと触れてはいますが、
何度も言うように、世の中の大半の問題というのは、
学者や技術職みたいな、先生派の人しか求められない特殊な世界以外は、
解決策がわからないことが問題になっていることは、ほぼなく、
どうすればいいのかはわかっているし、
本人だってそれを望んでいないわけではないのに、
それでも出来ない事が積み重なって問題になってます。

で、友達派の人達というのは、
自分の手の内で支配することが出来る範囲内に於いてのみ、
わからないことをわかろうと努力するのには関心があるのですが、
(簡潔に、わかった気にさせてくれる先生の下に皆が集まったり。
 詐欺師がいっこうに減らないのも、そういう人間が求められてるから。)

神の一手のように、自分だけでは一生達成出来ない目標を目指している、
(だからこそ、彼らは自立した上で、仲間を求める)
先生派の人達が自分達だけで鍛錬する時に実際にやっている、
野球で言うならひたすら素振りを繰り返すような、
何でもない、誰でも思いつくんだけど、確実に成果が出る手段、
そういうのを、なかなか、やることが出来ないんです。


恋愛なんかで、クラス一可愛い子の心を射止めるために、
他のライバルに打ち勝とうと、一心不乱に努力してる人が、
本命の彼女には振り向いてもらえなくとも、
それ以外の多くの女性には好かれたりするように、
目標というものは大きく持った方が、
結果的にそれ以外のものもたくさん手にできるんです。

日本には、友達派の人が圧倒的多数ですが、
あれだけ、真面目に、目の前の目標のために努力してるのにも関らず、
大局的に見て、非合理的で効率の悪い事をしがちなのも、
そういった視点が欠けているからとは、多くの人が言っています。
(現状維持は停滞と同じで、常に先に進み続けないと取り残されますが、
 だからといって、次々に新しい目標を探し続けるのは大変ですし、
 最初から一つの目標だけを目指して努力する方が楽なんです。)

同じ事をやるにしても、どういう人達と、何を目指してやるかによって、
天と地程の差が出てくるといっても、決して、大げさではありません。





それらを踏まえた上で、
僕がメルマガとメンバー専用サイトでやろうとしてる流れは以下です。



メールアドレスだけで、誰でも、メンバーになれますから、
goxiみたいに自分の情報をネット上に公開したくない人や、
goxiに登録はしているんだけど、goxiでは話しづらい事がある時、
(記事にするには、まだ、自分の考えがまとまっていない事があるとか、
 忙しくてまとまった時間が持てず、コメントまで返せそうにないとか。)
今、考えてることとか、気になってることとか、何でも構いませんので、
僕に直接、教えてください。

教えてもらったことに関しては、僕の目にしか入りませんので、
(2chも含め、ネット上で何か発言したら、一生、どこかに残りますが、
 メールでしたら、僕以外の人が目にする事はまずありません。)
文章になっていなかったり、日本語ではなかったとしても構いません。

僕はそれらを参考にした上で、其の都度、話すべきだと思ったことを、
メルマガの記事にして送信しますので、
その内容を見た上で、また、ご意見、ご感想等、送って頂ければ、
次のメルマガの内容に反映します。



と、ここまでなら、
goxiとか2chで、自分で記事書いてコメント貰ったり、
スレ立てて意見貰ったりするのと大差ないようですが、
(人目を気にしなくて済むというメリットはありますが)
最初だけ、勢いがあって、次第に尻すぼみしていくコミュニティとは違い、
全ての意見を僕だけに集めて管理するため、
一度に、全てのネタをバラバラのまま全部出してしまうことを避けて、
皆の意見の中から、共通して興味がありそうなことだけを、
その都度、ピックアップして、記事を作るため、
長続きしやすい上に、前提条件が重なり読みやすいものとなるはずです。

2chのまとめサイトや、NAVERまとめがこれだけ流行っているように、
例え、同じ情報を元にした記事であっても、
それを見る人のためにカスタマイズされたまとめというのは、
普通に、バラバラの意見や記事を一つ一つ見るのに比べて、
遥かに読みやすいはずですし、頭にも残りやすい、仲間意識も高まります。

時間だって、かなり、短縮されますから、
goxiで各自がバラバラに書いた記事を追いかけている暇が無いという人でも、
毎日、トイレや風呂に入ってる合間の時間であっても、
じっくり読んだり、意見を出すことだって可能になるはずです。
(メールですから、goxiが見れないガラケーとかでも読めます。)


ここまでの記事を全て読んでもらえれば、
ある程度、わかってもらえているでしょうけども、
ほんの少し勇気を出したり、ほんの少し努力の方向性を変えるだけで、
特別、立派な人間になったりせずとも、同じ程度の頑張りで、
今まで、なかなか、上手く行かなかったこととでもなんとかなるし、
そういうことをたくさんの人に広めていくことで、
少しずつ、世の中というのはよくなっていくというのが僕の考えです。
(僕と同じような考えで動いている人は、他の業界にもたくさんいます。
 僕とは違い、既に大きな成果を出してるような人もいますので、
 あと何年かしたら、そのあたりの変化に気付く人は増えると思う。)

ですから、僕はそういった考えの下で、
少しでも前向きに、少しでも楽になってもらえるように、
毎回送る記事についても書いていきます。

そうやって、皆が一体となって、大きな目標を追っているような、
そんな雰囲気、空気感を作り出すことで、
友達派、先生派、関係なく、前進し続けていけるように誘導するのが、
管理者たる、この僕の仕事です。


それと並行してgoxiとかをやるのは各自の自由ですし、
また、人に見られないところで、気があるメンバーと話したいと言う人には、
メンバー専用サイトは個別の記事でパスワード設定することが可能ですから、
そちらのコメント欄にて、交流を取って頂ければとも考えています。
(その辺のことは、メンバー増えてきた時にでも、おいおい。
 ある程度は、細かいところまで融通利かせるつもりですので。)





と、ここまで説明すれば、僕のやろうとしてることに参加するのは、
殆どリスクは無いし、デメリットから諦める理由は無いと思われます。
(僕の事が嫌い、信用できないから付き合いたくない、
 そういった理由で断るのなら仕方が無いんですが。)

ただ、唯一にして、最も大きな問題が残ってると考える人もいるはずです。
(そうでなくては、むしろ、こちらも心配になるところ)

それは・・・

確かに、2chのまとめと大差ない上に、専門的な知識が必要なわけではなく、
やろうと思えば、誰でも、始められる事とはいえ、

何で、この僕がそれをやるのか?
何のメリットがあって、こんな面倒な中間管理職みたいなことをするのか?
始めるのは子どもでも出来るとして、この僕に続ける事が出来るのか?
と言う点です。



『やるべきことはわかってはいるけど、出来ないのが問題』



僕自身が言ってきたわけですから、この疑問が当然です。

それを解消するために、説明するために、
今までの糞長い記事を公開してきたわけですが、もう一度、まとめます。


何をやるにしても、大局観、長期的な目標がないと、継続できない、
僕はそういいました。

そして、コミュニティにとって、共有できる目標である必要があると。





『何も知らない者は何も愛せない。
 何もできない者は何も理解できない。
 何も理解できない者は生きている価値がない。
 だが、理解できる者は愛し、気づき、見る。
 ある物に、より多くの知識が備わっていれば、
 それだけ愛は大きくなる。
 すべての果実は苺と同時期に実ると思いこんでいる者は、
 葡萄について何一つ知らない。』
                  パラケルスス





まず、僕という人間がどういうタイプなのかについてですが・・・



僕は、生まれつきのタイプとしては、自立した先生派でした。
神の一手を目指して、普通の人としての生活を捨てるプロ棋士のように、
たった一つの、決して叶うことがない目標を追いかけて一生を終える、
そんなロマン溢れる、女性からしたら馬鹿にしか見えない、
自己満足に過ぎない生き方が出来るというか、
それしか出来ない気質でした。


ところが、色々な事情があって、友達派として生きていくことにしました。

其の上、普通の友達派の人が、気の合う人、好きな人と付き合うところを、
一番、嫌い、苦手な人と休日まで使って、過ごすようになった。


良く言えば人に合わせる、悪く言えば人に媚びる、
それが友達派の特徴なのですが、僕は悪い面ばかりに傾いていって、
友達派の中でも特殊なタイプ、
権威主義者の大人みたいな子どもになろうとしてました。
(世の中の多くの社会人がそうであるように、
 好きでそんなことをやるつもりはなかったんですが。
 ただ、自我が確立していない、意思の希薄な人間がそうなるように、
 必然的な流れで、気がついたらそうなっていた。)



僕は、友達派の欠点については、自己嫌悪と共によく学ばされました。



中学生になってからは、体調も一旦回復して、
社会性を持ちながらも、嫌な事は嫌と言って価値観を養う、
まっとうな友達派として生きようとも考えたんですが、
思春期の頃のとある事情も絡んで、またも道を誤りました。


他の人が黒といっても白にでき、白といっても黒に出来る、
何を言っても通じないところがある、言わば神である母さん、
そんな母さんを信仰して常に顔色を窺う、
神の一手を目指して、自分の人生を犠牲にするプロ棋士と似た、
先生派としての生き方を僕は選んでしまいました。

答えなんてわからないのが当たり前、自分は無知で無能だと自覚し、
いつも答えは先送り、間違い探しだけをし続ける、
そんなプロ棋士のような生き方を僕はしていました。



ただ、僕にはまっとうな先生派の人と決定的に異なる点がありました。

僕は母さんの事を信じたいと思いながらも疑っていたという事が一つ。
(母さん以外の人のいうことも信じたかった。)

宗教に嵌る人も、プロ棋士も、ベンチャー企業の社員も、
同じ志、理念、目標、信仰の対象を持つ仲間がいるからこそ、
妥協を許さない、自己犠牲の生き方でも、何とかやってけるんですが、
僕には誰一人、そんな仲間はいなかったというのがもう一つ。
(父さんは僕とは悪い意味でばかり正反対の人間ですし、
 歳の近い妹は僕とは良い意味で正反対で、ウルトラリア充だった。)



本当にみっともないし、くだらない人間だったのですが、
悪気は無いとは言え、他の多くの迷える若者と同様、
僕も多くの人に迷惑をかける羽目になりました。
(実際には、普通の若者以上になんですが・・・)

僕は、特殊なケースとはいえ、先生派の悪い部分、
一人っきりで生きようとするんだけど、
それに耐えられずに歪んだ形で社会に関るという欠点について、
嫌と言う程、自己嫌悪や後悔と共に思い知りました。



そういった経験がありますので、
こういうことは自分ではいいにくいのですが、
友達派と先生派の悪い部分は、一生分、味わいつくし、
これから先、僕と同じ手順を辿る事になるかもしれない若者よりは、
同じ徹を踏まないようにする覚悟と自信はあります。


そして、好き嫌いで人との付き合いをを決めてこなかったため、
派閥を作るのが命綱である友達派として生きていくことができず、
さりとて、先生派のように社会に認められる特技を磨いてきたわけでもない
そんな中途半端な社会不適合者の僕に残されたのは、

友達派として、周囲に合わせることが普通に出来るということと、
(嫌いな相手でも、あまり苦にすることなく合わせられる点のみ異なる。)
先生派として、長期的な目標を追い続けることが普通に出来るということ、
(後述しますが、僕の目標は棋士のような単純で世の中に認められやすい、
 そんなものとは異なるため、仲間が見つけにくい点のみ異なる。)


この2つの特性だけでした。
(僕が囲碁の勉強、全然勝てないのに、
 一人で楽しくスランプ知らずにやれるのは、過去の経験ありきです。)
 


で、前者の特性が、社会でやっていくためにも、
メルマガ等を継続していくためにも必要なのは一目瞭然ですが、
後者の特性、若干、特殊?な目標について、次に話します。




一人で居る分には、先生派としての側面が現れてる僕ですが、
友達を作れない僕にとって、たとえ、一生、会うことが無くとも、
プロ棋士は大事な仲間だと感じ、囲碁をやっている時間は楽しいものでした。


ただ、前述したように、子どもの頃からプロ棋士を目指してきた人と違い、
僕にとっての命を捧げられるような目標は異なりました。

同じ先生派としての特性を持つものとしてのシンパシーはあっても、
囲碁に命を捧げている彼らとは、100%同じ道を目指す仲間では無かった。


先生派の特性を持つ、僕にとっての長期的な目標とは、
先生派よりも友達派の目指すことになるようなものに近かったわけです。

先天的な影響よりも、後天的なものの方が大きかったということでしょう。
特殊だったとはいえ、子供の頃から友達派として過ごしてきたんですから。



僕は自分がストレスで体壊した事、
母さんがストレスで頭やられてしまった事、
その結果、自分達自身が苦しむだけではなく、
周囲の人にも大迷惑かけるような結果になったことを悔いていました。

社会に合わせて生きる友達派、自分の目標を優先する先生派、
どちらの考えも持つ僕にとって、
どちらの観点からみても、共通する望み、
それは、さっさと死ぬ事だけでした。
(卑屈すぎる人間というのは、偉そうな人間と真逆なようで同じであり、
僕は長い間、とても傲慢な人間だと周囲からは思われていたはずです。)


ところが、そんなこと思ったところで、怖くて出来ない、
其の上、母さんが先にあんな亡くなり方したこともあって、
僕には個人的に死ねない事情も出来た。

難しくなればなるほど、
ますます、そんなことばかり考えるようになりました。


僕はそのことで、ずっと、悩んできたんですが、
師匠?の話を聞いているうちに、考えが変わることになりました。

ヒカ碁のサイが、ああやって成仏出来た理由がようやく実感出来た。



囲碁は何百年も続いていますし、プロ棋士という制度がある以上、
これからも、細々とサイの遺志が引き継がれていくように、
そういった環境が整いさえすれば、
死ぬ事は悪い事ではなく(虎次郎に遠慮する事は無い)、
何時死んでもいいんだと許されたような気持ちになるんですね。

サイではなくとも、まだ幼い子どもを残して死ねないと思ってる、
他にも、色んな事情で死にたくても死ね無いと思ってる人、
そんな人は幾らでもいるんですが、
サイのような条件さえ整えば、そういった罪悪感から解放されるんです。


ヒカルや伊角さんが苦しんでいたのも罪悪感からですし、
良心の呵責というのは、未熟で自分勝手な人間が社会を構成する上で、
必要不可欠のものではあるのですが、同時に、枷でもあるんですよね。

それのない人というのは、一見すると、楽そうに見えますけど、
そんな反社会的な人であっても、死ぬ事は怖いはずです。
(先生派の人も、行き過ぎると、ある意味では反社会的です。)

どんな人間であれ、いつかは乗り越えないといけない問題なんです。




僕は、どっかで、殆どの人と分かち合えない目標を持ってることに、
劣等感と心細さを感じていたのですが、
ああ、これは僕だけの問題ではないんだなと気付いて、
更に、僕の目標を理解してもらった上で、
いつか共有し解決するものとして、自分の事のように考えてもらう、
そんなコミュニティを作るための活動を続けてさえいれば、
たとえ死んでも僕の遺志は残り、僕は死んだ事にならない、
だから、僕がこのまま死んでしまっても、何も問題は無い、
誰かに恥じたり、罪悪感を覚えたりする必要は無いんだ、
そして、僕と同じような事を考えていた人が、
遥か昔の紀元前からいたという事実を鑑みても、
僕の考えは決しておかしなものではない、
そう気付いた時に、僕は解放されたんです。

何をしたら死ぬ資格が得られるのかわからず苦しんでたんですが、
誰もそれを僕に教えてくれず、自分が孤独だと思っていたんですが、
一気に、視界が開けた気がしました。





僕の最終的な目標は、ありきたりですけど、(表向きは)世界平和です。

具体的には、「死ぬ」罪悪感から解放させることですが、
それだと、ボンヤリしすぎていますし、宗教くさいですから、
(エヴァの人類補完計画みたいと突っ込まれそう)
そんな触れ
込みで活動を広めていったりはしませんが。

DVばっかするクズ男でも、宝くじが当たった時だけは良い奴になるように、
パッと見て、善人か悪人かなんてわかったもんじゃありません。
(キリストさんも仰ってるしね、石ぶつけんなゴラァって。)

追い詰められて余裕が無くなれば、誰だって悪事に手を染めたりしますから、
そういった意味で、世界平和と同義といってもいいというだけ。

僕と付き合う人達が、少しずつでも、固定観念(罪悪感)を振り払い、
良い方向に向かっていってもらえれば、それでいいと思ってるんですが、
念の為、その過程にある囲碁普及の方法についても話しておきます。




現在も、大学では囲碁が学問の一環として受け入れられてはいますが、
僕は、学生のための囲碁教室を開く予定です。

といっても、囲碁の知識を教えるというわけではありません。

僕のやってることは、全て、
「死ぬ」資格を得るための準備に繋がっています。

今まで公開してきた記事もそうですが、囲碁にも触れつつ、
最近のアニメや漫画を題材に、そのための考え方を示唆しています。

僕はこれをネットでやろうと考えています。

学校の勉強というのも、塾なんかでは解法とか色々教えてくれますが、
何のために勉強しているのか、子どもの頃はわからなかった、
そういう人は少なくないはずです。

大人になってから勉強の面白さに気付く人もいるように、
今の僕も、全ては「死ぬ」ための知識となっているんだなと知りました。

ですから、アニメや漫画等、子供が興味持ちそうな話題を取っ掛かりに、
僕なりに定義する「生きる力」について、
大人も子供も関係なく、皆で意見を出し合い、楽しく学んでいく、
そういった教室を運営していくつもりです。



「授業料」としてお金を貰って、先生という立場から生徒に向き合い、
分かりやすく碁を教えようと努力してる人はいくらでもいますが、
僕はそういった形で、相手に合わせる努力をするつもりはありません。
(それでは、碁に関心の無い人は呼べませんし、パイが限られてる。
 ただでさえ、娯楽なんていくらでもある現代なんですから。)

碁に興味があるならば、前に話したような、
捨石という観点から(捨石作戦によるプロの名局を味わいつつ)
今、学校で勉強してる事にも絡めて、興味を持ってもらったり、
そういった形で、知識や知恵を育んでもらうのが目的です。

一方的に上から目線で色々言われるのを嫌う子供も多いですから、
仮に、碌に、勉強の成果等がでていないように見えても、
こういった、大人と子供が対等に同じ目標の下で学べる、
そういった場があること自体に大きな意味があるはずです。
(この教室やメルマガは、まさに、昔の僕が欲しかったものでもある。
囲碁に興味は無くとも、助けを求めてる人なら、幾らでもいます。)


ですから、あくまでも、共に学びあう「仲間」を得るための場所、
そう定義して、ニコニコ動画のように、「参加費」として、
月数百円とかで、有料メルマガ等を通じて、やっていく予定です。
習い事に通わせるよりは、遥かに安上がりですから、
きちんと準備さえすれば、十分に需要はあるはずです。
(オプションサービスとかは、その時になってから考えます。
 何も準備できていない今から考えることではない。)



もうおわかりかと思いますが、
僕が、今回、始めようとしている、
メルマガとメンバーサイトを通してのでのgoxi補助は、
何年後になるかわかったもんじゃありませんが、
僕がやろうとしていることの練習、準備です。

僕にメリットが無いどころか、僕に一番メリットがあるからこそ、
絶対に辞めるつもりはありませんし、本番のために真剣にやります。

何より、僕がこうして目標を見据えて行動していれば、
僕はいつ死んでも許されてる、死ぬ資格があると思えるので、
仮に、あと2,3年で僕が突然死んだりしても、
堂々と母さんのところに行けるというもの。

僕のように死にたがってる人にとっては、続ける事に意味がある。




というわけで、
時間が無くとも共通の話題で盛り上がりつつ学べる、
そんな環境を求めている人、また、自分達で作っていこうという人、
そういった人は、どうぞ、遠慮なく、お越し下さい。

メルマガをやっていく間に、
「講師陣」という程、大げさなものではなくとも、
人と人とを繋ぐ教室の「管理人」になる気のある人が出てこれば、
将来、教室を開く際、
ビジネスパートナーとして、お手伝いお願いするかもしれません。
(現場でのクラス担任、みたいな。)
勿論、リアルで囲碁教室やってる人も歓迎です。
普段は、囲碁を教えつつ、ネットでは僕のようなこと補助でやるとか。



あくまでも、順当に事が進んで、数年先になるであろう予定ですから、
今、参加する人は、僕の考えてるだけ分かってもらえていれば、
難しい事考える必要はありません。

何か、話したい事、聞きたいこと等あって、ネット利用してる人は、
お気軽にどうぞ。


http://xn--kckk1c6142btii.com/cyfons/formadd/?group_id=1






長々と読んで頂きありがとうございました。
ぃーね! (1) よいしょ(もみじて)sasamochi 

コメント

2016年
04月10日
20:34

長すぎる!何回かに分けてほしい。
というか、それ卒論のテーマにできるべwwwwww
客観的なデータ等取れたらとても面白いと思うけど、
ブログ形式で載せるとなるとあまりに長いと読む人がいないというか、読もうとしてもいやんなる。挫折する。
(実際言わんとすることは面白そうでも人間の力がついていかない。)
分割してくれたら読む。
途中のさわりだけ読んだけど多分全部本気で読んだら1時間以上かかるよ><

2016年
04月10日
21:01

いや、話は長いですが、いってることはシンプルですよ。

うりりんさんも言うように、
goxiで友達をたくさん作って各記事を見て回るにしても、
2chで色々な情報を見て回るにしても、
皆、バラバラに言いたい事を言ってるだけで、
それらを読んで、コメントするのって、
それぞれの記事は3分で読めたとしても、
全部合計してみたら、時間がかかって仕方が無いですよね。

ですから、何か話したい事や気になることがあって、
自分一人で記事にするまでもない、
とか、何らかの理由でgoxiが使いにくい人がいれば、
それを僕にいってもらえれば、
全部を一度に反映するというのは無理でも、
それらの中から、共通点を見出してまとめられそうなものだけを
随時、選んでいって、「死ぬ」ために生きるという僕の価値観の下で、一つの記事にまとめあげますよ、と提案してるに過ぎません。

2chのまとめサイトをもっと恣意的にまとめたようなものとでもイメージしてもらえれば。

2016年
04月10日
21:08

おそらく八方美人で生きてこられたまたはそうせざるを得なかったように読んでいて感じました。

内容は面白いのですが文章もツッコミ所や弱味をを削り肉付けした結果「そうですか」ぐらいしか感じないほど自己完結してしまっている気がします・・・

しかし行動力や文章力は凄いと思いました。(^^)

2016年
04月10日
21:23

デリューさん、鋭いですね。

僕としては何でもいいんです。
相手がその気になってくれれば。

例えば、僕が絶世の美女で、一声かければ相手を思うように動かせるなら、こんなにあれこれ話す必要は無いです。

デスノートっぽいものが落ちてたら、僕は迷わず使う人間です。

誰かが僕の考えてることをやってくれるのならば、
僕だって、こんなに長々と話したりはしません。
(その時は、何も言わずに黙って細々と生きて死ぬまでです。)

行動が全てです、世の中。

2016年
04月10日
22:13

もっとシンプルに削ぎ落としたほうが訴求力あると思います。

この日記と他のいくつかの日記を見ると、これからやっていくことは友達派とどう違うのか、よく分かりません。

2016年
04月11日
07:24

はじめまして。
岡部さんの棋力はよく把握していませんが、恐縮ながら私には勝てないタイプだと思いました。

それはともかくもっと孤独に生きていきましょう。
たぶん、その方が絶対に成功しますよ!
人間である以上、他者との関わりは生活上避けられない部分がありますが、あなた様の場合は本当に必要最低限で良いと思う。

先生とか友達とか関係なく他の人間達と必要以上に関わると岡部さんの能力や良さが失われる気がします。
他者なんかに理解してもらわなくても良いじゃない?自己満足でも良いから孤独を楽しむ事こそが第3の道じゃないですか?

棋譜作成
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